第六十八話 鉄門の先へ行く前に
ベルモンド城の〈魔力結界〉は今や完全に崩壊した。
最初に巨大なガラスが破損する音が周囲に鳴り響いたあと、細かな欠片となった結界の一部は火にあぶられた水のように霧散していく。
直後、レジスタンスたちからどっと歓声が沸いた。
一番の懸念材料だった〈魔力障壁〉が消えたことで、残りの懸念されるのはベルモンドのみとなったからだ。
一方、空心は冷静に詰め所へと顔を向けた。
いつの間にか警備兵の姿が消えている。
自分たちレジスタンスが攻めて来たことを知らせに向かったのだ。
知らせる相手は当然ながらベルモンド・シュナイゼルだろう。
強力な毒魔法の使い手であり、前の辺境伯を殺して今の地位に就いた男。
(ここからが本番ですね)
空心は錫杖の石突きで地面を突き、シャリンッと音を鳴らす。
ベルモンドの城にはあまり警備兵がいない。
これはエリサたちから前もって聞いていた。
辺境伯ほどの地位があるのなら、普通の領主はかなりの魔兵を城内に配置しておく。
しかし、ベルモンド城は違う。
城主であるベルモンド自身があまりにも強すぎるので、魔兵の大半は街の警備や国境の監視に費やしているらしい。
ならば、この夜襲も決して自暴自棄な作戦ではなかった。
どんなに強くても相手は同じ人間。
モーリスたちを倒したときのように、数の利と【神々の加護】の力があれば勝機はある。
それにガストラル大平原での一件で、レジスタンスの末端に至るメンバーたちにも〈異能〉の力が覚醒した。
これによって空心に対する信心力がさらに向上し、現在の空心は昨日のドラゴンと闘ったときよりも格段に強くなっているという実感があった。
そんなことを考えていると、蓮華はトテトテとした足取りで近づいてきた。
「ナガミネ・クウシン。ワタシはお役に立ちましたか?」
相変わらずの無表情だが、その言葉には空心に対する恩義のようなものがしっかりと感じられた。
(この子は人間ではない。だが、人間と同じぐらいの感情を持ち合わせている)
空心は満面の笑みを浮かべてうなずく。
「はい、もちろんです。ありがとう、蓮華。これで私たちは城内に入れます」
「よかったです……あなたの……お役に立てて……ワタシは……」
空心は眉根をひそめた。
どうしたのだろうか。
蓮華の様子がおかしい。
言葉を不自然に途切れさせたのち、蓮華は電池が切れた人形のように地面に倒れた。
「ど、どうしました!」
空心は慌てて膝をつき、蓮華の上半身をそっと持ち上げる。
「申し訳……ありま……せん……」
蓮華が言うには、今の〈魔力砲〉によって体内の魔力が切れてしまったらしい。
本来は百パーセントの出力で撃たないと魔力切れは起きないらしいが、本来の機体ではない土人形と融合したので出力具合に不備が出ているという。
それでも虚空蔵菩薩の亜空間にしばらく入っていれば魔力は補充できるので、再び身体を自由に動かせて〈魔力砲〉を撃てるようになるまで十分は必要だと言った。
「わかりました。本当によくやってくれましたね。ゆっくりと休んでいてください――オン・アビラウンケン・ソワカ」
空心は大日如来の真言を唱え、すかさず虚空蔵菩薩の真言を唱えた。
目の前に亜空間へ通じる穴を現出させ、蓮華の身体を亜空間へと丁寧に入れる。
これで十分後に虚空蔵菩薩の真言を唱えれば、無表情だが元気に動く蓮華を再びこの世に召喚できる。
「クウシンさま」
ひとまず蓮華を亜空間に入れたあと、特攻隊長であるマリアが駆け寄ってきた。
「もう正門を叩き斬ってよろしいでしょうか?」
マリアはすでに大剣を抜き放ち、自分たちを拒んでいる巨大な鉄門を睨みつける。
「いけそうですか?」
「もちろんです。クウシンさまによってわたしの【怪力】の〈異能〉は【怪力無双】へと向上しました。それに大平原で闘ったドラゴンに比べたら、あんな門はあってないようなものです」
実に頼もしい言葉だった。
「わかりました。ですが、その前にみなさんにベルモンド対策を施しておきます」
そう言うと空心は、全員の顔を見回しながら大日如来の真言を唱える。
「オン・アビラウンケン・ソワカ」
空心の全身に黄金色の聖気がまとわれ、新たな神の真言を唱える準備が整った。
新たな神とは、日本最古の女性明王の孔雀明王である。
このとき、空心は昨夜のことを鮮明に思い出した。
大平原でドラゴンを倒し、〈魔力障壁〉を壊せる力を持つ蓮華を仲間に加えたことで、レジスタンスの主要メンバーたちは夜にバーンズの街で作戦会議を行った。
そこで議題に挙がったのは、いつ辺境伯であるベルモンドを討ち取りに行くかだった。
レジスタンスの中にはもっと仲間を集め、規模を大きくしてからベルモンド城に攻め入ったほうがいいのではという意見もあった。
シズクやハンゾウたち【闇鴉】の情報があるとはいえ、急いては事を仕損じるかもしれないと。
だが、空心はその意見を是としなかった。
むしろすぐにベルモンド城に攻め込むべきだと意見した。
理由は他のレジスタンスたちを仲間に引き入れているうちに、ベルモンドがカスール地方から王都へと向かうことも無きにしもあらずだったからだ。
ベルモンドは腐っても辺境伯である。
すでにモーリスがレジスタンスに敗れたという情報を入手しているはず。
いや、そういう前提で動かないと取り返しのつかない事態に発展してしまう。
仮にベルモンドが王都に応援を要請した場合、自分たちレジスタンスは大勢の魔族軍に襲われて一人残らず殺される。
しかし、シズクたちの情報によるとベルモンドは王都からやってきた査察官とやらを城内に足止めしているという。
なぜ、ベルモンドがそんなことをしているのか?
平和な現代日本に住んでいた空心でも理解できた。
査察官にモーリスの一件を知られたくないからだ。
そのため、ベルモンドはモーリスの一件を秘匿するため査察官を城内に足止めしていると考えられる。
おそらく、その査察期間が一週間なのだろう。
だとしたら、むしろ今が絶好の好機である。
そう言って全員を説得すると、メンバーたちは空心の意見に賛同してくれた。
けれども、懸念材料は二つあった。
一つは〈魔力障壁〉。
二つ目はベルモンドの毒魔法である。
もちろん、空心はこの二つを考えて会議では発言していた。
まず〈魔力障壁〉の対策は蓮華に一任した。
蓮華の〈魔力砲〉はどんな魔法による結界を破壊する。
本人曰く、五千年後のこの世界の結界も確実に壊せると断言した。
そうなると、残りの懸念材料はベルモンドが使うという強力で凶悪な毒魔法。
そこで空心は新たに現出できるようになった神の力を使った。
ドラゴンを倒したことで得られた、梵名を「マハーマユリ」とも呼ばれる神。
孔雀明王である。
そんな孔雀明王を顕現させる真言を力強く唱える。
「オン・マユラ・キランデイ・ソワカッ!」




