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第七十六話  魔族の王の過去と未来

 セレスティア城の地下には、王族専用の地下墓地が存在している。


 空気はひんやりと冷たく、夏でも吐息が白く曇るような厳かな雰囲気がある場所だ。


 そんな地下墓地に静寂を破る音が響いていた。


 カツン――カツン――


 大理石の通路を歩く、硬く乾いた足音だった。


 足音の主はカルマだ。


 カルマは従者も連れずに一人で歩いている。


(まったく、難儀な場所に造ったものだ)


 カルマは内心でごちりながら、落ち着いた足取りで目的地へと向かっていく。


 地下墓地自体に用はない。


 用があるのは地下墓地の奥にある、これから会う人物が造った研究施設だった。


 壁に灯された魔法灯が、ほのかに青白い光を放ち、まるで霧の中にいるような幻想さを漂わせている。


 やがてカルマは重厚な扉の前に到着した。


 成人男性が数人がかりでも開けるのに苦労する鉄扉である。


 カルマは扉に向かって右手を突きだし、親指で軽く押さえた人差し指をピンと弾く。


 ドオオオオオオオオオオオオンッ!


 カルマ自身は羽毛をそっと退けるほどの力加減だったものの、鉄扉は火薬が爆発したように弾け飛んだ。


 それでもカルマは顔色一つ変えない。


 むしろ心中では「相変わらず、もろい扉だ」と愚痴をこぼした。


「いひひひひひひ……まだ己の肉体を精密に操作できんか?」


 部屋の中に入ると、揺り椅子に身体を預けていた老人が愉快そうに笑っている。


 正確な年齢はカルマも知らないし、知りたくもない。


 ただ、確実に七十は過ぎているだろう。


 身長は百五十センチ程度の子供のように低く、黒く見えるほど汚れた茶色のローブを着ていた。


 フードの下には深いしわが刻まれていた鼻の長い顔があり、右目には眼球の代わりに研磨された魔鉱石が埋め込まれている。


 この魔導研究所の所長――テンゼンだ。


「他人の身体を操作するというのは中々に難しいものです」


 カルマは勝手知ったる我が家のように歩を進める。


 魔導研究所の中は実に様々な匂いが充満していた。


 薬品の匂い。


 肉が腐った匂い。


 臓物の匂い。


 血の匂い。


 常人にはむせ返るような悪臭でも、カルマには花畑の中にいるような心地よい匂いだ。


 そんな魔導研究所の内部は、外界の常識から切り離された異様な空間だった。


 天井は高く、魔力を伝導する無数の配管が這い回っている。


 カルマは周囲を見渡しながら足を動かしていく。


 部屋の一角には巨大な水槽が並んでおり、その中には半ば骨が露出した魔物や、複数の腕を持った人型の異形が泡の中で身じろぎもしないまま浮かんでいる。


 そして部屋の中央には、無造作に置かれた鉄製の手術台が数基。


 拘束具はすべて赤錆に染まり、誰かが這い出ようとしたのか、床には爪を立てたような痕が刻みつけられている。


「それで、テンゼン博士。この城に来てから実験は順調ですか?」


 カルマは手術台のふちを指先でなぞりながら尋ねる。


「そうさな。不満以上、順調未満……と言ったところかの」


 テンゼンは揺り椅子を揺らしながら答える。


「やはり魔鉱石の適合率による魔法使いの量産は難しい。このセレスティア城には古代オリティアス帝国に関する古文書が多く存在しておったが、どれも目新しいことは載っておらん。これではセレスティアを滅ぼした意味がない」


「まだ滅んではいませんがね」


「ふん、事実上は滅んだようなもんじゃ。何せ王族の血筋はリリーナのみ。民衆の大半もマリーシアからの難民に取って代わり、あと数年もすれば元セレスティア国民のほとんどは息絶えるじゃろ」


