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第九十六話  希望はまだ死んでない

 リリーナは浮遊城の中庭で一人佇んでいた。


 眼下には王都の街並みが一望できる。


 時刻は昼過ぎ。


 今日は快晴で雲一つない青空だった。


 なので浮遊城からでも数百メートル下に見える王都の様子が何となくわかる。


 非常に慌ただしい。


 元マリーシアの難民だった人々は、今や新生セレスティア王国の国民として通りの端に立ち、王都の外へ向かっている魔族軍の行進を眺めている。


 はっきりとは見えないものの、そういう様子が遠目ながらでもわかるほど王都の街並みからは不穏な感じが伝わってくる。


 現在、新生セレスティア王国では異変が起こっていた。


 数か月前に魔族たちの虐殺や蹂躙から逃れた元セレスティア王国の貴族や関係者たちが、ここにきて激しい反乱の動きを見せているという。


 対魔法使いレジスタンスだ。


 魔族たちの猛威から何とか逃れた元セレスティア王国の貴族や関係者たちは、再び自分たちの国を取り戻そうと王国内でゲリラ活動を行っている。


 リリーナもレジスタンスたちのことは知っていた。


 本来ならば自分がそのレジスタンスの御旗にならなくてはならないのに、不甲斐ない自分は逃げ場がない浮遊城に囚われて身動きができない。


(――何てわたしは無力なの)


 リリーナは下唇を噛み締め、右手の拳をギュと握り締める。


 こんなとき、子供の頃から姉のように傍にいてくれたアンナがいてくれたらどれほど心強かっただろう。


 しかし、そんなアンナはもういない。


 魔族の王――カルマの凶悪な魔法で殺されてしまった。


(今なら飛び降りられるかしら)


 リリーナは中庭の端、浮遊城と大空の境目に向かって歩を進める。


 けれども、十歩もしないうちに両足を止めた。


 ダメよ、とリリーナは心中で首を左右に振る。


 ここで地上に身を投げたら楽になるのは間違いない。


 だが、それはあくまでも自分しかならない楽だ。


 自分がここで飛び降りて自殺したら、カルマは必ず有言実行する。


 セレスティア国内にいる元セレスティア国民を最後の一人になるまで皆殺しにするだろう。


 もしかしたら国外に逃亡できた人間も見つけ出し、言葉にするのも恐ろしいほどの拷問の末に命を奪うかもしれない。


 いや、あのカルマならきっとやる。


「――――うっ」


 不意に胃液が逆流してきて、リリーナは地面に吐瀉物としゃぶつを吐く。


 カルマの顔を浮かべると、同時にアンナが殺された光景もよみがえってくる。


 だから何度も忘れようとしたが、気心が知れた姉同然の存在だったアンナが殺されたことを忘れられるはずがなかった。


 リリーナは何度も吐いて胃の中をからっぽにしたとき、両目からとめどない涙が溢れてきた。


(一体、わたしは何なの? 王族として生きることもできず、国民のために死ぬこともできない私は……)


 などと精神的に気が変になりそうなときだった。


「自殺することは勧めないと言ったはずだが」


「――――ッ」


 リリーナは慌てて振り返った。


 いつの間に現れたのだろう。


 先ほどまで一人だった中庭の中央に、漆黒の鎧と外套を羽織ったカルマが立っていた。


「まさか忘れたわけではないだろう? 俺の許しもなしに死ねば元セレスティア国民をすべて皆殺しにする、と」


 リリーナは唾とともに口内の残り物を吐き出す


 それは王女の態度とは思えないほど下品なものだったが、今のリリーナにとってアンナの仇でもあるカルマに侮蔑の意志を表すにはこれが精いっぱいだった。


「くくく、それだけの威勢があれば自殺などせんな。それが正解だ。もはや正統なセレスティア王族はお前のみ。その高潔な血を絶やしたくはないだろう?」


 リリーナはカルマをキッと睨みつける。


「もはやセレスティアの王族の血など無意味です。わたしは誰とも契りを結ぶつもりはありません」


「それは聞けないな。リリーナ、お前は俺と交わって子を作るのだ」


「嫌です!」


 リリーナは無意識に叫んだ。


「あなたと子を作るぐらいなら死んだほうがマシです」


 カルマは小さく笑う。


「そう強がるな。今のお前にはそれぐらいしかやることはない。そうだろう? お前の知るセレスティア王国はとうに滅んでいる。だが、そんな国の姫であるお前を生かしているのは俺との子を作るためだ。それに一国の姫であるお前には世継ぎを生む義務がある。望んだ相手だろうが、そうでなかろうとな」


 リリーナは言葉に詰まった。


 カルマの言うことは間違っていない。


 一国の姫に生まれた以上、その役目は世継ぎを生むこと。


 市井の恋愛小説のような望んだ相手との恋も許されず、次代の王族をこの世に誕生させることが何よりも求められる。


 特に自国が滅んだ今ならなおさらだった。


 どんなに憎い魔族だろうと、今のリリーナは亡国の姫。


 魔族の王であるカルマに求められたらカルマの子を産むしかない。


(――それでも)


 リリーナは一縷の望みを言葉にして放った。


「セレスティア王国はまだ完全には滅んではいません。レジスタンスが……まだレジスタンスたちが残っています」


「レジスタンスだと……あははははははは」


 カルマの耳障りな笑い声が中庭に響き渡る。


「な、何がおかしいのです!」


「これがおかしくなくて何をおかしがる? レジスタンスなどどれだけ集まってもしょせんは烏合の衆。俺たち魔族の手から命からがら逃げ出せた連中だ。そんな連中に何を期待する?」


