第22話 黒薔薇がこわい
次に目を覚ましたとき、ぼくは自室のベッドに横たわっていた。天井は見慣れているはずなのに、どこか心の奥に冷たいものが残っている。
そして腕に絡みつく、柔らかい重みを感じた。
――黒薔薇さん。
花をそっと開き、心配そうに覗き込んでくる。
その仕草はまるで「大丈夫?」と問いかけているようで、本当なら安心と嬉しさを覚えるはずなのに……。
「わ、わぁっ!」
あの光景が頭に蘇り、口から叫びが漏れてしまった。
地面を割り、大地を振動させて伸びる無数の幹のような太い蔦。あっという間に捕らえられた、たくさんのウサギたち。大きなクマさんの首が、一瞬のたったひと振りで空へ舞った瞬間。その先で斬り裂かれた森の木々が、時間差で深い音を響かせて倒れていく光景――。
黒薔薇の、“闇”があまりにも鮮烈すぎた。
ぼくの体は震えていた。
こ、こわい——黒薔薇が、こわい……!
「ご、ごめん……っ!」
ぼくは震える手で蔦をほどき、黒薔薇を花瓶に押し込むと、踵を返して脱兎のように駆け出した。足音が廊下に響く、逃げるように。
母さま——母さまのところへ行きたい。
外へ飛び出すと、昼下がりの陽光が柔らかく庭に降り注いでいた。少しずつ傾き始めた陽の光が、中庭を黄金色に染めている。
そして、その中心に——母さまはいた。
透き通るような白銀色の髪が日差しを受けて輝き、薄い布地のドレス越しに綺麗な体の曲線がほんのり透ける。胸元には陽光がすべり、まるで聖女の絵画のように慈愛に満ちていて、優雅でどこか現実味のない美しさ。
風が吹けば、母さまの髪が光の粒となって舞い散るようで。思わず見とれてしまった。
傍まで行って、ぼくの足音に気づいた母さまが、振り向いた。
「まあ~……、ステラ~?」
その声音は、陽だまりのように柔らかい。笑みは温かく、見るだけで胸の苦しさがほどけていくようだ。
「母さまっ! く、黒薔薇がっ……! 」
でも、思いが言葉にならず詰まってしまった。
「……おいで~?」
母さまは腕を広げ抱きしめると、ぼくを包み込んでくれた。
抱きしめられた瞬間、ふわりと甘い香りが鼻を抜けた。肌に触れる体温は驚くほど柔らかく、胸元のあたりに顔を埋めると、心の音色が優しく響いてきた。
「大変だったみたいねぇ……ステラ~。大丈夫かしら~?」
背をなでる手が、泣きそうになるほど優しい。
「うん……、こわかったよ……」
母さまはぼくの頭にゆっくり口づけを落とすように近づき——髪をさらりと撫でた。
「よしよし~、大丈夫よ~、私がいるわ~」
にっこりと笑顔で言うその姿はどこか慈愛の聖女めいていて、胸元に触れるその温かさは、柔らかく安心感に満ちていた。
にこにこと、いつものように頭を優しく撫でてくれる。気持ちが徐々に落ち着いてきた。
そうしてしばらくすると、母さまは言った。
「…………今まで黙っていて~、ごめんなさいね~」
「えっ?」
ぼくが顔をあげると、母さまはどこか寂しげな、でも美しすぎる優しい笑みを浮かべていた。
「本当ならね~、もっと早くに~、お話ししたかったの~」
「……話って?」
「ふふふっ、ようやく“許し”が~、下りたのよ~」
えっ?許し?
意味が全く分からないんだけど??
けれど母さまの口調は、どこか祝福を告げるように柔らかくて——
「だから~、まずはね~……」
母さまはゆっくり立ち上がり、スカートの端を軽く持ち上げてくるりと一回転した。
太陽の光がその身体を包み、まるで後光のような輝きが広がった。
そして——にっこりとまばゆい笑顔で声高らかに宣言した。
「これから~、庭園でお茶会をしましょう~~♪」
「えっ???」
そのとき、母さまを中心に柔らかな光が「ぱああっ」と輝いて、中庭の空気が温かく染みわたるような、優しい風が吹いた。
な、なんだろう。
ぼくの胸の奥のざわつきが、不思議と静かに溶けて無くなっていった……。
あったかい。
第1章 完
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