1 高松昭吾②
映画研究会での日々は、昭吾の生活に新鮮味と色を宿した。今まで部活動というものをまともに経験したことがなかった昭吾にとっては、楽しくて刺激的なものであった。個人の映画作成に関わるというものではあったが、彼にとっては見たことのない世界だった。
「次! A1からA3まで!!」
この日も撮影を行っていた。彼らが現在撮影しているのは、学園系のラブコメだった。コメディ混じりながら、何処かシリアスな雰囲気を纏っている。そんな映画を目指していると、今回の脚本を書いた先輩は言っていた。
今回の映画において、ヒロイン役に香澄が選ばれ、その相手役として。
「俺はお前のことがどうしても嫌いになれない! 例えあんなことを知ったとしても、やっぱり俺は、お前のことが好きだから……だから!!」
「駄目なのよ……私には好きな人がいるの。先輩のことはどうしても諦められないの!」
昭吾の目の前で、二人が演技をしている。昭吾の役どころは、この映画において確かに重要な役ではあったが、残念ながら主役ではなかった。主役として抜擢されたのは、昭吾の友人である直也の方だった。
元々彼は映画に興味があったらしく、その演技力はなかなかのものだった。彼の演技力を買った部長が、こうして主演に抜擢したと言うことに繋がった。
比べて昭吾は、何処まで行っても平凡だった。特別演技力が上手いわけでもなく、逆に下手すぎるわけでもない。ならばと言うことで、今回の映画では直也の友人役という立ち位置につけられたのであった。
「カット!」
監督を務めている部長の声が教室中に響き渡る。
「OK! いい出来だ」
「「ありがとうございます!」」
その言葉を聞くや否や、香澄と直也は笑顔でうなづいて見せた。
こうして映画の撮影をしていることで、部員達との交流も深まって来ていた。昭吾も、香澄と仲良くなっていることに嬉しさを感じていた。だが、それは直也とて例外ではなかった。
「先輩、お疲れ様です!」
「ん? ああ、ありがとう」
香澄は撮影が終わるたびに、部長の元へ行っては労いの言葉をかけていた。もちろんそれは部長だけにではなく、他の人のところにも行く。昭吾の元にも香澄は終わる度にやってくる。
「(でも、やっぱり……)」
内心、昭吾は映画研究会の部長のことが羨ましかった。部長であるが故に当たり前のことではあるが、彼が一番香澄と話しているようにも見えたからだ。
「くぅうううううううううう! 香澄ちゃんと一緒に出られるなんて最高だよな! しかも俺は主役だぜ!!」
「直也は演技が上手いからね。最初見た時僕もびっくりしちゃったよ」
「そうか? サンキューな! やっぱ勉強してた甲斐があったぜ!」
褒められたことが素直に嬉しいのか、直也の表情に笑顔が宿る。心なしか頬は赤く染まっていた。
この時昭吾は、直也にただ純粋に憧れていた。自分にはここまで熱中出来ることなんてない。映画研究会に入ったのだって、単にきっかけが欲しかったからにすぎないのだ。しかし、この部活に入ったところで、彼は未だに何かを見つけられずにいた。それゆえ昭吾は焦っていた。
「……ちょっといいかな?」
「え?」
そんな時、香澄が昭吾に話しかけてきた。
昭吾は心臓がドキッと高鳴ったのを悟られないようにしながら、香澄の方を振り向く。
「どったの? 俺らに何かお話?」
直也が少しふざけたような口調で尋ねる。
「ごめんね。高松君にちょっとね」
「ちぇー。なんだよ二人だけで大事なお話ってかー?」
口では残念そうにしているが、態度には全然出ていない直也。香澄は笑顔で謝りの言葉を述べた後で、
「撮影までしばらくあるし、ここじゃちょっと話しにくいから……屋上行こっか?」
「え……う、うん」
内心何の話があるのか疑問を抱きながらも、昭吾は香澄と一緒に教室を出て、屋上まで向かう。
その間彼らは終始無言だった。別に話す内容がなかったわけではない。会えば普通に会話する位には仲はいいはずだった。だが、ここで会話するのは何かが違うと、昭吾は悟っていたのだ。
香澄がどう思っているのかは昭吾には分からなかった。
「あ……」
気付けばすでに屋上に着いていた。
「どうしたの?」
小さく呟いてしまった昭吾の声が聞こえたのか、香澄が昭吾に尋ねてくる。
「な、何でもないよ」
少し恥ずかしがりながらも、昭吾は答えた。
そんな昭吾の態度に若干疑問を抱いていた様子の香澄だったが、その後すぐに屋上の扉を開いた。
