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まじない師の白い指  作者: 駒鳥 紺
第1章 サバスの村編
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(3) 魂飛ばし

 聖堂を後にした二人の少年は、村を取り囲むように広がっているサバスの森を進んでいた。春も終わりかけた午後は、すでに初夏の匂いがただよう。木々は密生していて、土は湿っていた。


 ヨルバは無言でカジャの後について歩いていた。先ほどポーカスに渡された衣装は、大きさこそ合っているもののひどく歩きづらい。足を踏み出すごとに、薄布が膝に当たり進行を邪魔した。裾は度々地面に触れるため、早くも土がついている。


 カジャはさすがに慣れているようで、後ろを気にすることなくどんどん進んでいく。ヨルバもこの辺りは普段よく通るので、迷子になる心配だけはしなくて良かった。

 やがて、辺りが少しひらけた場所に出た。目の前にとんでもなく巨大な一本の大樹がそびえたっている。サバスのご神木だ。いったいいつから存在しているのか、見当もつかない。根本には大人でも入れる大きな洞がぽっかりとあいており、どこか不気味であった。風が吹くと、はるか上空にある葉の重なりが不思議なざわめきを歌った。梢の先についた若葉は、はっとするほど青い。生きているのだ。


「さて」

 カジャはご神木の根本に腰をおろした。木陰に入ると首筋を抜ける風が心地よい。

「気が進まないけど仕方がない。まずはたま飛ばしからだな」

「魂飛ばし」

 ヨルバは口の中で繰り返した。

「そう。お前、みなもは見れるんだろ?」

「みなも?」

「あーもう、これだから素人は」

 カジャは面倒くさそうに首を振った。

「黒い絵本をひらいたとき、辺りの様子が変わらなかったか?」

「うん、水の中に沈んでいるみたいだった」

「それそれ。その水の中の世界がみなもだ」

 そういえば、以前老婆に尋ねたことがあった。もう一つの世界は水の中に沈んでいると。

「みなもは魂の世界なんだ」

「それは、あの世ってこと?」

「んー、ちょっと違うけど、説明するの面倒くさいからいいや。とにかくやってみればわかる」

 カジャは胸元のポケットから親指大ほどの小瓶を取り出した。

「慣れれば何もなくてもみなもを見れるんだけどさ、お前は多分できないから、黒の絵本みたいに何かのきっかけが必要だ」


 硝子小瓶には、何かの葉が入っていた。カジャは取り出した葉を不燃性の布に置き火をつけた。じりじりと薄い煙が上がり、甘い匂いがただよってきた。

「こっち来て座れよ。目をつむって、匂いに集中するんだ」

 ヨルバは言われるまま、カジャの隣に座った。

「お前、何か動物飼ってるか?」

 突然の質問に、ヨルバは眉をひそめてカジャを見た。

「……何も」

「じゃあ、何でもいいや。動物を想像してみるんだ。あんまりでかいやつだと動かしづらいから、やめたほうがいいぜ。おれはいつも猫になる」

「猫になる?」

「ああ。自分の魂を動物の形にするんだ。人間のままでもいいけど、どうせだからすばしっこいほうが格好いいだろ」

 ヨルバは再び目をつむり、息を深く吸い込んだ。

 しばらくは闇が広がるばかりで、何ともなかったが、匂いを吸い込んでいるうちに胸の奥が熱く燃えだした。

「そう、いい感じだ。それがお前の魂だ。今度はそれを動物の姿に変えてみな」

 自分が姿を変えるなら何が良いだろう。ヨルバは今まで見聞きしてきた動物を思い返してみた。街と村を行き来するときに使われる馬や牛、野良猫、森に住んでいるジリスにウサギ。川で泳ぐ魚。しかし、どれもぴんとこなかった。

 もっと遠くまで行けるものがいい。何もかもを置き去りにして、遙かかなたまで行ってしまいたい。ふと、鷹の姿が浮かんだ。凶暴で力強く一瞬で獲物をしとめる鳥。しかし、想像するにはいささか難しすぎた。

 突然、黄色い何かがヨルバの胸のあたりで羽ばたいた。コニが昔飼っていたカナリアの姿だった。自分でも意外なほど細部まで思い出せる。小さく尖ったくちばしや、美しい羽の並び。


 気がつくとヨルバは一匹の小鳥になっていた。

 体に重みがない。カナリアとなったヨルバの魂は大きく羽ばたいた。すると、勢いよく前に押し出される感じがあり、ヨルバの肉体はご神木の根本に横たわっていた。その隣ではカジャも眠ったようになっている。

 水の中を飛んでいる。あたりは昨日と同じ透明な湖の底だった。鳥なのに泳いでいるのだ。

「なんだ、その小さな鳥は」

 カジャの体の後ろから、赤茶色の猫が顔をみせた。ヨルバは苦心しながらも旋回し、眠っているカジャの肩にとまった。

「まあいいや。これが魂飛ばしだよ」

「……僕、死んだの?」

「んなわけないだろ。ちょっとの間、魂を肉体から切り離しているだけだよ。ただ、あんまり長く魂飛ばしするのは良くないらしい」

 猫は落ち着いた様子でひげを伸ばした。

「ただ、そんな小さな動物で大丈夫かなあ」

 猫はカナリアを見上げた。今のヨルバは手のひらにすっぽりおさまるくらいの大きさしかない。いくら中身がカジャだとはいえ、猫の姿ににらまれると緊張する。いつ飛びかかってくるかと思うと、羽が逆立ちそうだった。

