水槽の脳
「あなたは、自分の体がここに確かに存在することを証明できますか?」
「ん? そんなの、ここにこうしてあるんだから、存在しているに決まってるだろ」
「なるほど。自分の体に触れることはできるし、目で見ることもできる。なんなら匂いだって嗅ぐことができるでしょう。では、あなたは自分の内臓がここに存在していることを証明できますか?」
「んー……。心臓は動いてるし、食ったものはちゃんと消化されてるな」
「なるほど。器官がちゃんと機能しているのだから、それは確かに存在していると言える。目に見えなくとも分かることですね。……では、あなたは自分の脳がここに存在していることを、証明できますか?」
男は考えた。
「脳みそねぇ……。俺はここでこうして頭を悩ませているんだから、存在してるってことにはできないか?」
「自分の脳を実際に見たことがおありで?」
「いや」
「では触ったことは?」
「ないけど」
「自分の脳の形をご存知でない?」
「ある程度は分かるよ。丸っぽい形で、しわだらけなんだろ?」
「それは世間一般に流通しているイメージというもの。あなたの脳がそれと同じとは限りません」
「じゃあ、証明なんてできねぇよ。実際に頭を割ってみないことには」
「それではあなたは死んでしまいますね。その時点であなたは自分の脳を見ることは不可能になる。……そう、自分に自分の脳の在りかを知らせることは不可能なのです」
「どうだろうな。まあ別に、脳みそがどこにあるかどうかなんて、生きてる限りはどうでもいいが」
「しかし、脳があなたの頭に在ることを証明できないとなると、あなたの存在そのものも不確定になってしまいますね」
「どういう意味だ?」
「思考を司る部分がどこに在るか分からないなんて、まるで嘘みたいじゃないですか。あなたが今見ている景色は、どこにあるとも知れない水槽に浮かべられた脳が見ている仮想現実に過ぎないのかもしれない。あなたの実感は、あなたの脳が思い描いた偽りに過ぎないのかもしれない。全て、脳の夢なのです」
そうしてメガネの老人は視界から消えた。
男は夢から目覚め、タバコを吸った。