表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

1. "オズワルド卿"

 国土の中央部に広がる肥沃な平地と恵みをもたらす凪いだ大海、そして近隣諸国の王族も通う学園都市のお蔭で、この国は小国ながら割と富んでいると言って良いだろう。

 昔からこの国は、学問の力で栄えてきた。大昔は大陸中にこうした学園都市がいくつかあったというが、459年前の大戦争の折、他国の教育機関が軒並み戦禍を被る中、大陸最西端ということもあって戦場にならなかったこの国の学園都市は生き残り、大陸唯一の学園都市として不動の地位を得た。5倍の国土を持つ帝国と隣接していながらこの国が未だ占領されないで済んでいるのは、ひとえにこの学問の伝統を断たないようにするためだろう。

 俺はオズワルド侯爵家という貴族の家に生まれた。伝承によればこの国は今から1190年前の王国暦元年、後の初代国王とその仲間達によって建国された。当時、この地は神龍と呼ばれる神にも似た偉大な種族によって支配されており、神龍の血を継ぐ初代国王は人と龍の間に立つ者として神龍たちを説得し、帝国を追われた人の安住の地を獲得した。

 そしてこの時、「王様の仲間」として建国に関わったのが、今の公爵家や侯爵家である。俺の実家オズワルド家は、神龍と心を通わせる、いわば"龍の巫女"を輩出する家柄として知られている。そもそもオズワルド家初代として国王に従ったエクセリオンとヘルガは兄妹で、家はエクセリオンが継ぎ、ヘルガは神龍でもある初代国王の巫女となって彼を支えたといわれている。

 そういった経緯から、オズワルド家は伝統的に女性の力が強い。俺には弟がひとりと双子の妹がいるが、神龍がおとぎ話の産物と呼ばれる時代になっても尚、妹たちや母上の方が発言権も強いような気がする。

 そしてこの度俺は、その国王やヘルガの末裔である女王陛下と晴れて結婚することになった。俺が選ばれた理由は単純明快で、貴族の中で適齢期の男子が俺か、先代の陛下の妹の息子で、女王陛下から見ると従弟にあたるオルセイアス公デューカスしかいなかったためである。王位継承権を持つ彼の方が"適任"だったのではないかと俺は思っているのだが、何故か俺が選ばれたようだ。ちなみに陛下が18歳、俺が19歳で、デューカスが17歳である。

 ***

 「な、しかめっ面だろ? あんな堅物と添い遂げる羽目になるわけだから、お前も不幸だよな」

 朝、陛下と面会した後、他人の部屋に勝手に上り込んで、挙句にどこからか失敬してきたらしい胡桃をかじりつつそんなことを言っているのが、そのオルセイアス公デューカスである。実を言えば、俺と彼は同世代ということもあって、それなりに親しいのだ。正確に言えばデューカスが異様に馴れ馴れしいだけなのだが。

 王宮の主である女王陛下と婚約したことで、俺も王宮の住人となった。これまでも王宮から近いところに住んでいたのだが、もはや王家の一員なのである。

 一方、デューカスは何と言っても王位継承順位第1位にある事実上の王太子なので、先代の陛下が崩御して以来、ずっとここに住んでおり、いわば王宮の先輩である。……だから何だと言うのだと言いたいのだが、幼くして両親に先立たれ、これまでひとりぼっちで寂しかったのかもしれない。陛下は10歳で御即位されたが、彼は彼で7歳にしてオルセイアス公爵家の当主となった。それに比べれば、未だ当主である祖父が健在の我が家は幸運なのかもしれない。

 俺の部屋は、陛下の部屋とは同じ階でありながら遥か遠くにしつらえられた。これはあくまで仮のものであり、今後変更の可能性があるとはいうが、陛下と俺の心理的な距離を示しているような気がした。彼女とは結婚式の日取りなどの件で何度か話しているが、どうも俺に興味がないようなのだ。

 「別に」

 デューカスに対し俺がそう言い返すと、彼は顔をしかめた。燃えるような赤い髪の17歳には、やはりまだどこかあどけない少年の面影があった。

 「それよりお前はどうなんだ。このまま俺たちが結婚すれば、ゆくゆくは王位継承権は直系に奪われるわけだが」

デューカスの王位継承権1位という立場は、あくまで女王陛下が独り身であるという前提から成り立っている。いつか彼女に子どもが出来たら、彼の立場は無くなってしまうのである。しかしそう俺が尋ねるとデューカスは悪童のように笑った。

