信頼
夕食は口に運んだはずなのに、味をほとんど覚えていない。
子どもたちの笑い声も、皿を片付ける音も、遠い水音のように過ぎていった。
夕食の後、部屋に戻るとカイルがベッドに座って待っていた。
机の上には灯りがひとつ。
小さな炎が影を揺らす。
「で、何があったんだよ」
開口一番、カイルが切り込んでくる。
狩りから戻ったときのあの表情。
あのリリの様子を見て、気づかないはずもなかった。
俺は椅子に腰を下ろし、短く息を吐いた。
「……リリに、養子の話が出た」
「養子? 貴族にか?」
カイルの目が鋭くなる。
簡単に、今まであったことを説明する。
ライオネルの来訪から今まで。
そして俺の知る、リリの過去も。
説明を聞き終えると、カイルはしばし黙り込んだ。
やがて、低い声でぽつりと漏らす。
「……だからか。あれは……」
納得した気配と共に、カイルの瞳が遠くを見て何かを思い返す。
カイルは腕を組み、しばらく黙っていた。
やがて、息を吐くように言葉を落とす。
「お前もわかってんだろ?あれは、相当やばいぞ」
カイルが俺に睨むように目を向ける。
俺はそれを直視できず、視線を逸らす。
「わかってる……」
顔を天井に向け、どうしたものかとため息を吐く。
養子として送るとしても、今の危うい状態では話にならない。
だが、ライオネルが去るまでの短い時間で打ち消せるほど、リリの過去は軽くないのは察していた。
リリのあの状態は、言わば”貴族への恐怖”の副産物だ。
恐怖から身を守る拠り所を探して、偶然俺が選ばれて、離れられなくなった。
そういう話。
だから根本にある恐怖さえ解決できれば良い方向に進むはず……。
「もういっそ、お前も一緒に行けないのか?」
「無理に決まってんだろ、他国だぞ」
呆れ半分に答えると、カイルは黙り込んだ。
しばらく顎に手を当て、眉間に皺を寄せ、なにやら必死に考えている。
「……じゃあ、こっそりついていくとか……」
「それができるなら俺らはとっくにリュミエルに向かってる」
「……だよな……じゃあ、貴族に売り込んで護衛として――」
「無理に決まってんだろ。同じ獣人のお前ならともかく、影持ちの俺に誰が頼むんだよ」
俺は左手を掲げる。
普段は皮手袋に押し込めて隠している左手を、今はそのまま晒していた。
ここには俺たちしかいない。
だからこそ、刻印を隠す必要もなかった。
淡い灯りに照らされ、黒い痕が皮膚の上で不気味に浮かび上がる。
言葉にしなくても、それだけで十分な答えになった。
「じゃあ――」
「――無理だ」
「こっちなら――!」
「――そもそも実現できない」
首を横に振り案を否定する。
次々と浮かんでは却下される案に、カイルは頭をかきむしった。
やがて両手を大げさに振り上げ、天井を仰ぐ。
「うぉお、むずすぎる!」
そのまま降参のポーズでベッドに身を投げ出す。
そして少し顔をベッドに埋めて悶えてから、ひょこっとこちらへ顔を向けた。
「因みに、お前は何か案は思いついてないのか?」
「……名案を思いつけてたら、もっといい顔してたな」
「ああ、そういう感じか」
言い方からカイルも察してくれたのだろう。
これ以上深くは聞いて来ない。
その代わり一言だけ残す。
「――まぁどんな方法だとしても、俺はお前を信じるぜ」
それだけ言って、天井を見つめたまま黙り込んだ。
部屋にしばし静けさが落ちる。
その沈黙を破るように、俺はふと口を開いた。
「……もし仮に――俺がリリに最悪なことをしたとして、お前は俺を信じたままでいれるのか?」
カイルは小さく「……また難しいこと聞くな」と呻き、額に腕を乗せて黙り込む。
しばし天井の木目を追ったあと、観念したように肩をすくめて顔をこちらへ向けた。
「んー、まぁ内容次第だが――でも、お前がそういう事をしたのには、それなりのワケがあったってことだと思う。だから、お前を信じる」
「何年一緒にいると思ってんだ」と追加で言う。
俺たちは、互いに長い年月を肩を並べて生きてきた。
時にすれ違いもあったが、そのたびに積み重ねてきた信頼がある。
その信頼があるからこそ、相手の選ぶ道をなんとなくでも尊重できるのだろう。
たとえその先が、闇に続いていようとも。
「そうか、ありがとう」
「気にすんなよ。それよりなんで急に――」
コンコン、と乾いた音が会話を断ち切った。
「……ソーマ、おき、てる?」
扉の向こうから俺を呼ぶリリの声が響く。
落ち着きのない、不安に支配されているような。そんな声。
「少し、行ってくる」
「おう」
カイルが軽く返す背中を横目に、俺は扉へと歩み寄る。
その瞬間、胸の奥に言葉がこみ上げた。
「……後のこと、任せるかもな」
その呟きは小さすぎて、カイルには届かなかった。
胸の奥に滲む思いは言葉にならず、静かに沈んでいく。
俺はそっと扉に手をかける。
心の奥底で固めた決意を、誰にも告げることなく抱えたまま。
ただ静かに、リリの声のする方へ歩み出した。