「じゃあ、次いくよ、次」

 猫はしなやかな動きで近くの木に駆けあがった。枝の上から辺りを見回し、何かを探している。ヨルバはふらふらしながら隣にたどり着いた。どうもまだコツがわからない。

「魂飛ばしをするときは、自分の肉体の安全に十分に気を配っとけよ。戻る体がなくなったら洒落にならないからな」

 ヨルバはうなずいた。確かに、あれでは無防備すぎる。


「さて、あそこにジリスがいるのがわかるか?」

 猫はくい、とあごで指し示した。すぐ下の茂みに、一匹のリスがいる。茶色い背中は土と同化して分かりづらいが、鳥になったことで視力も鋭くなったのか、正確に見定めることができた。

「今の姿は彼らには見えるの?」

「いいや。でも、人間よりはずっと敏感だから、気配くらいは分かるらしい。……いいか、集中してやつを見てみろ。どんな動物や植物にも魂があるんだ」

 ヨルバは小さな背中を穴があくほど見つめた。頭に鈍い痛みが走ったが、ジリスの体の中心に薄く光る物体が埋まっているのが見てとれた。

「小さな灯りが見える」

「それが魂さ。いいか、よく見とけよ」

 猫はにやりと笑って、伸びをするように上半身を低くした。そこから一気に後ろ足を蹴り、木から飛び降りた。ジリスは何かを感じたのか、顔を持ち上げ辺りをきょろきょろ見回す。カジャはひとっ跳びでそこに辿り着き、そして大きく口をあけた。

 ヨルバはあっと息を飲んだ。

 が、カジャはジリスを食べたのではなく、その小さな灯りを舐めただけだった。当のジリスは一瞬びくりと小さな身を震わせたが、すぐに森の奥に走り去っていった。


 魂になったまじない師は、他の生き物の魂を食べることができる。

「魂を食べられたら、死んじゃうんじゃない?」

「いや、正確に言うと、魂は食べられないんだ。今おれが食べたのは、魂の上澄みって呼ばれている部分さ。果物を想像するとわかりやすい。種や芯の部分が魂の核で、これは硬くて食べられない。果肉は魂の上澄みで、こっちは柔らかくてうまいんだ」

 猫は目を細めて、口の周りをつくろった。魂がうまいなどとは考えたこともなかったので、ヨルバは面食らってしまった。

「まあ、実際に魂喰いをするのは、また後日にしたほうがいいかもな。お前、髪も短いし、そろそろ戻らないと大変なことになるぜ」

 カジャの言ったとおり、元の体に戻ったヨルバはいきなりうめき声をあげた。全身が細い針で刺されたように痛むのだ。少しでも腕を動かすと、関節がぎしっと振動した。

「な、何これ……」

 これでは息をするにも一苦労だ。

「あーやっぱり長すぎたかなあ。ま、せいぜい苦しむといいよ」

 カジャも額にうっすらと汗をかいていたが、あっさりと立ち上がり地面に寝ころぶ少年を見下ろした。

「じゃ、おれは帰るから。精霊様の祝福を! 次の補習はその体が治ったらだな」

 猫のように軽い足どりで、カジャは姿を消した。頭の飾りが、シャンシャンと子気味良い音をたて、やがて聞こえなくなった。いつの間にか西の空は真っ赤に染まり、冷たい風がヨルバの汗ばんだ体を冷やした。

 置いてきぼりにされた怒りよりも、まずはどうやって村まで帰るかのほうが先決問題だ。ヨルバは近くに転がっていた枝を使い、なんとか立ち上がった。

 夜の森は恐ろしい。ヨルバは一度、森で熊に襲われたこともある。そんなことは百も承知だ。

「家に帰るのはあきらめよう」

 この調子だと夜明けまでかかってしまう。それよりは、ご神木近くに住んでいる老婆のほうがまだ希望がありそうだった。

 すでに暗くなっている空を背に、ヨルバは地面にひとつひとつ足跡をつけるように進んだ。少しでも明るいうちに辿り着かなければならない。夜の森は闇と獣の世界だ。


 しかし、いくらも進まないうちにヨルバは樹の根につまづいて地面に倒れた。同時に杖代わりの枝も放り出された。すでに夜に覆われた森では、夜目もきかない。

 ヨルバはひれ伏したまま、唇をかみしめた。

 ぱきり。

 枝を踏み折る乾いた音がした。橙色の灯りに照らされ、ヨルバは土にまみれた自分の手と、誰かの足を見た。

「ヨルバ、あんた何て格好をしてんだい」

 カンテラを掲げていたのは、粗末な身なりの老婆だった。

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