第二十六話 己の弱さを叩き壊して
一瞬、空心は何が起こったか理解できなかった。
どうしてエリサたちがこの場に現れたのだろう?
空心が混乱していると、エリサを先頭にレジスタンスのメンバーたちが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、御使いさま」
エリサは空心の身体を支え、怪我の状態を心配する。
同時に他のメンバーたちは、空心の前方に自分たちで壁を作った。
モーリスの魔法攻撃から空心を守るためだろう。
空心の顔が激しく歪む。
普通ならばありがたい状況だが、今は感謝よりも問いかけが口から出てしまう。
「エリサさん、どうしてここに来たんですか? あなたたちは正体がバレてはいけないはず」
そうである。
【反逆の風】は、魔族と敵対するレジスタンス組織だ。
ならば魔族にメンバーの顔が割れてはならない。
リーダーであるエリサならば尚更だった。
エリサはニコリと微笑む。
「愚問です。御使いさまが仲間を助けてくださろうとしているのに、わたくしたちだけがアジトでじっとしているわけにはいきません」
エリサの目には覚悟の炎が轟々と燃えている。
「きっとこれこそが女神セレスさまのお導き。わたくしたちは御使いさまに命を預けます……皆さん!」
エリサの表情が一変。
柔和な笑顔から険しい顔つきになる。
「ここが【反逆の風】の正念場です! 今こそ積年の恨みを果たすとき――さあ、敵の首級は目の前です!」
オオオオオオオオオオオ――――ッ!
鬨の声に似た怒号が沸き起こり、メンバーたちはモーリスに突撃していく。
「おやめさない!」
空心の叫びも虚しく、メンバーたちの勢いは止まらない。
そして空心は見た。
メンバーたちの身体の隙間から、モーリスが右手を高らかに上げる姿を――。
直後、モーリスの声が耳朶に届いた。
「出でよ――〈土偶兵〉ッ!」
ドオオオオオオオオオオンッ!
大広場全体が強震のように揺れ、モーリスの前方の地面から巨大な人型の土人形が出現した。
「我ら魔族に歯向かうゴミどもが……ここでまとめて地獄に送ってやるわ!」
三メートルを超える巨大な土人形は、まるで意志が存在するように独りでに動き始める。
土人形の強さは驚愕の一言だった。
左右の腕を無造作に振るうだけで何人ものメンバーたちが吹き飛ばされ、土人形自体は遠距離から弓矢の攻撃を受けてもビクともしない。
それでもメンバーたちは果敢に土人形に戦いを挑んでいく。
空心はエリサの両肩を強く掴む。
「エリサさん、あれでは余計な犠牲が出るだけです! すぐにやめるように命令してください!」
「御使いさま、それは無理です」
エリサは顔色一つ変えずに応えた。
「ここに来た時点で、わたくしたちの覚悟は決まっております。これまで魔族を倒さんと懸命に努力してきましたが、結局は生まれ故郷の領地すら奪還できず、今まで無駄に生き永らえてきました」
エリサは淡々と言葉をつむぐ。
「ですが、こうして本物の神の御使いさまと出会うことができた。それだけでわたくしたちは十分です。御使いさま……ここはわたくしたちが時を稼ぎますから、今すぐここから逃げてください」
「何ですと?」
「あなたさまは【反逆の風】のみならず、このセレスティアの各地で活動しているレジスタンスの希望の光。たとえここでわたくしたちが皆殺しにされたとしても、あなたさまだけは生きて他のレジスタンスたちに力をお与えください。そのためなら、わたくしたちの命など喜んで差し上げます」
「――――ッ!」
空心の心臓が嫌な感じに跳ねる。
エリサは本気だった。
いや、本気なのはエリサだけではない。
土人形と戦っている全員が、空心を生かすために死を覚悟している。
「クウシンさま! エリサさま!」
空心が下唇を噛み締めていると、マリアが駆け寄ってきた。
「お二人とも大丈夫ですか!」
「わたくしは大丈夫。ですが、御使いさまが手傷を負っています。マリア、あとは頼めるわね?」
はい、とマリアがうなずいた。
「すでにアクエラたちの拘束は解いてきました。いつでもここから離脱できます」
空心はマリアとエリサの顔を交互に見る。
話の方向性がまったくわからない。
「御使いさま、よく聞いてくださいませ。あなたさまはここにいるマリアやアクエラたちと遠方へ逃げてください。マリアやアクエラは年こそ若いものの実力は確かです。きっと道中の護衛を完璧に担ってくれるでしょう。そしてファガルは他のギルドやレジスタンスたちに顔が利く。なので――」
「ま、待ってください!」
空心はエリサの話を無理やり遮った。
「無駄に命を捨ててはなりません。生きてさえ……生きてさえいればきっと悲願が達成するときが来るはずです」
「わたくしもそう思います。ですから、あなたさまはそのときが来るまで生きていてください。そして、いつか必ずこのセレスティアを魔族から解放してくださいませ」
空心はエリサの覚悟に圧倒され、発すべき言葉を失った。
何ということだろう。
二回りは若いエリサが命を投げ出し、自分を懸命に生かそうとしている。
そんなことがあっていいのか?
いや、絶対にあってはならない。
空心は固めた右拳を地面に叩きつける。
「み、御使いさま?」とエリサ。
「く、クウシンさま?」とマリア。
二人が唖然とした中、空心は「情けない」と自分自身に対して嘆いた。
「こんな若い方たちに死を覚悟させるなど、私は仏僧として失格だ」
空心は勢いよく立ち上がった。
ズキンと胸の奥に痛みを感じたが、すぐに気息を整えて痛みのことなど忘れる。
それよりも今はレジスタンスのメンバーたちのことだ。
「私は逃げません。ここで逃げるのなら、最初からこの異世界に転生などしていない!」
空心は全身を震わせた。
怒りや恐怖から来る震えではない。
己の情けなさを払拭させるための震えだ。
「オン・アビラウンケン・ソワカ」
空心は大日如来の真言を唱え、全身に黄金色の光をまとわせる。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………
常人には不可視の聖なる光。
その聖なる光の勢いが先ほどよりも何倍も激しくなっている。
空心は確信する。
エリサたちの空心に対する思い――すなわち、信心がアジトにいたときよりも向上している証拠だ。
「エリサさん、マリアさん。あなたがたは怪我をしているメンバーの方々の救出をお願いします。あの人の皮を被った悪鬼は私が調伏してみせます」
「しかし……」
エリサが反論しようとしてきたが、空心は無言で睨みつける。
時間にして数秒。
エリサはマリアに顔を向けた。
「マリア、アクエラたちも呼んできてください。わたくしたちで負傷した人たちを助けますよ」
マリアは大きくうなずいた。
表情に喜びの色が浮かんでいる。
きっとマリアもこのまま仲間を置いて逃げたくはなかったのだろう。
空心はエリサたちからモーリスへと視線を移す。
モーリスは土人形の後方で腕を組み、下卑た顔でニヤニヤと笑っている。
嫌な顔だった。
まさに人を人とも思わない悪鬼羅刹の顔である。
そんなモーリスは、大勢の人間を簡単に殺せる凶悪な力を持っていた。
ならば仏門に命を捧げた者として、これ以上の被害が出ないよう全力で調伏しなければならない。
そう、強く決心したときだった。
シャリンッ!
空心の耳に、錫杖を振ったときの金輪の澄んだ音が聞こえた。
そして――。




