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2. "姫様"

 「お疲れ様でした、オルワルド卿」

 食後も続いたエッセンの案内を終えて部屋に戻ろうとしたところ、なんと俺の部屋の前に陛下が立っていた。待ち伏せしていたのだろうか。

 「あ……陛下」

俺が声を掛けると彼女は丁寧に一礼した。

 「アイリスはいかがでした?」

 「あ、アイリス?」

俺が訊きかえすと、彼女は完璧な笑みを浮かべる。

 「失礼。アイリス・エッセンです。私に仕えてくれている者は他にもいますが、最も王宮に詳しい者は彼女でしょうからと思い、案内役をお願いしました」

成程、エッセンは苗字だったらしい。彼女は陛下に強い恩義を感じていたが、同様に陛下も彼女を名前で呼ぶほど大切にしているようだ。

 それにしても、一応は婚約者に他の同年代の女性の感想を求めるとは、どういう意図だろう。あまり褒め過ぎるのもよくないと思うが、一方で多分陛下にとっては大事な臣下なのだろうから、貶すのもよくない。結局俺は無難な回答をすることにした。

 「真面目な人、ですね」

すると陛下は満足したのか、間髪入れずに続ける。

 「彼女、アルゴリアス出身なんですよ」

 アルゴリアスといえばこの国の西の方にある小都市であり、俺の生母の実家、アルゴリア男爵家が支配する土地だ。多分陛下はそれを知っていて言ったのだろう。だが実は俺はアルゴリアスに行ったことは無い。母上と実家はあまり仲が良くなかったということも影響しているのだろう。

 どう話を続けて良いか分からないのでとりあえず頷くと、陛下は今度は自分の左手を指差しながら言った。いつの間にか無表情になっている。

 「それと……彼女は左手を大火傷しています。気づかれました? あの手袋」

いつになく饒舌な陛下になんだか違和感をおぼえる。それにしても、何故エッセン……いや、陛下の言葉を借りればアイリスの話ばかりするのだろう。

 「いえ、全く」

すると陛下は顔色ひとつ変えず、とんでもないことを切り出した。

 「もしよろしければ、彼女をあなたの使用人にしようかと考えているところです」

 「……え?」

思わず聞き返す。

 いや、普通他家に輿入れする貴族は、実家から使用人を何人か連れて行くものだが、俺の家は使用人をあまり雇っていないし、実は専属の使用人というのは全くいない。これも例によって例の如く祖父の方針なのだが、そういうわけで俺も使用人を一切連れずに婚約してしまったのだ。

 陛下も俺が驚くことは想定していたようで、淡々とした語気で俺に説明を始めた。

 「王配殿下となられるお方が、使用人のひとりも連れないというのは……私はともかく、体面が良くありませんからね。使用人をあまり置かないオズワルド侯の方針にはむしろ賛成ですし、使用人の数がその者の価値を示すような現状に納得しているわけではありませんが、外交上やむを得ないことです」

 「彼女で不服なら、他の者を遣わしましょう。ただ……最も親しみやすいのは多分アイリスだと思っております」

そういって陛下は黙った。さすがは幼くして王位に就いたとだけあって、相手を言いくるめることにかけては18歳だと侮ってはいけないようだ。声色も表情も全く変わらないので猶更説得力がある。

 「アイリスに何か問題があるんじゃないのですが……その、彼女は陛下のおそばにいたいんじゃないかなと思うんです。陛下に恩義も感じているようですし……」

口ごもりつつ俺がそういうと、彼女はふっと表情を緩めた。

 「殿下はお忘れのようですが、一応我々はこれから結婚するわけで、殿下の使用人になったからといってアイリスが私と永遠に会えなくなるということはありませんよ。ただ、殿下がおひとりで公務をなさる時、彼女がそばにお仕えするというだけです」

 どうやら俺は勝てなかったようだ。別にアイリスそのものは好印象なのでいっこうに構わないし、むしろ陛下が「結婚」というイベントを覚えていてくれたことが少しばかり嬉しかった。

 「……ところで陛下、お昼は何かお召し上がりになりましたか?」

 立ち去ろうとした陛下に尋ねる。すると彼女は不意打ちされたみたいな顔をしてからふっと微笑んだ。――ああ、こういう笑顔は昔のままだ。安心した。

 「いいえ、まだですよ」

 「一緒に食べませんか? さっきちょっと食べたんですけど……お腹すいちゃって」

正直それほど空腹ではないのだが、一応尋ねてみる。しかし陛下は突如再び無表情になった。

 「公務の続きをしながらですので……またの機会に致しましょう」

感情の欠如した声でそう言うなり、一礼して立ち去ってしまった。

 *

――神龍は、生物というより神に近い存在だという。

 そもそも”神龍”と呼ばれているのは龍に姿が酷似しているからであるが、良くも悪くも火を噴く有翼の巨大爬虫類でしかない龍とは全く違う。神龍には善悪の概念はないといわれており、その怒りは天災となって人を襲うという。また性別も確認されていないのだが、人間の女性としか心を通わした例がないということから考えると、敢えて性別を付けるなら雄ばかりなのだろう。

 そんな神龍と心通わす技能は、オズワルド家にしか伝わっていない。しかしながら、巫女というだけあって女性にしか伝えられていないと誤解されることも多々あるが、実は俺も形の上は巫女である。いや、男なので巫というべきか。しかしやはり神龍との交流は実技が重要で、一度でも神龍と出会ったことがある者とそうでない者では明らかに違いがあるという。長らく神龍が現れていない現代において巫女の技術を継承することが難しい理由はそこにある。

