第四十七話 それぞれの異能の覚醒①
その感覚と言葉は突然だった。
『長峰空心によって弁才天の力が付与されました。マリア・ベアトリクスの【怪力】が【怪力無双】へと変化します』
マリアは唖然とした。
脳内に直接響く不思議な声とともに、身体の底からとてつもない力が湧いてくる。
呼吸が軽くなり、全身の筋肉が生まれ変わったように感じた。
それはさながら蛇の脱皮だった。
蛇が古くなった皮を脱ぎ捨てるように、今のマリアの肉体は十数秒前の肉体とはまったく違うものになっている。
これまで全力を出せなかった筋肉たちが、自分たちを使ってくれと訴えてくるようだ。
なぜ、そのようなことが起こったか理由はわからない。
ただ、その原因がクウシンにあることはわかった。
はっきりと聞こえたからだ。
ナガミネ・クウシンによってベンザイテンの力が付与された――と。
ベンザイテンという言葉は知らないが、おそらく神の御使いであるクウシンの力の一旦なのだろう。
どちらにせよ、呼吸が軽くなったことで視界が一気に開けた。
頭の中がすっきりし、先ほどまで全身を蝕んでいた恐怖感と痺れがほとんどなくなっている。
(この力があれば――)
マリアは近くに落ちていた拳大ほどの石を拾う。
そして瞬時に立ち上がり、ドラゴンの頭部に向かって全力で投げつける。
石はドラゴンの鼻先に直撃した。
グオオオオオオオオオオ…………
ドラゴンは唸り声を上げながら頭部を小さく振る。
弓矢が通用しなかったドラゴンに対して、自分が投げつけた投石のほうが効いているのだ。
もちろん、致命傷とは程遠い。
それでも自分の投石程度で怯んでくれるのならば、これが大剣で攻撃した場合はどうなるのだろうか。
マリアは周囲を見渡した。
数メートル離れた地面に、自分の愛剣が転がっている。
(守られてばかりではダメだ……わたしもクウシンさまに加勢するんだ!)
マリアは意を決すると、地面を強く蹴って駆け出した。
बंबंबं
アクエラは矢筒から矢を取り出そうとして固まった。
『長峰空心によって弁才天の力が付与されました。アクエラの【狙撃】が【狙撃必中】へと変化します』
突如、不思議な声が脳内に響き渡ってきた。
一体、誰がどこから喋っているのだろうか。
普段ならば動揺して周囲を見渡していただろう。
だが、今はそんなことはどうでもよかった。
身体の芯が強烈な熱を帯び、ふつふつと腹の底から力が湧いてくる。
どうして、いきなり力が湧いてきたのか理由はわからない。
それでも原因がクウシンにあることは理解できた。
不思議な声ははっきりと告げたからだ。
ナガミネ・クウシンによってベンザイテンの力が付与された――と。
ベンザイテンという言葉はよく知らない。
おそらく神の御使いである、クウシンの力の一部のことだろう。
だとしたら恐れることはない。
アクエラは我に返ると、矢筒から矢を取り出して番える。
そのまま右手の指で弦をつまみ、矢とともに弦を引いていく。
ギリギリギリギリ…………
弦を引くにつれ、腕と肩の筋肉が緊張する。
視線と狙いは当然ながらドラゴンに向けた。
ただし、頭部という漠然とした場所は狙わない。
狙うのは炎のように赤い両目だ。
頑強な筋肉や鋼鉄の皮膚とは違い、二つの眼球は外に剝き出しになっている内臓器官であり感覚器官。
そこを狙う。
このとき、アクエラの心はさざ波一つない湖畔のように穏やかだった。
さっきまでは生まれて初めて神話級の魔物と遭遇したことで、アクエラの弓手としての心は一瞬で恐怖に支配されてしまった。
そのせいで本来は眼球や口内、アゴの下の急所を狙わなくてはならなかったのに、手先が震えて頭部や胴体という大きな的しか狙えなくなっていたのである。
しかし、そんな弱気な心は一気に霧散した。
不思議な感覚だった。
たった十数秒の前の自分から、新たなもう一人の自分が生まれてきたような感じである。
そんな新たな自分が告げている。
(今なら急所を確実に狙える!)
アクエラは限界まで弦を引き絞ると、ドラゴンの左目に意識を集中させて弦を離す。
空気を切り裂いて飛んだ矢は、吸い込まれるようにドラゴンの左目に突き刺さった。
बंबंबं
(一体、何が起こったの?)
エリサはあまりの驚きに瞬きを忘れた。
クウシンが二百体を超える魔物を倒していく光景に唖然とした。
戦魔の森の方角からドラゴンがやってきたことに恐怖した。
そしてクレスト聖騎士団も含めたメンバーたちの攻撃が効かず、オアシスに戻ってきたクウシンの不可視な攻撃を耐え抜いたドラゴンに戦慄した。
どれもが感情を大きく揺さぶる出来事ばかりだったが、エリサは現時点で自分の身の内に起こったことにもっとも驚愕した。
『長峰空心によって弁才天の力が付与されました。エリサ・バーンズは【鼓舞】の〈異能〉を発現します』
などという不思議な声が脳内に響き、その直後に腹の下部分が熱くなって怒涛の如き力が込み上げてきたのだ。
まさか、戦闘者ではない自分が〈異能〉の力を得るとは思わなかった。
だが、それでもはっきりとわかる。
今まさに自分は思考や筋肉を超えた超常的な力を得たのだと。
しかも〈異能〉の力はクウシンによって得られたと、誰かわからない不思議な声は言ったのだ。
しかし、このさい声を発した人物が誰かなど些末なことだった。
〈異能〉の力を得たと確信した直後、自分が使える【鼓舞】がどういう力なのか一瞬で理解した。
「みなの者、鬨の声を上げよ!」
エリサは喉が枯れるほどの大声を発した。
「相手がたとえドラゴンだろうと怯むな! 神の御使いさまがおられる限り、勝機は我らにある! さあ、腹の底から鬨の声を上げよ! 我らの真の敵はドラゴンにあらず! 祖国を強奪した魔族なり! 祖国を蹂躙した魔法使いなり!」
時間にして数秒。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!
大地を震わせるほどの鬨の声が上がった。
エリサに触発されたメンバーたちは目に強い光を宿らせ、それぞれの武器を構えてドラゴンと対峙する。
これがエリサの〈異能〉――【鼓舞】の力だった。
自分の仲間たちの士気を上げることで、その仲間たちの戦闘力が一時的に本当に向上するのだ。
事実、メンバーたちの顔から恐怖が消えた。
それだけではない。
メンバーたちの全身から水蒸気のような精気が立ち昇り、おそらくは普段の数倍は力が発揮できる状態になっただろう。
そこでエリサはハッと気がついた。
どうやらメンバーたちは【鼓舞】以外でも力を向上させている。
もしや、とエリサは思った。
〈異能〉の力に目覚めたのは自分だけではないのかもしれない。
マリアやアクエラのように元から〈異能〉の力を持っている者は別として、それ以外の全員が〈異能〉の力を得たのではないか?
神の御使いであるクウシンによって――。
だとしたら、こんなにありがたいことはなかった。
これで国を奪い返すという目的に大きく前進したことだろう。
しかし、今は喜んでいる場合ではない。
エリサは目元に薄っすらと浮かんだ涙を手の甲で拭うと、表情を引き締めて再び声を張り上げた。
「みなの者、己の魂に拍車をかけよ! 我らは神の御使いさまの神兵なり! 愛すべき国民たちを守るべく戦うのだ!」




