学問の学ぶことの意義(雑)
ぼけーとして思いつきで書いたものです。正確性はありません。
昔は一部の理論的な議論すぎないと思われていたが、現在では社会や科学技術の基盤などになっている知識が存在している。
例えば、20世紀初頭においてのアインシュタインの相対性理論はGPS測位システムの誤差補正、原子時計の精度向上、宇宙探査の軌道計算などに使われている。そしてシャノンが書いた情報理論はインターネットの基盤として使われている。
またさらに遡り、19世紀のフーリエ解析が画像系に作用したり、15~17世紀にかけての学問が近代医学・工学・科学の基盤となっている。そしてまた非ユークリッド幾何学でさえ当初は遊戯扱いされたが、アインシュタインの一般相対性理論の基盤となっている。ただでさえ2000年前に生まれたものでも今の基盤となる。
では「役に立つ知識」とは何?という疑問が浮かんでくる。ここで覚えてほしいのは知識とは時間変化で置き換わるものだということである。
ここで【探求の累積が知恵となり、その累積が知識となり、知識が現代社会を形ずくった】という公理に近い考え方を導入しさらに「役に立つ知識」は実用性を指しているわけではないとする。
具体例より知識、知恵、探求の意義は、その瞬間には見えなくとも時間が十分に経過した後に現れることがわかる。
ゆえに「役に立つ知識」とは常に事後的な解釈にすぎないことが求められる。
つまりこの視点において、学問を区別して『役に立つ・使えない』と切り捨てることは浅い思考であり、むしろ、まんべんなく学ぶことこそが何らかの発展を生むかもしれない。
知恵においても同様なのでゆえに、<知恵となったものがいつか役に立ち、どんな知識でもいつか役に立ちつ、であるからまんべんなく学ぶことで発展する。>が成り立つ
(一方で使わない知識は時間とともに消えていく性質も持っているよね)
(公理に近い考え方に関係するけど偉人たちの狂気ともとれる熱意によって生みだされるものが今の知識といえるけどそれ以外の研究者がいたからともとらえることができるね)
まんべんなく学んで、少しずつ狭めていくのが最適ですよね。
追記:これは自分なりにいつもと違うきがしたのでこれを”雑文”とします。