 「そうしたら実家に戻るだけだよ、俺は当主の座を保持しているからな」

それから急に真顔になって、天蓋付きの、ひとり部屋には大きすぎるベットに腰掛けている俺のすぐ隣に座って低い声で囁いた。

 「なあ、本当になんでお前はこの道を選んだんだ? 帰る場所が無くなったから、一発逆転を狙ってるのか?」

 「どういう意味だ?」

怪訝な顔で俺が聞き返すと、デューカスは視線を落とす。

 「小母さんってエフォート家の御令嬢だろ? で、お前の御母堂は……」

 「男爵家だったな。しかも今時珍しい庶子だった」

俺はそう言って頷くしかなかった。

 俺の実母はアルゴリア男爵家という地方領主の娘だった。別にそれはそんなに大きな問題ではないのだが、母上は庶子だったのである。父上がどうやって母上と出会ったのか俺は全く知らないのだが、母上は俺が8歳の時に亡くなった。その2年後に父上はデューカスが「小母さん」と呼ぶ今の母上と再婚した。今の母上はエフォート侯爵家の長女で、男爵家の庶子なんかとは比べ物にならないぐらいの"御令嬢"である。

 そして、俺が王配になったことで事実上オズワルド侯爵家の将来的な当主に内定したクロアは俺の異母弟にあたる。つまり、デューカスが言いたかったのは、俺が家から追い出されたのではないかという懸念である。

 「確かに、帰る場所は無くなったな」

 俺がそう呟くと、デューカスは既に剥いてある胡桃をひとつ差し出してきた。

 「俺はお前の味方だ。陛下になんて負けるなよ」

 「『負ける』ってなんだよ」

胡桃をかじりながら、俺は苦笑した。

 *

 貴族のしきたりというやつに俺は疎い。オズワルド侯アルハイム、つまり俺の祖父が貴族としては革新的な人物であり、俺もそういった自由な環境で育ったからだった。

 かつてこの地を支配していた神龍は、時代の変化と共にめっきり姿を現さなくなった。そうなると、神龍と心通わす龍の巫女という役割を持つオズワルド家も衰退する。ここで、中興の祖としてオズワルド家を再び復興させるというのもひとつの手ではあるが、祖父の場合は何故か、衰退の結果貴族でなくなる日が来ることを予期し、一般臣民の中でも暮らせるようにと、伝統的な貴族の暮らしを辞めてしまったのだ。

 貴族政全体の衰退が叫ばれる現代においては、伯爵クラス以下の子女で地元の有力な一般臣民のもとに嫁ぐ例も増えているので、もしかしたらクロアの子孫の中からもいずれは貴族でなくなるのかもしれない。

 ともかく、王宮での暮らしに適応するために、午後は王宮の見学をすることになった。先生役として部屋にやってきたのは、エッセンという若い女性の使用人だった。なんでも、陛下が即位した頃から彼女に従っているのだという。もうすぐ春だというのに、分厚い手袋をしていた。

 「陛下に初めてお会いした時、私は10歳でした」

 「10歳でメイドになったの?……どう考えても法律違反だと思うけど」

 最初の目的地である大広間に向かう道すがら、俺は首を傾げた。この国では15歳未満は俳優などを除いて労働することが許されていない。王宮には例外事項が多いのでもしかしたら法の網をくぐったのかもしれないが、正直幼い使用人を雇う必要など感じられないし、兄弟姉妹のいない陛下の遊び相手として連れてくるなら、即位後では遅すぎる。

 「仰る通り、正式に働き始めたのは3年前からです。今は働きながら、大学の夜間部に通っています。……私、孤児院育ちなんですよ。母はいるのですが、病気でして」

 エッセンの話によると、彼女の母は病で精神を病んだことで彼女を育てられなくなり、彼女は10歳で王都の孤児院に預けられた。しかし難病の母を治すための治療費に苦労していたところ、同い年で即位した陛下に見いだされ、彼女の"お手伝い"をする代わりに彼女から"お小遣い"を貰うようになったのだという。