 しかし、これまた何の巡り合わせか、俺は神龍に遭遇したことがあり、そして断片的ながら、神龍と心を通わしたこともある。そもそも、王配となり今ここにいるのも、それがきっかけだったのだ。

 王宮で過ごす最初の夜がきた。夕食後部屋に戻った俺は、窓を開け放ち、まだ少し肌寒い夜風を浴びる。

 神龍は特殊な波動を放つ。一度でも感じたことがある人間なら、再び探知するのはそう難しくはない。これは神龍の生命力というべきものの表れであり、神龍それぞれで違うというが、流石に複数の神龍に出会ったことは無いので、その点はよく分からない。

 とにかく俺は――かつて「姫様」と呼んでいたその神龍の波動だけはちゃんと覚えているつもりだ。

 そして案の定、その波動はすぐに見つかった。しかし、約8年前に感じた時よりだいぶ弱くなっている。場所は多分、王宮の東方――かつて監獄として使われていたザルーン塔の方だろう。これもだいたい想像がついていたことではあるが、どうしても気が重くなる。

 *

 「悪い王配殿下でごめんなー」

 波動を見つけてから10分後、俺は眠ってしまった門番たちにそう小声で声を掛けながら王宮を脱出した。魔法で寝かせてしまったのだ。

 出自を抜きにして考えると、貴族と平民との最大の違いは生まれつきの魔力にあるといっても過言ではないだろう。面白いことに、平民と貴族を隔てるのは魔力であるというのに、最も魔力が強い家柄が最も偉いというわけではない。例えば俺と弟のクロアを比べてみると、どうもアルゴリア男爵家は比類ないと言って良いぐらい高い魔力を持つ家だったようだ。俺や妹たちは魔力が強いのに、異母弟だけはあまり魔力が強くないのである。

 ともすれば、王宮の門番なんて大切な仕事に何故魔力が劣る平民を置いているかといえば、王宮に反旗を翻す貴族など存在しないという前提でこの国は運営されているからである。つまり、例えば摂政のアレクシリアン公や傅役だったハンナベルグ公が魔法で陛下を操るとか、俺がこっそり王宮を抜け出すとか、そういった可能性ははじめから想定されていない。王家を支えるのは貴族の絶対的な忠誠心であり、とどのつまり歴代国王の人徳という危ういものがこの国を統治していると言っても過言ではないだろう。

 目的地へ向かう道すがら、俺はぼんやりと王都の様子を眺めていた。王宮付近に暮らすのは貴族ばかりであり、治安もそれなりに良いはずだが、流石に深夜になると音沙汰ひとつしなくなる。こんな静寂なら、脱出しようと考える人は俺だけではないかもしれない。

 ザルーン塔は、数百年前に恐怖政治を敷いた王が作った牢獄である。煉瓦作りの堅牢な建物で、史跡として売り出せばそれなりの観光地になりそうなものだが、王宮の居住スペースに近すぎるということで施錠され、普段は立ち入り禁止にされている。だが魔法というのは便利なもので、錠を解く魔法も存在するのだ。

 そういうわけで、あっという間にザルーン塔に侵入してしまった俺だが、途端にあることに気づいた。電燈が開発される以前である数百年前に作られ、以来ほとんど改築がされていないということは、光源がないということである。魔法で灯をつけるという手もあるが、魔法を使っている間はどうしてもそちらに集中してしまい、波動を感じることが難しくなる。仕方がないので、暗闇の中移動することにした。

 それにしても、もし王配になっていなければ、盗賊になっていた方が良かったかもしれない。

 *

 波動に従い螺旋階段を5階まで登ると、途端に奇妙な臭いが鼻を突いた。腐敗臭とまではいかないが、あまり気持ちのよい臭いではない。しかし明らかに、ここに神龍がいるはずなのだ。ここまで近づけば流石にもう良いだろうということで、俺は灯をつけてみた。――そして、途端に背筋が凍った。

 「な……んだ……?」

 石畳の地面に幾筋も見える黒いものは、間違いなく固まった血である。もはや、胸をよぎる嫌な予感は確信へと変わっていた。そういえば、近づいているはずなのにさっきより明らかに波動が弱くなっている。

 「……姫様?」

呼びかけてみるが、返事はない。波動と血の筋に従い、俺はひたすら奥へ走って行った。

 *

 水たまりを踏みつけたような音で、俺は目的地がここだと悟った。弱い灯の奥、闇と血に紛れてうっすら見えるのはくすんだ銀色の鱗の塊である。横たわっているらしい。波動も、この塊こそがかつて「姫様」と呼んだ神龍だと示していた。実に8年振りの再会だが、俺は彼女を何と呼べば良いのか戸惑っていた。

 前に、あのヤマモモの木の庭で出会った時、彼女は名乗らず、俺は彼女を「姫様」と呼んでいた。先ほど口をついて出たのもやはりその名前だったから、俺はやはり彼女を「姫様」と認識しているのだろう。

 いや、しかし――やはり、8年経って、それぞれ立場は変わったのだ。今もう一度出会うなら、もはや仮初の名ではなく、本来の呼称で呼ぶべきかもしれない。

 「……女王陛下」

しかし、やはり返事はない。血の臭い、弱っていく波動、全てがもはや悪い予兆でしかない。

 俺は駆け出した。


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