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第九十三話  魔王カルマの新たな力

「こ、このワシを殺すじゃと?」


 テンゼンはブルブルと全身を震わせた。


 恐怖からの震えではない。


 あまりの驚きからくる震えだった。


「ああ、貴様はもう用済みだ」


 カルマの口調ががらりと変わった。


 そして変わったのは口調だけではなく、全身から周囲の景色を歪めるほどの圧倒的な負の魔力が放たれる。


「何をたわけたことを言うのだ! ワシは奴隷として売られていたお前を救い、魔法使いとしての才能を開花させてやった恩人じゃぞ! それを忘れたわけではあるまいな!」


「その点に関しては感謝している。あのとき、貴様に拾われなかったら俺は下賤な人間に買われて今はもう生きていなかっただろう」


「じゃったら――」


「だが、それとこれとは別だ」


 カルマはテンゼンの言い分を一刀両断した。


「それに魔薬の実験体となって魔法使いになったのは俺に才能があっただけで、たまたま魔薬を開発したのが貴様だったというだけだ。それ以上は感謝する義理はない。それはそうだろう? 互いの利害のために行った結果が未だ」


 カルマは真顔で淡々と言葉を紡いでいく。


「貴様は魔薬の実験結果を、俺は〈異能スキル〉を超える魔法の力を得た。その時点で互いの目的は達成したではないか……まあ、貴様が真の魔薬を作り、俺は魔族としてさらに上の段階に昇ったことも感謝すべきか」


「お、お前……」


 テンゼンの驚きの震えは怒りの震えに転換された。


「恩を仇で返す気か! この元奴隷風情が!」


「口には気をつけろ、老いぼれ。貴様は魔王の前にいる」


 ズズズズズズズズズ…………


 カルマの全身から黒い瘴気のような魔力があふれ出てくる。


 この世の負の感情をすべて煮詰めたような禍々しい魔力。


 それは下っ端の魔族程度ならば、精神に異常をきたしてもおかしくないものだった。


「本気でワシを殺すつもりなんじゃな?」


「そう言ったはずだが?」


 グニャリ、とカルマとテンゼンの視線上の空間が歪んでいく。


 もちろん、物理的な歪みではない。


 ここに第三者がいたらそう思ってしまうほどの緊張感が高まっているのだ。


「いひ……いひひひひ」


 やがてテンゼンは口の端を吊り上げると、黄色くボロボロになっている歯を覗かせた。


「ワシをここで殺したら魔薬の生産は不可能になるぞ。それでもよいのか?」


「それは心配ない。最低限の魔薬の生成方法は俺も理解した。貴様がいなくても魔薬は作れる」


「あくまでも下っ端の魔族を誕生させる程度の魔薬は……じゃろ? それで本当によいのか? 貴様が世界を征服するには少なくとも上級魔薬と適合する上級魔族の量産が必要不可欠じゃろうて」


