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第三十六話  商談という名の攻防戦

 ラピスは眉間にしわを寄せた。


 そしてすぐにユーシアへ顔を向ける。


「なあ、神の御使いって何やの?」


 ユーシアは自分のアゴを人差し指と親指で掴み、何かを思い出すように両目を閉じた。


 数秒後、両目を開けたユーシアは「思い出しました」と口を開く。


「確かセレスティア王国に伝わる伝説の一つです。国が破滅を迎えそうなとき、この地方の土着神である女神セレスより遣わされるという超常的な存在……」


 ほう、とラピスは空心に顔を戻す。

 

「もしかして、あんたら【反逆の風】がうちらにコンタクトを取ってきた理由はその神のなんちゃらいう兄さんがおるせいか? その兄さんがおれば自分らは魔族の手から国を取り戻せると?」


「そうです」


 エリサは微塵も動じずに断言する。


「この御使いさまの力は本物です。事実、御使いさまはバーンズの街を支配していた魔族のモーリスを神の力で倒した。嘘ではありません。その光景をわたくしたちや大勢の目撃者が実際に見ています。ですから――」


 エリサはずいっと一歩前に出る。


「運よく大商会と名高い〈メディチエール家〉の隊商が来られているということで、こうして援助をお願いしたく馳せ参じたのです。正直なところ、これまでのレジスタンスの力では魔族にとって嫌がらせ程度ぐらいにしか感じられない力しかなかった。けれど、今は違います。今こちらには本物の神の御使いさまがおられるのです。御使いさまがおられるのならば、これまでと違って必ず魔族どもの手からセレスティアを取り戻せる」


「ふ~ん」


 ラピスは椅子の背もたれに背中を預けた。


 ロッキングチェアになっていた椅子が前後に揺れる。


「神の力……ねえ。ホンマかどうかわからんけど、うちらに堂々と援助を申し出るっちゅうことはそれなりの勝算があるってことやもんな」


「もちろんです。ただ、魔族どもから国を取り戻すには他の地方にいるレジスタンスの力を集結させる必要があります。それは御使いさまの存在が知れ渡れば可能なのですが……」


「まあ、その前に魔族に報復されて全滅させられる可能性のほうが高いわな。せやから、その前に金と物資を手に入れてレジスタンスの力を底上げする必要がある」


 ラピスは台本を読んでいるかのように滑らかに続ける。


「せやけど、現在のセレスティア王国内の商売を仕切っとるのは〈バルハザン商会〉。マリーシア公国に本店を構える商会や。そんで〈バルハザン商会〉は間違いなく魔族と通じとる。そんな商会に面と向かって金と物資を援助してくれとはレジスタンスの立場からは頼まれんわな」


 空心は素直に感心した。


 ラピスの態度はとても十三歳の少女とは思えない風格があった。


 空心は現代日本にいたときのことを思い出す。


 密教の修行の一つである護摩行には、老舗の会社の社長やベンチャー企業の起業家も商売繁盛を願って参加していたが、それらの人たちと同じような雰囲気をラピスは持っている。


 自分の仕事に命を懸けている人間だけが放つ風格だった。


「そこまでおわかりになられているのなら話は早い。ぜひともわたくしたちに武具や物資をお売りください」


「金は?」


 エリサが頭を下げる前にラピスの問いが返ってくる。


「うちらも商売人や。うちらの商品を欲しいて言うてくれる客には売ったるけど、ぶっちゃけたところあんたら金ないやろ? それとも神の御使い言うのをちらつかせれば、タダで武具と金を提供してくれるとでも思ったんか?」


「滅相もない。こちらとしても正当な取引をお願いしたいと思っています。それにあなた方の商品を購入するぐらいの資金は手に入りました」


「それはあんたらが倒したいう魔族の領主が持っとった金やろ? 確かにその金があれば今現在のレジスタンスの人間に飯を食わせたり、武具を買い揃えたりすることはできるやろう……せやけど、うちが言っとるのはその先のことや」


 空心は黙ってラピスの話に耳を傾ける。


「たかが一領主の資産程度で各地にいるレジスタンスの腹を満たすことはできんやろ? 武具もそうや。これからお仲間を増やせば増やすほど、金も物資も青天井で要るんとちゃうん?」


 エリサは黙ってしまった。


 まさに図星を突かれたという顔だ。


 ラピスは得意気に鼻を鳴らす。


「別にうちはあんたらに商品を売らんとも金を貸さんとも言ってへんよ。ただ、こっちも商売や。青天井に増えるかもしれんお仲間の腹と武具を満たすためだけに金は出せまへんな」


「担保があれば別ですか?」


 全員の視線が空心へと向けられる。


「あなたの言い方ですと、普通では武具の売買やお金を貸せない。しかし、それ相応の担保があれば話は別……のように聞こえました」


 ラピスは「ヒュウ」と口笛を吹く。


「何や神の御使い言うから、てっきり()()()()()()()()()かと思ったが、中々わかっとるやないか。あんさん、神の国で商売でもしてたんか?」


「いえ……ですが、あなたのような超一流の商売をしていた方と面識が多かっただけです」


 嘘ではない。


 空心は護摩行が終わったあと、晴れやかな気持ちになった社長や起業家たちと座談会や懇親会を行っていた。


 その中で彼らの商売に対する考え方や理念を聞いていたことで、ラピスがどういう方向に話を持っていきたいのか想像がついたのである。


「話を戻しますが、あなたは本当は私たちと商売をしたくて堪らないのではありませんか? 詳しい理由はわかりませんが、あなたの話を聞いているとそうとしか思えません。もしも本当に私たちと商売をする気がないのなら、そもそも今回の取引の場すら設けなかったでしょう」


 空心は淡々と二の句をつむぐ。


「それでもあなたが私たちとの取引を渋っている素振りをしているのは、私たちの今後に不安を感じていること以上に、私たち以外との取引――魔族との商売も視野に入れているからではありませんか?」


「――――ッ!」


 空心の言葉に動揺したのはエリサ、マリア、アクエラの三人である。


「馬鹿な……魔族との商売など成立するはずがありません」


 そう漏らしたのはエリサだ。


 空心は「私もそう思います」と告げる。


「これはあくまでも私の想像ですが、当たらずとも遠からずではないでしょうか。優れた商売をする方ほどリスクヘッジ――将来的に発生する危険や損失を回避しようと考える。同時に、そのリスクヘッジを()()()()()()()()()に繋げるかも考える。今のラピスさんがそうです。ラピスさんは私たちレジスタンスと魔族を天秤にかけ、どちらと取引すれば儲かるかを考えている一方、どちらとも取引をすれば二倍儲けられるのではないかとも考えている。まあ、これはあくまでも私の予想ですが」


 しんと天幕内が静まり返る。


 やがて険しい表情を浮かべているラピスが口を開いた。


「兄さん、あんたマジで何者や?」


「先ほど名乗りましたよ。私は長峰空心。この国を魔族から救うため、神より遣わされた本物の御使いです」


 と空心が凛然と答えた直後だ。


 全員が外の異変に気がついた。


 遠くから慌ただしい声が聞こえてくる。


「た、大変です!」


 ほどしばらくして、隊商の一人と思しき男が飛び込んできた。


「魔物の群れがこの場所に向かってきています!」

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