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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

失楽園行き

作者: 詠野佑耶

一部グロテスクな表現があるため、苦手な方は読まないことをお勧めします。

万が一警告を無視して読まれた場合、それによって起こることのすべての責任を、作者は負いません。自己責任でお読みください。

 深夜二時。

 無人の回送電車が気怠い空気をかき混ぜて、待機場所の駅へと去っていく。

 地下鉄の利用客の一人、都間木裕人(とまぎゆうと)もまた、その空気に感化されてぼんやりと天井を仰いだ。その拍子に腹が鳴る。

 俺は都内に通う大学生だ。

 大学の過密なスケジュールには慣れてきたが、人付き合いには今だ慣れない大学2回生。

 その大学生の俺は、参加したコンパの疲れが今頃になって押し寄せてきたのを感じ、ベンチでの一休みを終えたところだった。

 多少寝たためか、疲れた体が空腹を訴え、腹がきりきりと痛む。

 これは早々に食い物を胃にいれないとまずそうだ。

 昔から人付合いが苦手で、付き合いの浅いやつと飯を食おうものなら、腹痛で食い物も食えない。要するに、コンパじゃ俺は大抵食事ができない。そういう訳で、毎回強制参加のテニスサークルコンパでは、食いっぱぐれているのだった。

「腹、減ったなぁ……」

 空腹で、口の中から苦いつばが溢れてくる。

「あれ? 人間がまだいる」

 唐突に発された言葉に驚き、慌てて周りを見渡すと、無人の駅に真っ赤なワンピースを着た少女が首を傾げていた。

 終電時間もとっくの昔に過ぎたころなのに、こんな小さな少女がいるのはおかしい。

 ったく、駅員は真面目に仕事しろってのに…。

 そんな俺の内心のツッコミを余所に、少女は少しはりつめた空気をまとって話しかけてきた。

「人間がこんなところで何やってるの? 今は私たちの時間なのに。早く帰りなよ? 危ないから」

 少女の言葉が途切れたのち、その返事のように腹が酷く鳴った。恥ずかしさに慌てて腹を隠し、少し長めの前髪越しに少女を見やる。

 俺の反応が可笑しかったのか、少女はくすくすと笑いながら首を傾げた。

「お腹、空いたの?」

「……ま、まぁ」

 赤面して曖昧な返事をする俺に少女は一瞬逡巡して、

「これ、どうぞ?」

 赤黒いパッケージのお菓子を渡してきた。表面には『ちょこれぇと』と行書体で書かれている。

「え、あ、ありがとう……でも気持ちだ」

「それ、絶対に駅の外で食べてね。約束だよ? それじゃ」

 断ろうとした俺の言葉を遮る形でまくし立てると、少女はホームへ続く階段へと駆け足で去っていった。

 最後に一言。

「早く帰りなよーっ? でないと“その姿のまま“帰れなくなっちゃうから!」

 振り返ってまた、おかしな言葉を残して消えた。


「これ、どうしよう?」

 そう嘆く俺の手にはチョコレートが握られている。何かに急いた感じの不思議少女がくれたものだ。

 世の中には強引に優しくできるやつもいるんだと思う。

 渡された直後、たしか駅の外で食べるように言われていたが、調べたところ、終電の時刻を過ぎた駅から外に出る出口は、全て塞がれていた。まあ、どこで食べても問題ないだろう。

 俺はそろそろ自己主張の限界だろう胃へ、もらったチョコレートを送った。強引に破られたパッケージから出てきたチョコレートは、不思議な程にぶよぶよしてて一瞬吐きそうになる。

「……はぁ」

 やっぱり人にものをもらうもんじゃない。

 溜息をついて、力無くベンチに横たわる。

 人との接触はろくなこともない。面倒臭いだけ。相手のことを考えて、相手のペースに合わせるのは本当に面倒臭いし意味がわからない。

 なんとなくだが本音が零れた。本音はまだ流れ出す。

 何で俺は毎日毎日人と出会い交流していくのだろう。

 社会的に必要だから?

