第五章―3
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「ねえお兄ちゃん……」
突然、風子がしおらしくなったのでボクは居住まいを正す。
「咲さんにきつい質問なんかして私のこと嫌いになった?」
嫌いになんかならない。十歳にしてこれほどしっかりしていることには驚いたが。
「いや、感心したよ。でも、咲さんが気を悪くしていないか心配だ」
まあ、『出て行って』じゃなくて、『新しい紅茶が入ったのちょっと待っててね』だったから機嫌を損ねてはいないだろうが。
「やっぱり咲さんのことが好きなんでしょ」
「その話しはやめよう。ボク自身まだよくわからないんだ」
誰も愛したことのないボクには好きという感情の真意がわからない。ただ、咲さんは他の人とは違う、とは感じる。
「私は、お兄ちゃんのことが好きだからお兄ちゃんが誰を好きなのかどんなタイプが好みなのかとても気になるし、はっきりさせたい」
すらっと云った今の言葉。ボクには、男として好きなのか兄として好きなのか判断できなかった。すらっと云ったけどすらっとは聞き流せない言葉だった。そして、『好き』の真意を訊けない。なんだか恥ずかしくて怖くて悩んでいるボクがなさけなくて弱みを見せるようで訊けない。
「ところで、お兄ちゃんは咲さんのことを犯人じゃないと信じられる?」
風子が話を変えた。ほっとする。
「違うと思うな」
「その根拠は?」
「なんだ、風子は咲さんを疑っているのか?」
「う~ん、よくわからない。良い人だとは思うけど、だってまだ会ったばかりだからね」
ボクも咲さんとこうやって言葉を交わすようになったのはつい最近。というより風子とあまり変わらない。それでもボクは咲さんを信じようと思う。出会ってからの時間なんて関係ない。長い短いはどうでもいい。フィーリングが大事なのだフィーリングが。
ここでボクはふと思いついた。風子と咲さんの会話にあった奇妙な違和感。それが何なのか具体的にはまったく見えてこない。まったく、ボクの性格もそうだが、記憶力もダメダメだ。この違和感が事件解決の糸口になるような感覚があるのだけど、正体はまだ霧の中。なんとなく、もう少し考えれば、出てきそうな予感もある。その予感にかけて記憶力に頑張ってもらうか、などと考えていると、
『ガランガラン』
突然鳴り響いた懐かしい音。ボクの視線が風子の顔から抱っこされている樹里男くんに移動する。
彼の右手に見慣れた黄色とオレンジ色のボクにとって嬉しくないおもちゃの太鼓。樹里男くんは嬉しそうにガランガランさせる。なんだ笑顔も出来るんじゃないか、そうかそうか楽しいか。などと喜んでいる場合じゃない。
太鼓は何処にあったの?
樹里男くんは嬉しそうに太鼓を振り回し、イッヒイッヒ。イッヒとはドイツ語で《私》。そんなことはどうでもいい。ボクと風子に対する態度の違いに少しムッとする。ボクの視線を無視してイッヒイッヒ。それを見ているニコニコ顔の風子の唇に左手でハイタッチ。風子も弟が出来た心境なのか、「元気でちゅね~楽しい?」と笑顔。うるさくなってきたところに咲さんが戻ってきた。
咲さんは戻るなり立ち止まって、『アイデンティティー』でジョン・キューザックが事件の真相を知ったときのような驚愕の表情を浮かべて、紅茶の載ったトレイをガランガランと落として茶碗が割れる。あわてて割れた皿を拾おうとする。
「ごめんなさい。もう一回いれてくるわね」
「大丈夫ですよ。そろそろ鳥正さんを探しに行かなくちゃならないんで、今度ゆっくりいただきますね」
そう云って風子は樹里男くんを椅子に下ろして片付けを手伝った。ボクも手伝い、トレイに欠片をすべて載せ終えると同時に風子が云った。
「その前にお手洗いをお借りしてもいいですか?」
☆
風子が消えるとボクたちは二人っきりになった。(正確にはふたりではないけど……)何度か顔を合わせているのである程度は緊張が取れてきた。それでも、失礼なことを云ってしまうんじゃないか、嫌われるようなことを知らず知らず云ってしまうんじゃないか、出来るだけ咲さんに気に入られるようなことを話したい、などと考えていると『きみに読む物語』のレイチェル・マクアダムスのような屈託のない純粋な笑顔で咲さんが話しかけてきた。イロイロと考えこんでいた自分がバカみたいに思えて、ボクも日常や学校生活、趣味など有りのままを話した。鳥正と犬彦とボクの三人でやった数々のバカなこと。武勇伝。まぬけな話し。感動話……はないけど。一度咲さんがダイニングに行きジュースを持ってくる。それからはまた楽しい会話がつづく。
夢のような時間が、アッ! という間に過ぎて行く。
五分。
十分。
十五分。
―――――――――――――気づいた。
風子が返って来ない。
咲さんも気づいたらしく、樹里男くんを抱っこしたまま席を立つ。待夢くんはここで待ってて、と云って出ていく。ポツナンと取り残されるボク。しばらくして咲さんが顔を蒼白にして戻り、今にも倒れそうな重病患者のような声で小さく云った。
「風子ちゃん、何処にもいないわ」
先さんの言葉に、ボクは風子が旅に出たのかな、などと軽い気持ちだったのを後に後悔することになる。
つづく