扉を開いた先に待っていたのは、赤く染まった街の景色だった。普段は白いビルも、夕日に染まって鮮やかな赤にコーティングされていた。
昭吾はそんな光景に、何故か心を奪われていたが、すぐに目的を思い出し、
「えっと、それで話って、何?」
本題を切りだした。
夕日をバックにしながら、香澄は昭吾に問いかけた。
「高松君、もしかして迷ってる?」
「……え?」
その一言は、昭吾の意識を固めるには十分なものだった。確かに彼は悩んでいた。迷っていた。だが顔には出していないつもりだったのだ。
それだけに、香澄がそのことに気付いたのがかなり意外だったのだ。
「やっぱりそうなんだね。演技に出てたよ? 高松君が迷っている所が」
「演技に?」
「うん。私ね、中学の時から演劇部とかに入ってたから、誰かが演技してる所を見ると、その人が今どんなことを考えているのか、大体理解出来ちゃうんだ」
昭吾はただ純粋に驚いていた。さすがにここまで見抜かれているとは考えていなかったためだ。それと同時に、香澄のその観察力にも驚いていた。
構わず、香澄は言葉を続けた。
「高松君は誰かに気付かれないようにしてる感じがあるかな。何かに迷っている自分を、必死に隠し通そうとしてる。違うかな?」
「……そう、かもしれない」
『演技』でもそう考えているのかは、昭吾には分からなかった。だが、彼が自分の今の悩みを誰かに気付かれないようにしているのは、その通りであった。
香澄のその言葉は、決して外れていなかった。
「私でよければ悩みを聞いてあげるよ?」
昭吾はその言葉を聞いた時、心がかなり揺らいだ。
香澄になら話してもいいかもしれない。この気持ちを笑わずに聞いてくれるかもしれない。そして的確なアドバイスをしてくれる。そこまではしなくても、何か答えてくれるかもしれない。
同時に、打ち明けたくないとも思っていた。こんなことを香澄に言ったところで仕方ない。笑われるのがオチ。
二つの考えが、昭吾の心の中に浮かんで、激しくぶつかり合っていた。
「……それじゃあ、話してみる」
最終的に勝ったのは、前者の方だった。昭吾は今抱えていることを打ち明けた。
包み隠すことなく、すべてを吐いた。
香澄は、彼の言葉を真剣に聞いていた。笑うことなく、しっかりと聞いていた。
「そっか。高松君の迷いって、そういうことだったんだね」
「うん。おかしいよね、僕。今になっても何にも見つけられなくて……ただがむしゃらに足掻いてるだけで」
「それでいいじゃない」
「え?」
香澄から出た言葉は、昭吾にとって衝撃的なものだった。
およそ予想していなかった答えだったのだ。
「足掻けるだけ足掻いて、それで答えを見つけて行けばいいと思うの。答えを見つけるのが早ければそれでいい、ってわけじゃない。人によって見つかる時間は違うし、早い人がいれば、遅い人だっている。だから高松君はそのままでいいと思うんだ」
「そのままで、いい?」
昭吾は理解出来なかった。香澄が言っていることが、頭の中に入って来なかった。
「どんな人だって、最初は迷うんだよ。自分は何に熱中出来るのか、自分は何になりたいのか。それに悩むのは当たり前なの。私だってまだあまり見つけられてないしね」
「そうなの?」
「うん。私も、そのきっかけが欲しくて映画研究会に入ったんだもの」
この時昭吾は、心の中で思わず『意外だ』と呟いてしまった。香澄もまた、自分と同じような境遇に立たされているとは思っていなかったからだ。
安心もした。自分と同じように迷っている人がいるということに対する安堵の気持ちだった。
「きっかけを見つけようとしただけで、十分成長したって思えるんだ。自分から行動しようとしたんだもの、高松君は凄いと思う」
「!!」
最終的に映画研究会に入ろうと決心したのは、自分だ。
きっかけこそ直也が持ってきてくれたものであったが、この部活で活動して行こうと思ったのは、他でもない昭吾自身だ。
言葉遊びになるかもしれない。
それでも昭吾は構わなかった。
香澄の言葉は、昭吾の心を確かに軽くした。
「……ありがとう、上原さん」
「どういたしまして」
そう言った時の香澄の笑顔は、夕日に照らされて美しいと、昭吾は心の中で思った。
この時をきっかけとして、昭吾はますます香澄に惚れてしまっていた。
だが、あることを知ってしまったことがきっかけとなり、歯車が何処かで狂い出してしまう。
そのことに、昭吾はまだ気付いていなかった。