「そうなったとして何か不都合でも?」


「大ありじゃ。大事な実験体の数が減ってしまうではないか」


 カルマは微笑を浮かべた。


「今でも十分な数の人間をさらってきて実験をしているではありませんか?」


 現在、王都では大量の行方不明者が出る事件が勃発している。


 もちろん、犯人は目の前のテンゼンだ。


 厳密にいえばテンゼンの配下である洗脳獣によって、である。


「駄目じゃ駄目じゃ。普通の人間を実験してもとてもワシの悲願は達成せん。つまりはカルマ、お前さんの望みも達成が困難だということになる」


「それは困りましたね」


 そう言いながらもカルマの表情に変化はない。


「やはり実験体には〈異能(スキル)〉の力を持った人間のほうが適していますか」


「……じゃな。お前さんや他の奴らもそうじゃったが、魔鉱石の適合率が高いのは圧倒的に〈異能(スキル)〉の力を持った人間のほうじゃ。ただ、その〈異能(スキル)〉の力も何でも良いというわけではない。それはワシの長年の研究結果から一目瞭然」


「さすがは元クレスト教徒……いえ、〈黒の賢者会〉の総帥ですね」


〈黒の賢者会〉。


 それは知る人ぞ知る、マリーシア公国で暗躍していた秘密結社の名前である。


 世間には魔王崇拝という危険思想の集団と認知されているが、それはあくまでも表向きの話だ。


 正確にはクレスト聖教会の影だった存在と言い換えたほうがいいだろう。


 ヴェルリナ神聖国の国教であり、世界の三分の一が信者という世界宗教のクレスト聖教会。


 多くの信者は心の底からクレスト教を信奉しており、唯一神であるクレストの名の元に清貧な生活を心がけている。


 しかし、千年以上もの歴史があるクレスト教には表沙汰にはできない裏の歴史が存在していた。


 敬虔だった一部の信徒たちがクレスト神を疑い、外法と呼ばれていた古代の技術――魔法をこの世によみがえらせようとしたのだ。


 魔法は〈異能(スキル)〉の力とは根本的に異なる。


 様々な奇蹟の逸話が残っているクレスト神を超える、超自然現象を生み出す魔の力。


 なので昔のクレスト教は魔法使いとなった裏切り者たちを根絶やしにした。


 表向きは大昔に実在していたという魔人たちの王――魔王を崇拝している異端者として。


 だが、魔法使いとなった裏切り者たちの一部は生存し、深く暗い裏の世界の奥へと姿を消した。


 表舞台には決して出ず、淡々と研究と実験を繰り返す秘密結社――〈黒の賢者会〉として裏の世界で生き続けていたのだ。


 やがて〈黒の賢者会〉は動き出した。


 裏の世界を飛び出し、悲願となる魔法使いによる世界征服を果たすために。


 その要因となったのがカルマだ。


 カルマはふと過去の記憶を思い出す。


 今から十数年前、カルマは熱心なクレスト教徒だった。


 両親は貧しい平民の生まれで、ヴェルリナ神聖国の辺境に住む農民。


 作物が不足したときや飢饉を体験したことは一度や二度ではない。


 食べる物がなく、それこそ家族で木の根をかじって飢えを凌いだこともある。


 それでも唯一神であったクレスト神に祈りを捧げない日はなかった。


 自分たちがこの世に生を受けたこともクレスト神のおかげ。


 作物が豊作で日々の食事が少し豪勢になることもクレスト神のおかげ。


 一方で災害や飢饉があったときは、人間として成長できる試練を与えてくれたとクレスト神に祈りを捧げる。


 今でこそ馬鹿げた思想だったが、当時は心の底からクレスト神を信奉していた。


 やがてカルマが十三歳になったときだ。


 近所の遊び友達だったランダと二人で山菜を採りに行ったとき、ランダが足に怪我を負って動けなくなった。


 時刻は夕方になる頃合い。


 しかも村からは少し遠くの山間にまで来てしまっていた。


 他の子供よりも体格が小さく華奢だったカルマには、とても怪我をしたランダを連れて村へ戻る体力はなかった。


 となると、怪我をしたランダを置いて大人を呼びにいかなくてはならない。


 しかし、このままランダを放っておけば大変に危険だった。


 猛獣や下手をすれば魔物に襲われる危険性だってある。


 カルマはどうすればわからず涙した。


 ランダは兄弟のように慕っていて家族ぐるみの付き合いもあったのだ。


 どうすれば助けられる?