 「実際のところ、陛下は手伝いなど必要としていません。あの方は完全無欠ですから。……私の身の上に同情してくださったのでしょう」

 「王太后様……か」

 王太后シェリアはハンナベルグ公爵家の出身で、現当主にして女王陛下の傅役であった女当主、ハンナベルグ公オクターヴァの妹である。しかし彼女もまた精神を病んでしまい、今は王宮から近いハルド塔というところで暮らしている。天涯孤独に近い身、同じ年齢、心を病んだ母親……陛下が同情する理由も分からないでもない。ちなみにシェリアが精神を病んだ最大の理由は夫である先代陛下の浮気だといわれている。

 *

 延々と続く長い廊下を越えて辿りついた大広間は、人でごった返していた。これから昼食だからというのは分かるが、普通貴族はこのように、大人数で食卓を囲むことは晩餐会でもなければ無い。俺の家では使用人も含めてみんなで食事を食べていたが、それは異様な光景だと教わった。

 「ここで働く者のうち食事担当以外は皆ここで食事を囲みます」

 彼女曰く、俺達働いていない人間については自室に運ぶかここで食事を摂るか選べるという。

 「オルセイアス公爵殿下などはここでお召し上がりになることも多いですよ。ほら、あちらに」

彼女はそう説明すると、大広間の奥の方を指差した。確かにそこではデューカスがどう見ても貴族ではない人たちと一緒に食事をしながら談笑していた。身分分け隔てなく付き合えるあの人懐っこさはいったいどこで手に入れたのだろうと俺は不思議に思った。

 「そういえば……陛下は?」

 「政務がおありとかで、だいたいここではお召し上がりになりませんね。ただ今日は陛下のお言づけで、殿下はこちらでお召し上がりになるということになっています」

エッセイはそういうと、手前の空いている席を指差した。別に構わないが、どうも拒否権はないらしい。

 「婚約者と食事しようとかいう気持ちは、陛下にはおありではないんだな」

 俺が思わずそう呟くと、エッセイは怒るかと思いきや苦笑いした。

 「ときどきオルセイアス公爵殿下が陛下のことを『人の心がない』なんて仰いますけど、確かにちょっと……人間関係に疎い節がおありかもしれませんね。殿下、私も相席してよろしいですか?」

 彼女からの申し出に俺が頷こうとすると、突然横から声がした。

 「オズワルド卿、陛下の命により、ここでは貴賤によらず誰が相手でも相席を断ってはいけないことになっておりますぞ」

座っていたのは、アレクシリアン公デュバンネだった。これまで晩餐会などで何度か会ったことがあるが、即位以来陛下の摂政をつとめている人物である。アレクシリアン公爵家は王太后の実家であるハンナベルグ公爵家と並ぶ名家で、俺も晩餐会で何度か見かけたことがあるくらいなのだが……そうか、もうこの人の横に並んで遜色ないような、そんな立場なのか、と俺は感慨に耽っていた。

 見かけは恰幅の良い中年男にしか見えないアレクシリアン公は、摂政という立場ではあるがあまり表には出てこない。理由はひとえに陛下が年齢不相応なほどに大人びており、摂政の助けを必要としていないからである。そもそも政治的な手腕は低いらしいが、いつも笑みを絶やさず、あくまで陛下の裏方に徹するその姿勢を評価する貴族も多い。

 「公爵殿下、ご無沙汰しております。今後ともよろしくお願いいたします」

俺が挨拶すると、突然デュバンネは真顔になった。

 「君が陛下を支えてくれるんだね? 王配殿下」

 「……頑張ります」

「王配殿下」という言葉の重みが深くのしかかる。アレクシリアン公は、じっと俺を見つめていた。

 「あの方の胸中を理解することは僕には出来なかったよ。むしろ、親子ほどの年の差なのにいつも助けて貰ってばかりで。オズワルド卿、是非陛下の心が憩えるような、そんな存在になってくれると嬉しいな」

それからそっと視線を逸らし、またにっこり笑った。

 「……出会い頭に真面目な話をしちゃってごめんね。さ、ご飯来たよ。食べよう!」

 気づけば、俺やエッセンの分の食事がもう運ばれてきていたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