「確かに……貴様が言うように世界を手中に収めるにはもっと大量の戦力が要るだろう。しかし、そう思っていたのも今ほどまでだ」


 カルマは酷薄した笑みを浮かべた。


「貴様が完成させた真の魔薬のおかげで、俺は魔人化をさらに超える力を手に入れた。ならばこれ以上の上級魔族など必要ない。俺一人がいればすべて解決する」


 嘘偽りのない本音だった。


 カルマは確信している。


 真の魔薬により以前とは比べ物にならないほどの力が手に入った、と。


「しょせんは元奴隷じゃな。ワシのような崇高な存在をこの世から消すなどお前には魔族の王になるどころか、この世を統べる魔王になる資格もない」


 そう言うとテンゼンは懐からガラスの小瓶を取り出した。


 慣れた手つきで蓋を開け、一気に中身を飲み干す。


「おおおおおおおおおおおお」


 テンゼンの声から猛獣の如き咆哮が轟く。


 直後、テンゼンの小柄な肉体に変化が起きた。


 着ていたローブを弾き破るほど肉体が膨張したのだ。


 百五十センチほどの肉体が瞬く間に二メートルを超える巨体になり、全身が幾重もの鋼を束ねたような筋骨隆々になる。


 それだけではない。


 テンゼンの皮膚は光を反射するほどの硬質な肉体へと一変したのだ。


 それは鋼鉄の肉体というよりも、金剛石ダイヤモンドの肉体だった。


 触れなくてもわかる。


 今やテンゼンの肉体は生半可な魔法が通じない魔人と化した。


「ほう、そんな隠し玉を用意していたか」


 テンゼンが魔人と化してもカルマの態度はどこ吹く風だった。


 目眉一つ動かさずに威風堂々としている。


「ふははははは、ワシ専用のとっておきの魔薬じゃ! こういうときに備えて用意しておいて正解だったわ!」


 魔人と化したことでテンゼンの口調にも変化が見られた。


 数十歳は若返ったような声の張りである。


「残念だったな、カルマ。このワシが心の底からお前を信用していたと思うか? こうしてお前が裏切ったときの秘策も対応済みだ」


 ふん、とカルマは鼻を鳴らした。


「魔人化して多少は若返ったところで、頭の中までは若返らないようだな。その程度の魔人化で今の俺を倒せると本気で思っているのか?」


 カルマの全身から黒い瘴気のような魔力が溢れ出た。


 やがて、その禍々しい魔力はカルマの全身を覆っていく。


 一方、テンゼンは両手の拳を激しくぶつけた。


 ガギイイン、という金属同士をぶつけたような甲高い音が鳴る。


「確かにお前の〈闇回復ダーク・ヒール〉は恐ろしい無属性の魔法だ。しかし、その〈闇回復ダーク・ヒール〉の効力は相手が手傷を負っているときにしか発揮できない。ただ、ワシはこうして金剛石ダイヤモンドの肉体になった。さあ、どうする? この完全無欠の肉体に傷をつけられない以上、お前の〈闇回復ダーク・ヒール〉はワシに対して何のダメージも与えられないだろう」


 ふふふ、とカルマは含み笑いを漏らす。


 そんなカルマにテンゼンは表情を歪ませた。


「何がおかしい!」


「やはり貴様はその程度の器だったんだなと思っただけだ。これからの俺の右腕になるには脆弱すぎる。心も身体も」


 そう言うとカルマは開いた右手をカルマに突きだす。


 カルマの右の掌の中央には魔鉱石が埋め込まれている。


「確かに以前の俺の〈闇回復〉ならばそうだったさ。自分の領域――約二メートル内にいる手傷を負った者にしか効力を発揮できなかった」


 だがな、とカルマは白い歯をむき出しにする。


 それは人間の笑みではなく、格好の獲物を前にした肉食獣の笑みだった。


「神の……いや、魔王の領域に入った今の俺にそんな制約はない――〈暗黒回復ダーク・マター〉」


 カルマが言い放つと、右の掌に埋め込まれていた魔鉱石が眩い光を放つ。


 小型の太陽を思わせる紫色の濃密な光。


 その光は瞬く間に凝縮され、細い光線となってテンゼンに向けて発射された。


「なッ!」


 テンゼンは目玉を跳び出さんばかりに驚愕した。


 細く強く凝縮された紫色の光線は、テンゼンの金剛石ダイヤモンドの皮膚を貫き、その下の肉に到達した。


 テンゼンの肉体が著しく変異する。


 ボコ……ボコボコ……ボコボコボコボコボコボコッ!


 テンゼンの肉体は、内側から自らの自然治癒力によって崩壊を始めたのだ。


「ぎゃあああああああああああああ」


 研究所内にテンゼンの絶叫が響き渡る。


 どれだけ防御力に秀でた皮膚を手に入れようが、内部からの力にはどう足掻いても抵抗できない。


 今もそうだった。


 テンゼンは必死に肉体の崩壊に抵抗しようとしたが、もはやどうしようもできない。


 自分の自然治癒力の暴走によって死へと走り始めたのだから。


 そして――。


 バアアアアアアアアアンッ!


 テンゼンの肉体はあっという間に何倍も膨れ上がり、やがて巨大な爆発音を轟かせて爆裂四散した。


 周囲に血のついた肉片や臓物が飛び散る。


「さて、これで器は整った」


 カルマは無表情のまま振り返ると、もはやテンゼンの存在を忘れたような足取りで魔導研究所を後にする。


 そんなカルマが各地のレジスタンスたちがある場所に集結しつつあるという報告を部下から受けたのは、テンゼンを葬った数時間後のことだった。

 

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