 考えても答えが出なかった状況で、カルマは少しでもランダの苦痛を和らげようと怪我をした場所に手を添えてあげた。


 そのときだった。


 脳内にビリビリとした得体の知れない感覚が流れ、額の中心に激しい熱を感じたのである。


 カルマは動揺しながらも、熱を帯びた額から両手の掌に異様な力が流れていることに気づく。


 そこからは無意識だった。


 カルマの両手から流れた不可視の力は、ランダの怪我をした部分にゆっくりと浸透。


 ものの十秒程度で怪我を治してしまった。


 これには二人とも驚き、そして互いに抱き合って喜びを享受した。


 ここからカルマの運命が変わった。


 二人で山を下りた頃には、すでに夜になっていたので村では捜索の準備が始められていた。


 当然ながら二人は大人たちに激しく叱られ、カルマは両親から朝まで説教を受けた。


 だが、その中でカルマは両親に説明した。


 ――僕はランダの怪我を不思議な力で治したんだよ


 最初こそ両親から疑われていたが、カルマはナイフで父親の皮膚を軽く傷つけると、その傷をランダにしたような要領であっという間に治してしまった。


 これに驚いた両親は村長に報告。


 村長はクレスト神の奇蹟だと喜び、領主の街にあった教会へとカルマを連れて行った。


 そこでカルマは同じ奇蹟の技を司祭や信者たちの前で披露すると、カルマの力は【治癒】の〈異能(スキル)〉と判断されて聖都へと招かれることが決まった。


 両親はとても喜んだ。


 ランダも村の人々もクレスト神の力の一旦を発現したカルマを神の御使いだと喜び、村全体を挙げてカルマを聖都へと送り出したのだ。


 ここまではカルマも天にも昇る気持ちだった。


 同時に聖都へと向かう馬車の中で決心した。


 自分はクレスト神の力の一旦を発現した特別な存在。


 この奇蹟の御業みわざを使って、多くの怪我や病に苦しむ人たちを助けてあげよう――と。


 けれども、実際にはそうはならなかった。


 いや、厳密にはそうさせてもらえなかったのだ。


 聖都があるヴェルリナ神聖国はクレスト聖教会の聖地であり、毎年全大陸から何万人もの信者が訪れる。


 頂点に君臨している神教皇は国王に助言できるほどの権限を持ち、枢機卿や大司教、司教クラスになった人間は清貧とはかけ離れた自由奔放で絢爛豪華な生活をしていた。


 資産の保有や妻帯も許されており、その権力は地方の領主など足元に及ばないほどだった。


 その中でクレスト教には【治癒】の力を発現した人間を保護するというものがある。


 これはクレスト神が持っていたとされる神の力であり、同じような力を〈異能(スキル)〉として発現した者は将来において聖人認定されることがあるからだ。


 聖人認定はクレスト教にとっても信者と教義を広める絶好の広報活動になる。


 なので富と権力を求める人間にとって、【治癒】の〈異能(スキル)〉を発現した人間は是非とも手に入れたいものだった。


 この聖人候補の人間を神聖庁に紹介して認められれば、協会内での自分の地位や発言権が上がるからだ。


 そしてカルマを聖都に送り出した司祭もその一人だった。


 わざわざカルマと一緒に聖都まで同行し、カルマの身元引受人として生活のすべてを保証した。


 この時点でカルマや司祭はクレスト教の中の地位が確立されたるはずだった。


 しかし、現実はそうはならなかった。


 カルマの【治癒】の〈異能(スキル)〉があまりにも強かったからだ。


 それこそ、聖典の中に書かれたクレスト神に匹敵するほどに。


 こうなると話は違ってくる。


 クレスト教が今まで保護してきた【治癒】の〈異能(スキル)〉たちは、どれだけ強くても切断された手足を元通りにすることはできなかった。


 病気においてもそうだ。


 重い風邪や毒による治療は行えても、結核や癌などの大病は治療できなかった。


 ところが、これらの怪我や病気をカルマは治療できた。


 それもカルマ自身の精神が病んだり、身体に異常が出たりする副作用が一切なしで。


 では、カルマは神皇庁の人間や神教皇に聖人候補として認められたのか?