 リリーナは再び黙ってしまった。


 レジスタンスは烏合の衆。


 それは正直なところリリーナも思っている。


 レジスタンスたちも懸命に戦ってくれているだろうが、戦力に差がありすぎているのはリリーナもわかっていた。


 目の前のカルマを筆頭に、魔族側には人間をはるかに超えた魔法使いたちがいる。


 たとえるなら大人と子供。


 いや、大人と赤ん坊ぐらいはあるだろう。


(それでも――)


 リリーナは藁にもすがる思いを消したくはなかった。


 自分が生きていればレジスタンスたちが一堂に集結して王都に攻めて来てくれるのではないか。


 自分をこの浮遊城から救出してくれるのではないか。


 直後、リリーナの脳裏にもう一人の自分からの返答が返ってくる。


 ――どうやって?


 そうである。


 どれだけレジスタンスたちが集結しようと、カルマたち魔族に勝てる可能性は限りなく低い。


 精強無比で知られたセレスティア王国騎士団の精鋭すら子供扱いされて虐殺されたのだ。


「リリーナ、お前は知らないだろうがレジスタンスどもが一堂に集結してこの王都に攻め込もうとしている」


「……え?」


 リリーナは最初カルマが何を言っているのか理解できなかった。


「事実だ。南方地域に大規模なレジスタンスたちが確認された。各地方に潜伏していた連中が一堂に集結したのだ」


 リリーナは無言でカルマの言葉を待つ。


「何でもとあるレジスタンスに〝神の御使い〟と呼ばれる人間が現れたらしい。そいつは辺境伯のベルモンドを倒し、各地方のレジスタンスを仲間に加えながら南方地域に陣を張った。この王都に攻め込むためにな」


 初めて聞く情報だった。


 それに神の御使いというのは、まさか古来より伝説として知られているセレスティア王国に災厄が訪れたとき、神から遣わされる超常的な存在のことなのだろうか。


(そんなことはない。あれは単なる伝説よ)


 リリーナは心中で首を振った。


 神の御使い伝説が真実ならば、どうして数か月前にカルマたちが王都に攻め込んで来たときに降臨してくれなかったのか。


 あのときがセレスティア王国建国以来の災厄だったのは間違いない。


 それでも神の御使いは現れず、実は神の御使いではないかと囁かれていた〈竜神山〉ドラゴンたちも助けに来てくれることはなかった。


 すべてはただの伝説で、おとぎ話だったのだ。


 だから今回もそうに違いない。


 きっと誰かが神の御使いの名を語り、レジスタンスたちを先導している。


 それは有難いことだったが、本物の神の御使いでない以上、数にモノを言わせて王都に攻め込んで来ても返り討ちにあって皆殺しになるだろう。


 リリーナはカルマと視線を交錯させる。


 カルマは不敵な笑みを浮かべていた。


 レジスタンスなど眼中にないといった表情だ。


 カルマにもわかっているのだ。


 レジスタンスたちを先導しているのは、少しばかり武勇や戦略に優れただけの神の御使いを名乗る普通の人間だと。


「神の御使い……か。くくく、まさかこの期に及んでレジスタンスどもが神の御使いを名乗る人間を担ぎ上げてくるとは思わなかった。十中八九偽物だろうが、魔族以外でベルモンドを倒せる人間は限られる。おそらく希少な能力を持つ〈異能スキル〉使いだろう」


 カルマは口の端を吊り上げる。


「その神の御使いがどんな人間か見てみたいのでな。王都にいる上級魔族を魔兵どもと向かわせた。この浮遊城の警備を担当している近衛魔将どもも神の御使いを名乗る人間を一目見たかったらしく、珍しく俺に懇願してきたんだ。前線に向かわせて欲しいと」


 リリーナの表情が蒼白になる。


「どうせこの浮遊城にいる限り、どんな敵だろうと攻めて来れん。地上数百メートル上空にある城に加えて、この浮遊城には強力な〈魔力障壁〉が張ってある。この浮遊城に攻め込んで来るには、それこそ〈魔力障壁〉を撃ち壊せるほどの魔力による攻撃とドラゴンにでも乗ってこれないと不可能。なので俺は近衛魔将どもの願いを叶えてやった」


 カルマは言いながら外套を外し、鎧も脱ぎ始める。


「リリーナ、今やこの城には魔族は俺しかおらん。他の魔族がいないこの難攻不落の空の城で、俺たちの子を作ろうぞ」


「い……いや……」


「まだ自分の立場がわかっていないようだな。リリーナ、お前にはもう俺と子を作ることしか……」


 不意にカルマの言葉が途切れた。


 それだけではない。


 カルマはリリーナの後方を見つめながら眉間に深くしわを寄せる。


 リリーナも振り返った。


 そんなリリーナの視界に信じられない光景が飛び込んで来た。


 この浮遊城に向かってくる黒い影たちがいたのだ。


 四つか五つ。


 その影たちは一定の速度で空の海を泳いでくる。


「あれは……ドラゴン!」


 カルマが信じられないといった顔で叫ぶと、さらに驚くべきことが起こった。


 一体のドラゴンから紫色の巨大な光弾が浮遊城に向けて発射されたのだ。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 紫色の光弾は大気を切り裂きながら〈魔力障壁〉に激突。


 そして――。

 

 バリイイイイイイイイイイインッ!


 浮遊城に張られていた〈魔力障壁〉は粉々に撃ち砕かれた。

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