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 昨日とは打って変わって、今日は日差しもなく涼しい朝だ。もうすぐ梅雨が始まることを予感させる、湿気を帯びた風がわたっていく。いつもより早く家を出て、浜辺に向かう。しかし、目的地は浜辺ではなく仁朗の家だ。

「おばさん、昨日はありがとう。医者様は?」

「うちに泊まるよう言ったんだけど、申し訳ないと譲らなくてね。材木屋の小部屋にいるよ。朝餉準備できているから、呼んできてくれる?」


家から木材屋までは道を挟んですぐだ。材木屋では、もう作業を始めている仁朗の父がいた。挨拶をして、部屋に近づくと子供たちのにぎやかな声が聞こえた。浩太と幹太とそして仁朗が神近を取り囲んでいる。「神様、もっとお話聞かせて。」

さっそく、あだ名が決まったようだ。「また、明日おいで。」帰ろうとしない浩太と幹太をさちが連れて行った。

「神様の旅の話を聞くと、自分も旅をしている気分になる。」仁朗は目を輝かせている。しかし、父に呼ばれてしぶしぶ作業場に向かっていった。

「神近様、朝餉の準備ができているので、家に来てくださいとのことです。」

「志乃様、おはようございます。昨日は本当にありがとうございました。志乃さんが見つけて下さらなければ、私は命を落としていたかもしれません。何かお礼をさせてください。」

「・・・・・では、様づけはやめていただけますか。私はただの村娘です。」

「では、私も様をつけずに読んでください」せっかくついたあだ名の「神様」もだめか。

「神近先生・・でよろしいですか」

「志乃さん、「先生」でもあまり変わらないような気もしますが。」

二人、顔を見合わせて笑う。神近の屈託のない笑顔をみて志乃の心は温まった。慎重で人見知りの志乃が、こんなに早く人と打ち解けられたの初めてだ。

「私ができることはあまりないですが、お礼はまた考えておいて下さい。」


志乃は仁朗の家へ神近を案内し、海苔摘みに浜辺に向かった。やるべき事を先にやらないと、昨日の反省を活かし、先に海苔摘み、その後書字に取り掛かった。脇目も振らず、紙を見ながら小枝で砂に字を書きこんでいると、突然声をかけられた。びっくりして振り返ると神近がいた。

「驚かせてすみません。志乃さんは字の勉強をされているんですね。」

「はい・・・本を読みたくて勉強しているのですが、まだまだです。」

「感心です。」

「私のおじいさんおばあさんは、女が勉強するとかわいげがなくなると嫌な顔をします。」志乃は顔を曇らせた。

「勉学に女も男もありませんよ。学びは自分の深みを増し、人生を豊かにしてくれます。医者であれば、それが人の命を救うことに直結します。」神近は海を見つめて言った。説得力のある力強い言葉だ。自分の背中を押してくれている。

その後、浜辺で座り、神近が今日も植物の調査採取に向かうことなどを聞いた。

「先生、今日は倒れないでくださいね。一人は心配なので、仁ちゃんでも連れて行ってくださいね。」志乃は優しく神近を睨みつける。「わかりました―。」神近はさわやかな笑顔で答えた。


志乃は摘んだ海苔を持って、母と母の弟が営むうどん屋に戻った。

「今日はちゃんと戻ってきたね。」うどんをこねながら嘉介がにやにやしながら顔をのぞかせた。「昨日はさすがに心配したんだから。」志乃の母なつも声をかけた。

「お医者様は元気そうだった?」嘉介の妻、ちはるも会話に加わる。会いに行くことは言っていないのに、女の感はするどい。

「すっかり元気そうだったよ。」

「だったら平助さん達を診てもらえるかしら。おじいさんが前から体のかゆみがあって、最近おばあさん、息子さんも同じ症状がでてきたみたいで。夜も眠れなくて困っているって、昨日店に来た息子さんが話していてね。町のお医者に診てもらって、薬ももらったけど治らないみたい。」