 答えは否だ。


 聖人候補に認められるどころか、そのあまりの【治癒】の力を恐れられたのだ。


 カルマはもしかするとクレスト神に匹敵するかもしれない、と。


 そしてカルマは神皇庁の裏の存在である研究機関の実験対象(モルモット)となった。


 果てしなく続く拷問。


 非合法な薬の乱用。


 とても当時のカルマには耐えられるものではなかった。


 それにカルマの【治癒】は自分の怪我や病気を治すことはできなかったため、カルマの精神は徐々に病んで壊れていった。


 やがて心身が完全に壊れる前にカルマは人買いに売られた。


 売られた場所はヴァレリナ神聖国から遠く離れたマリーシア公国。


 そこでカルマは奴隷として売られたのだが、運命は完全にカルマを見捨ててはいなかった。


 テンゼンである。


 自身の実験材料を求めていたテンゼンに買われたカルマは、そこで自分の人生を再び取り戻した。


 テンゼンの実験対象(モルモット)になったものの、新しい肉体と魔法という究極の力を手に入れた。


 だからこそ、今回の国盗りを計画して実行した。


 セレスティア王国を乗っ取ったのは計画の一部に過ぎない。


 たまたまマリーシア公国の隣国にあり、兵力を確保するのに最適だっただけだ。


 自分の目的はあくまでもヴェルリナ神聖国を完膚なきまでにこの世から消し去ること。


 つまりは世界宗教と呼ばれ、表向きは綺麗ごとをほざいているクレスト聖教会を潰すことにある。


 もちろん、ただ潰すだけでは生温い。


 クレスト聖教会は完膚なきまでに潰す。


 最後の一人になるまで殺す。


 軽蔑し、侮辱し、破壊し、蹂躙し、虐殺し、滅亡させる。


 カルマは現実に意識を戻すと、額に埋め込まれている魔鉱石にそっと触れた。


 宝石のように研磨された魔鉱石が紫色に濃く光る。


 クレスト聖教会を滅ぼすためには、まだまだ力を蓄えて兵を増強させなくてはならない。


 何せ相手は世界宗教となった組織だ。


 そんな組織を完全に滅ぼすためには、それこそ魔王にならなくてはならない。


 同時に多くの部下も要る。


 自分の意のままに動く強力な魔法使いたちが。


 そのためには自分と同じくクレスト聖教会に恨みを持つテンゼンの協力が必要不可欠。


「テンゼン博士、実験材料の件は思う存分とやってください。それが私たちの悲願への一歩となるのなら」


「いひひひひ、無論じゃよ。ワシの研究とお前さんの力があれば必ずクレストの馬鹿どもを滅ぼすことができる。だからお前さんの()()()()()()()()()()をまともにせねばな」


「頼りにしていますよ、テンゼン博士」


「任せておけ。特に股間の部分はどの部位よりも早くまともにしてやるわい。男性器の力が戻ればリリーナを孕ませて完全にこの国の希望の灯を絶やすことができるじゃろうからな」


「希望の灯……ああ、未だ国内に散見しているレジスタンスどものことですか」


「うむ、生き残った奴らの中には良質な〈異能(スキル)〉の使い手が多いと聞く。ならばそやつらは殺すよりも実験材料にしたほうがええじゃろ」


「わかりました。国内の領主クラスに命令を出しておきます。領内で発見した〈異能(スキル)〉の使い手は殺さずに生け捕りにして王都に送れ、と」


「いひひひひひひ、楽しみじゃのう!」


 研究所の中にはテンゼンの笑い声がいつまでも響き渡った。

 

 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


 今回から最終章に入ります。


 そして、ここで読者さまにお願いがあります。


 ここまで読んでくださった読者さまの中で「ここまで面白かった」や「これからも楽しみ」と思われた方はお気に入りや★★★★★などで応援してくれると大変に嬉しいです。


 この物語は最終話まで書き上げてありますので、絶対にエタりません。


 どうか、よろしくお願いいたしますm(__)m

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