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  仁朗が眉尻を下げ、口をへの字に曲げている。怒りと悲しみがない交ぜになった複雑な表情だ。薬研の駒を動かしているとき以外は、一所にとどまっていることはないような仁朗が、今は切り株に座り、微動だにしない。

「なんでだよう。」

泣きそうな顔でつぶやいた。

神近もつられて悲しい顔をしながら、ただ目線は木々へ向ける。今、山の中でホウノキを探しているのだ。元々、今日は山に入る予定だったが、朝の仁朗の様子をみて神近は延期を申し出た。しかし、仁朗は譲らず決行となった。案の定、一緒に来たものの全く役に立たない。

昨日、かえを夏祭りに誘ったところ、他の男と行くと断られた。仁朗とかえは手をつないで二人で出かけるような仲だった。はっきりとした言葉はないものの自他ともに認める恋人だったのだ。夏祭りに他の男と行く、要は恋人関係の解消を告げられたという事だ。仁朗にとっては青天の霹靂だ。ただ、最近仁朗はかえと過ごすより、神近と過ごしていることが多い。それは仁朗が進んでそうしているのであり、神近は逆に気を遣ってくれている。仕事や他の人間関係に差しさわりのないように配慮を感じるくらいだ。だからこそ、誰のせいでもなく自分のせいだ。どうしたらよかったのか、どうしたら元に戻れるのか。頭の中を様々な感情が入り乱れている。暑いのか寒いのかもわからない。蝉の声がする、夏真っ盛りである。空の青さも一層増しているようだが、仁朗には灰色に見える。

 

 仁朗は一息吐いて、顔を上げて奥の方を指さす。

「先生、あれ。」

それだけ言ってまたうなだれた。

花が咲いているときに来ればもう少し早く見つかったかな、と思いながら指さされた方向の木を見つめ近づく。鳥の卵のような形の大きくて美しい葉だ。平常時、仁朗は事も無げに細微にわたって正確な絵を描く。神近が目をみはる程である。だが今日は期待できないため、神近が筆を走らせる。手際よく樹皮を剥ぎ、ホウノキの葉をいくつか集めて籠に入れた。

「仁朗さん、ありがとうございました。戻りましょうか。」

「神様。俺は女心がわからん。」

顔を少し上げて言った。

「私は女性だけでなく誰の心もわかりませんよ。」

「励ましになってない・・・。こののどがつかえるような、気持ち悪いような感じは何でしょうか。」

「気が滞っているのです。これが効くかもしれません。」

神近は先ほど取った樹皮を指さした。仁朗の背中を両の手で優しく押して、立たせた。

「他にはというと・・・・無心になることもいいですね。では、走って帰りましょうか。」

「せーの。」

神近は籠を背負い軽やかに走っていく。あっという間に遠くなっていく背中を見て、思わず仁朗も走り出す。

「神様、速すぎる」

 額から汗が噴き出す。転ばないよう足元に気を配る。神近の背中が近づいてきた。木々を通り過ぎる風が心地よい。開けた場所につくと雲一つなく、きれいな青空が見えた。

突如、神近がしゃがんだ。何かを見つけたようだ。

「すっきりしましたか。」

「すっきりどころか、汗でべたべたですよ。でも、嵐だった心の中が曇りくらいになりました。」

「よかった、よかった。」

神近は土を掻き分け、丸い実のようなものを掘りあてた。

「まださすがに小さいか。これはカラスビシャクの根、半夏はんげです。一緒に掘ってもらえますか。土と触れ合う時も無心になっていいです。次は心の中が晴れますよ。」

「こんなのでは変わりませんよ。」

口をとがらせて悪態をついた割には、仁朗は素直に土を掘り始めた。

「十分ですね。じゃあ行きましょう。」

「まだ走りますか。」

仁朗がまた口をとがらせて聞いたところ、笑いながら神近が答える。

「仁朗さんが走るようならお供しますよ。」

「もういいです!」

「じゃあ歩いて隣町まで行きましょう。もう少し付き合ってください。」


 店が並ぶ大通りに位置し、一際大きい店に神近が入っていく。

「久宝屋」重厚な看板と店構えに、仁朗は少し躊躇する。入ってすぐに店の男が声をかけた。

「神近先生、こんにちは。店主を呼んで参ります。お座りになって少しお待ち下さい。」

仁朗が店を見渡すと、壁に無数の引き出しの付いた棚が並んでいる。あの一つ一つの棚に何か入っているのだろうか。気の遠くなる数である。自分の腰かけた椅子の周囲を見渡すとざるに載せられた、種や葉、樹皮、セミの抜け殻などが整然と並んでいる。そして、色んなものが混ざった複雑な香りがする。