志乃の母のうどん屋はこのあたりでは有名だ。嘉介の打つうどんのこしがあり、おいしいことに加えて、母の兄が作る醤油を使っただしも好評だ。だし作りを担当するのは母であり、接客とうどんに乗せる海苔やわかめを採ったり、野菜の手配が志乃の仕事だ。祖父母が作ったうどん屋であり、まだ現役で厨房に立つ祖母に言わせると母のだしはまだまだ、だそうだ。ちはるも育児の傍ら手伝っており家族でにぎやかにやっている店だ。また、母は評判によると気立てが良く、目鼻立ちが整っているとのことで、それを目当てに来る客もいるという。志乃にとっては生まれてからずっと見ている顔であり、特別何か感じることはない。ただ、その血を受け継いだ自分の姉はきれいだ、と思う。少し美しさの系統は違うが。その母に、「あなたはなるべくにこにこしていなさいよ。」とよく言われる。器量ではなく、愛嬌で勝負しなさいという母の教えだ。志乃はそれを聞いてもそこまで嫌ではない。自分でも分かっているからだが、愛嬌、というのもまた難しいものである。

 仕事がひと段落したところで、志乃は走って材木屋に向かったが、神近の姿はなかった。

仁朗と探しに出たところ、近くの木陰でしゃがんで書き物をしている神近を見つけた。

「神近先生、よかったら診ていただきたい人がいるのですが。」知っている情報を手短に志乃が伝えたところ、

「仁朗さん、お願いがあるけどいいかな。」そう告げた。そんな笑顔で頼まれると誰も断れないだろう。

材木屋に戻り、仁朗が手際よく先をとがらせた匙のようなものを切り出して作った。

「神様、こんな感じでいい?」「さすが仁朗さん、上出来です。じゃあ行きましょうか。」

3人連れ立って、平助の家に向かった。おじいさんとおばあさんが在宅していて、志乃のおば、ちはるから話は聞いているとのことだった。

「わざわざ来てくれてありがとうね。」そう言うおばあさんの手や胸に無数のかき傷がみられた。眠れていないのか、二人とも活気が少ない。神近は丁寧に頭を下げ、

「神近と申します。お体をしっかり見せてもらえますか。」了承を得て、懐から出した透明

で円形のものを覗きながら、おじいさんの体をくまなく見ていく。

「少し痛いかもしれませんが、皮膚をこすらせてもらいますね。」仁朗作の匙を用いて、おじいさんの手の平を数か所こすった。こすった皮膚を紙に乗せて、また透明で円形のもので覗く。

そこで、息子が帰ってきた。仁朗から事情を話し終えたところで

「痒みの原因は皮癬ひぜんです。こちらを見てください。」

息子、仁朗、志乃が透明で円形の物、虫眼鏡で覗いたところ小さい虫が蠢いている。

「皮膚で卵を産み、徐々に増えて、体に強いかゆみを起こします。布団などを介してうつります。おそらく、お二人も同じだと思いますが、念のため見せてください。」

仁朗は息子を、志乃はおばあさんの皮膚の虫を根気よくとっていく。

「飼っている動物はいますか。」

「犬がいます。確かに犬もよく体を掻いています。」息子に抱えられた犬の皮膚もくまなく見ていく。犬は毛がところどころ抜けている。

「犬も皮癬でしょう。お薬を作ってきますので、その間に布団を干して、洗えるものは洗ってください。」


いったん家を後にして、仁朗の父の口利きで農家に向かった。硫黄を分けてもらい、それで塗り薬を作るという。仁朗と志乃は、神近の言う通り材料を集めて、塗り薬が完成した。

志乃が塗り薬を届け終えて、材木屋に戻った時にはもう暗くなり始めていた。

「よく手を洗ってください。今日は二人のおかげで助かりました。明日は飲む薬も作らないと。」仁朗と志乃に笑いかけた神近はとても嬉しそうだ。原因が分かった平助一家は、手を合わせて何度も感謝の言葉を口にしていた。医者はこんなにも感謝され、やりがいのある仕事なのだという事を、志乃は目の当たりにした。

「平助さん達の痒みが取れるまではまだ時間がかかる。その間はこちらにお世話になります。」仁朗の父母に頭を下げた。しばらく、神近がとどまることを知り、志乃は安堵した。

こうして長い一日が終わった。


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