第50話 闇の王は泣き崩れる
闇に沈みきった大封印の中央で、リリスは両手を床につきながら肩を震わせていた。
荘厳な黒のドレスは皺だらけになり、長く美しい黒髪は乱れ石床に広がり、ルビーのような紅玉の瞳は涙で潤み、その雫がぽたりぽたりと地へ落ちゆく。封印の内側に広がる闇そのものが湿り気を帯びていくのだから、王の感情がいかにこの空間と結びついているかが分かるというものだ。
「うっ……うっ……うわぁぁぁん……」
堪えきれぬ嗚咽が響き渡り、その余韻が幾重にも反響して、まるで深淵そのものが泣いているかのようにさえ聞こえる中、側に控えるベルリッタは眉ひとつ動かさず、しかしどこか慣れた調子でハンカチを差し出した。
「ほら、元気をお出し下さいませ、リリス様。お顔が大変なことになっておりますよ、威厳がどこかへ旅立ってしまいました。べっちゃべちゃです」
その声音は穏やかだが内容は容赦がない。それでもリリスは差し出された布をひったくるように受け取り、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら訴える。
「だってぇ……婚約とか……しかも二人もなのよ……!私を差し置いて二人ってどういうことなのよぉ……!何で私が!そこに入ってないの!!」
闇の王が地面を叩き、足をぱたぱたと振れば封印の空間はびりびりと震え、遠くに浮かぶ結界の光の紋様がわずかに明滅する。それはこの世界を閉じ込める“大封印”の結界であり、今にも崩れそうに無数の亀裂が走りながらも、なお圧倒的な力で彼女たちを押さえ込んでいる檻だった。
「私達は人とは異なる存在でございますし、結ばれることはありませんと、以前から申し上げておりますが……?分かっているでしょう?」
ベルリッタが淡々と事実を重ねると、リリスは涙で濡れた顔を上げ必死の形相で食い下がる。
「諦めないでよぉ!どこかに何か、奇跡とか裏技とか抜け道とか、あるかもしれないじゃない!」
「世界の理を裏技呼ばわりなさるのは、おやめ下さいませ」
「私の方が胸大きいもん!」とぐずりながら放たれる主張に、ベルリッタは堪え切れずに口角を上げた。主は完全に色ボケしている。大変おちょくりがいがあるというもの。
リリスはステラの婚約話が上がってからというもの、病気のように頻繁に泣き崩れるのだ。楽しくってしょうがない。
しかし今日のベルリッタは、ただ面白がっているわけではない。ステラの婚約相手の一人が“聖女”であるという事実、大聖女の化身まで現れたのだ。それがかつての因縁を否応なく呼び覚ましていた。
「……それより、よろしいのですか?聖女でございますよ」
その一言で、リリスの動きが止まる。涙に濡れていた瞳が静かに細まり、空気の温度がわずかに下がった。
「もう、いいのよ」
低く、だが揺るがぬ声でリリスは言う。かつて同胞を滅ぼし、自分達をこの大封印へ閉じ込めた“大聖女”への憎悪は、長い時を経てなお消えていないはずだった。だが彼女は続ける。
「あの大聖女も、人間達も……結局は“アレ”に騙され、唆されただけだった」
「はい」
「何より、ステラくんの婚約者に何も罪はないわ」
ステラによりリリスはとっくに人間への怒りの炎は鎮火されていた。慈愛さえ零れるリリスに、ベルリッタは静かにうなずき、嬉しそうに笑顔を見せた。
「でも、”アレ”だけはこの世から消さねばならない」
「はい」
「ステラくんとの出会いは運命だったのね……神が描いた台本かしら?」
リリスの瞳に光が宿り、蠱惑の微笑みが浮かびあがる。
「ノルヴェルンに精霊の御子に聖女まで揃い、あれだけの光の精霊が集い力を増せば……」
「狂った”光の王”が喰いに来るでしょうね」
ベルリッタが呟き、リリスは狂暴な笑みを浮かべ宣言した。ベルリッタは敬愛を込めて頭を垂れる。
「釣り上げる最高の舞台が整ったんだもの。来るなら来なさい、塵も残らず消してやるわ」
「はい、どこまでもお供しますよ、リリス様」
闇の王と対を成す、”光の王”。共に世界の調和と安寧を司る守護者。だが循環を拒否し長く生きながらえたアレは、狂気の王へと堕ちた。
「亀裂は増えているのに、力は落ちていない……本当に、忌々しいほど見事な封印でございますね」
「うーん、あとどの位かかるかしら?でも、時間の問題でしょう」
頭上に広がる巨大な光の紋様は至る所に亀裂を走らせ、今にも砕け散りそうに見える。近づけば圧力が押し寄せ、マナも押し返される。その力は千年を経てもなお最後に残る意志の力だけで、必死に凄絶なまでに彼女たちを押さえつけているようだった。
「早く大封印から出て……ステラくんを愛でないと!」
「目的が変わってますよ?リリス様」
「早く!早くしないと!女狐共に奪われる前に……!」
「既に奪われてますよ?婚約成立しております」
「どうしてあなたは、そんな酷いことばかり言うのっ!?」
「事実です、リリス様。現実を見ましょう」
再び威厳は砕け散り、床に転がり子供のようにぐずりだす闇の王。先ほどまで世界の存亡を語っていた存在が「私の方が胸大きいもん……!」などと張り合っているのだから、この人は愛らしいのだ。
ベルリッタは今日も容赦なく追撃する。
「ちなみにすぐに同棲生活が始まるそうですよ?リリス様」
「やめてえぇぇぇ!」
「ラブラブですよ?ラブラブ。寝取られまで直ぐです」
絶叫が封印空間に反響しリリスの体からマナが迸ると、ひび割れた結界と光の紋様が激しく震えた。その様子を見上げながらベルリッタは思う、恋に狂う主をおちょくれば大封印が早く解けるかもしれない、と。
「うわぁ~ん」と泣き崩れるリリスを、もっと虐り倒すことに決めたベルリッタであった。
そしていつか封印が砕けた先に、長く生きて狂った光の王と、色ボケに狂った闇の王が相対するのだと想像し、ほんの少しだけ遠い目をしたのであった。
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