第52話 二人の婚約者
王城での三日間は、慌ただしさと華やかさが入り混じる、どこか夢のような時間だった。王女さまとの婚約は正式に認められ、周囲の空気も変わって否応なくその中心に立たされることになるのだけれど――僕は負けない。
セフィリア様はこれからの生活に期待してるようで、とても嬉しそうに微笑んでいた。
その後、一緒にノルヴェルンへと帰る彼女の身支度と諸々の準備のため、ぼくらは王都の別邸に二週間ほど滞在することになる。その間、家族で王都を観光し街を歩きながらも、頭の中ではこれからやるべきことを何度も整理していた。
王女さまとの婚約、聖女、精霊、そして――ジェシカのこと。考えれば考えるほど、大きな壁が幾つもあるような感覚に襲われた。
やがて出立の日を迎え、エルディア家の隊列に王女一行が加わったその光景は、まるで一国の行幸のような壮観さを誇っていた。二百を超える人員が整然と進む様は圧巻で、街道に並ぶ人々が息を呑むのも無理はない。
初めての長旅に臨むセフィリア様の体調を最優先にしながら、慎重に、しかし確実に進み続けた一行は、ほぼ一か月をかけてノルヴェルンへと帰還した。
そして――その大仰な一団を出迎えたのは、整列した使用人たちと共に、その最前列で腕を組み明らかに怒気を纏って仁王立ちする少女だった。
「あんた、いつまで待たせんのよ!!」
低く、抑えきれない感情を滲ませた声に、思わず背筋が凍る。
「ひっ、ひええぇえ!?」
ジェシカだった。隣にはご両親の伯爵夫妻の姿もあり、どうやら父さまが逐一状況を伝えていたらしい。事情はある程度共有されていて、ぼくの婚約についても理解を示してくれていると聞いたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。
王さまに許可を得ているようで、昔から親交があり馴染みのあるアルブレイン家には、父さまからセフィリア様との婚約、聖女、精霊、そして今後の予定も全て説明した。静かに耳を傾けていた伯爵は、最後に深く頷き、エルディア家と共に歩むと迷いなく明言してくれた。その言葉には重みがあり、同時に強い後ろ盾を得た安心感もあった。
けれど――ジェシカは、ちょっと違った。
彼女は腕を組んだまま、視線を逸らし頬を膨らませ拗ねている。怒っているのは明らかだ。その奥にある感情が、どうしようもなく伝わってきて胸が締めつけられた。
翌日の昼過ぎ、ぼくは彼女を連れ出した。
向かったのは、あの黒薔薇の丘。街並みを一望できるその場所は風がよく通り、どこか特別な空気を纏っている。緊張で指先が震えるのを抑えながら、ぼくは花束と小箱を握りしめていた。
「……何よ、こんなところに呼び出して」
ぶっきらぼうな声。
けれど、その目はどこか期待を含んでいて――絶対に逃げるわけにはいかなかった。
深く息を吸い、吐き出し、伝える覚悟を決める。
「ジェシカ、聞いてほしい」
言葉を選びながら、それでも逃げずにまっすぐに向き合う。
「こういう形になってしまったけど……ぼくはずっと、君のことが好きだった。元気で、誰よりも強くて、何よりも自分にも周りにもまっすぐで……そんなジェシカを、尊敬してる」
ジェシカの表情が、わずかに揺れる。
「ぼくと……結婚してください」
震える手で、小箱を開けた。
風が吹き抜ける。美しい黒薔薇たちが揺れる。世界がやけに静かに感じられる中で――
「……私の方が先だったのに」
ぽつり、と零れた声は想像していたどんな反応とも違っていた。
「えっ?」
「私の方が!先に!!好きだったのにーー!!!!」
次の瞬間、ジェシカは思いきりぴょーんと跳びかかってきて、そのままぼくは地面に押し倒される。
「側室ってなによーーー!!二番目って何!?このバカーーーー!!」
「うわっ、ちょ、待って!?」
容赦のない拳が降り注ぐ。痛い!普通に痛い!
「この女ったらし!!何、他の女連れてきてんのよーーー!!」
「ご、ごめん!ごめんって!!」
何だか思ってたことと、ちょっと違ってた!ヤキモチこれ!?
ぽかぽかぽか!ボカボカボカ!!
ジェシカに必死に弁解しようとしても、言葉は全部かき消され、気づけば二人で地面を転げ回っていた。逃げるぼくに追うジェシカ。怒りと涙と笑いがぐちゃぐちゃに混ざって、何が何だか分からなくなる。
やがて、綺麗だった服がボロボロに破れて汚れて、二人して疲れ果てて動けなくなったころには、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
荒い息のまま、ジェシカはぼくの胸に額を押しつける。
「……ほんと、あんたバカね」
小さく呟いたその声は、もう怒りだけじゃなかった。
そして、不意に顔を上げたかと思うと――ちゅっと唇が、重なった。
えっ……???
一瞬だったのに、時間が止まったみたいに長く感じる。
「……こ、これで、許してあげるわっ!」
顔を真っ赤にしたまま、彼女は勢いよく立ち上がり、そのままピューンと丘を駆け下りていった。取り残されたぼくは、ただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
そして指輪は結局、家に帰ってからちゃんとお渡ししました……。
それからというもの、ジェシカは何かにつけて距離を詰めてくるようになり、「ねえ、私のどこが好き?」と愛情を確かめるように何度も問い詰めては、納得するまで離してくれない。それも毎日だ。
「ねぇねぇ、私のどこが好き?」
「り、凛々しいところ……!」
「それはこの前聞いたもん、全然足りない……他には?」
セフィリア様もその様子を興味深そうに……というか羨ましそうに見つめていて、いつの間にかぼくは、毎日のように二人に愛を語る日々を送ることになった。目茶苦茶照れるんだけど、それでも二人のお嫁さんを迎えるのだ。絶対に二人の気持ちを蔑ろにしたくない。なんだか語る言葉が父さまみたいになってきた。
そんな日々が始まり、忙しいけど幸せだった。
ジェシカは婚約を機に完全に屋敷に住むことになった。いつの間にか屋敷の一部屋に彼女の私物が運ばれている。でもぼくは、セフィリア様とジェシカ、二人の婚約者同士の関係に実は心配もしてた。
でも、彼女たちはすぐに打ち解けて、とても仲良くなった。面倒見のいい姉御肌のジェシカは、儚そうでか弱いセフィリア様を自然と気遣い始めた。セフィリア様もまた、そんな同じ年の頼りになる彼女に心を開いていったように見えた。
「セフィもステラも、私が護ってあげるわ!安心しなさい!!」
「えっ、ぼくも!?」
胸を張って宣言するジェシカに、思わず聞き返すぼく。
「あなた、か弱いもん」
「うぅ……」
そして即答される。そのやり取りに、セフィリア様がくすくすと微笑んでいた。
騒がしくて、賑やかで、でもどこか温かい――そんな幸せな日常が、少しずつ形になっていった。
そして時は巡り、子供のぼくたちは少しずつ大人へと近づいていく。
笑い合った日々を胸に刻みながら、季節は緩やかに流れゆく。無邪気だった時間はゆっくりと色を変え、ぼくたちは知らぬうちに、次の幕の縁へと導かれていた。
物語は、静かに次の章へと移り変わる。
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