仁朗がここは何の店か聞こうとした時に、奥から店主であろう目元が涼やかで恰幅のいい御仁が現れた。

「神近先生、一月ほど音沙汰なく心配しておりました。」

「太兵衛様、こちらは今お世話になっているお宅のご子息、仁朗さんです。」

仁朗は頭を下げた。太兵衛が座敷に案内しながら話す。

「もう蝉退せんたいが入ったのですね。」

神近が目を輝かせている。

「昨日ですよ。さすがお目が高い。」

「ところで太兵衛様、最近藤木殿に会いましたか。」

「和総でたまたまお会いした際に、神近先生を探しているとものすごい剣幕で詰め寄られましたので、つい。」

太兵衛は苦笑いする。

「やはり。先日現れて説教を一時程くらいました。」

神近も苦笑いする。

「それで、連れていかれなかったのですね。」

「はい。今はここでやりたい事がありますから。」

そこで神近は籠からホウノキの樹皮を取り出す。

「いい厚朴が作れそうですね。先生がとられたのですか。」

「仁朗さんに協力していただいて」

そこに、奥からお盆にお茶と菓子をのせた女性が現れた。目がくりっとした小柄な女性だ。

仁朗は女性をみて目をしばたたかせている。

「うちの娘のえつです。」

太兵衛が紹介したところ、はにかんで下を向き、お茶とお菓子をおいてそそくさと立ち去った。

「自分の子ながら見目は良いほうかと思うのですが、いかんせん愛嬌が足りません。」

そういいながらも太兵衛は嬉しそうだ。娘を溺愛しているのだろう。

仁朗は、娘がいるであろう店の奥に熱い視線を送っている。それを見た神近は、やれやれ、と思いながらも

「えつ様はお幾つになられますか。」

「15になります。息子3人の後に産まれた娘ですので、どうしても甘くなってしまいますね。」

店内で接客している男性一人が息子なのであろう。会話が途切れた時にこちらに向かってお辞儀をした。

「仁朗さんと同じ年ですね。」

神近が仁朗に向かってほほ笑む。

「そろそろお暇致します。神近先生、息子にお支払いさせます。何か必要な生薬がありましたら持って行ってください。」

「持ち合わせがあまりありませんので。」

「神近先生、お節介かと思いますがお戻りになられたらどうですか。薬には困りませんよ。」

「ありがとうございます。」

太兵衛は店に寄り、息子に話しかけてから奥へと立ち去って行った。


 座敷から店へ戻り、ホウノキの樹皮と引き換えに銭と白色の塊を受け取った。太兵衛の息子に見送られて二人は店を後にした。

「次はいつ久宝屋に行きますか。」

にこにこしながら、神近は答える。

「しばらく行く用はないですね。」

焦る仁朗。

「全力でお手伝いしますので、すぐにでも久宝屋に行きましょう。」

「今度は志乃さんと行きましょうかね。同世代の娘さんで話も合うかもしれません。」

「大人しいもの同士、話が弾まないでしょう。僕なら会話に花を咲かせて見せます!」

仁朗は必死だ。

「頼もしいですね。」

途中で買った団子を二人で食べながら、楽しい時間は過ぎていく。

「そういえば先生、先ほど買われたものは何ですか?」

「これですか。」

神近が籠から白い塊を取り出す。

「松ほどの菌核、茯苓です。仁朗さんのために薬を作ろうかと思いましたが・・・もういらなさそうですね。」

朝の仁朗とは別人だ。近いうちにまた久宝家へ、神近の小さな目標ができた。


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