 くそくらえ。

 そんなことなら俺は社会なんていらない。社会や人間と触れ合うことのない、そんな世界に行ってやる。

 そのとき、階下のホームでブレーキ音が響いた。風が俺の元までやってくる。

 終電時間をとっくに過ぎたはずなのに……おかしい。

 弾みをつけて起きあがると、俺は転がるように階段を下りた。一陣の風が汗ばんだ体を煽って髪が乱れる。

 ホームに足を付けるや否や、辺りを轟音が包み込んだ。

「あれは……」

 輝く銀の車体。真横に幅広の線が引かれた特有の模様。

 電車が、重々しく息を吐いて停車した。

 全車両の扉が開き、しばらくして車掌のアナウンスが流れる。

「楽園行き、楽園行き。まもなく発射します。ご注意ください」

 軽快な音楽が鳴る。

 無人の車輌に誰も乗らない。

 誰もいないホーム。

 楽園という名の甘い誘惑。

 俺は……。

 考えるより先に足が動いた。

 無意識で楽園を望み、なぜだろう、楽園という名に希望を求めていた。ただ今思うことはひとつ。


“俺の居場所はここ(現実世界)じゃない”


 扉が閉まり、ゆったりと加速していく。

 流れる景色を見ながら席についた俺は、何かに違和感を感じて飛びのいた。


 ぐちゃ……にゅぷっ……ちゅぷにゅるっ……。

 

 俺のいた席が、赤黒く溶けていた。いや、車輌全体がまるで生き物のように動いて俺に迫ってきていた。その物体の表面は人のパーツが所々付いていて、そして嬉々とした様子で鳴いていた。


 〈……こっちへおいで……ら……くぇんにぃこお……〉


 人の唇が動き、小腸が触手のように俺の腕に巻きつく。

 「ぅあああ…く、くるなっ! 俺は仲間なんかじゃないっひいぃぃぃっっだ、誰か助けてくれ!俺が求めていたのはこんなのじゃ……」


 ――やっぱり、帰ってなかったのね。それにちょこれぇとも……。約束は、守らなくちゃ……。


 唐突にどこかで声が響いた。

 聞いたことのある、しかし誰だったか思い出すことのできない声。

 俺は無我夢中で叫んでいた。窓硝子に爪を立て、体半分を取り込んだ赤黒い肉塊から逃れようと、必死に体を捩る。

 「助けてくれ! どうなってもいいから、ここから出してくれぇぇぇ――――っ!」




 あれから一月がたった。

 俺は相変わらず現実世界にしがみついて、だけどどこか浮ついていた。ふと今でも、あの地下鉄でのことが夢だったのだろうかと思う時がある。

 あのとき女の子の声が聞こえて、目が覚めたら、俺は自分の部屋で横になっていた。全身汗だくで、その日はバイトをキャンセルしたくらいだ。

 ……でももう、どうだっていいんだ。だって、俺は今でも変わらず世界に立っているのだから。

 今日も帰るのが遅くなって、家路を急いでいた。

「やっべ! もう二時過ぎたしっ!」

 時計は深夜二時を軽く越えていた。更に走るスピードを上げる。

 よし、あの角を曲がれば家だ。

 角を曲がり、一歩踏み出す。しかしそこに、家はなかった。

「こんばんは」

「君は!」

「ちょこれぇと、おいしかった?」

 本来なら自宅が見える位置に、少女が佇んでいる。

 しかし、そのどこかが歪んでいて、ねじれていて、まるでたとえるなら、そう。


 その空気は、異世界だった。


「あ、ああっ……。とてもおいしかったよ。それにしてもどうしてここに?」

「約束」

「約束?」

「約束したでしょう? 私はそれを、果たしにきたの」

 少女が綺麗に笑った。

「“どうなってもいいから、ここから出してくれ”って言ったよね? だから……」

「!!」

 俺の周りから、あの肉塊が迫り出してきた。

 俺を巻き込み取り込もうとする怪物。

 俺は無我夢中で腕を伸ばし、足を動かし抵抗する。

 でも、俺の体は脆い。

 喉が潰され、声をだすこともできない。

 腕が折られてちぎられていく。

 足は捻られ内臓はとび、瞳は抉り出されてまるで。

 俺は、俺を包む肉塊のごとく淫らな姿になりながら、それでも潰れた喉で叫んだ。音なき声はせき止められ、無情にも後悔や失望を胸へとせりあがらせていく。

「実はあの電車ね…人成らざるモノな『この子たち』が、人になるために乗るものなの。だから、楽園、なんだよ。けど、貴方は自分から楽園|(現実世界)を失うことを選んだ。私には貴方にとっての楽園が何かわからないけど、これで貴方が幸せなら、それだけで――」

 そこでふっと笑った少女は、俺が俺でなくなるまでずっと微笑み続けた。

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