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第二話    異世界転生する理由

『長峰空心の【真言徳位(マントラ・レベル)】が一定基準を超えました。これより魂を須弥山(しゅみせん)へと転送いたします』


 脳内に響く無機質な声。


 その声を最後まで聞いたとき、空心の意識は無限の宇宙に放り投げられたような感じになった。


 上下左右がわからない、無重力空間を漂っている異様な感覚。


 手足の感覚はない。


 あるのは意識だけ。


(私は死んだ……のか?)


 空心は自覚する。


 誰の声かわからないが、どうやら自分の魂は須弥山へ行くらしい。


 須弥山(しゅみせん)


 普通の人には聞き慣れない単語だろうが、仏教について学んだ人や僧侶ならばわかるだろう。


 ギリシャ神話のオリュンポス山。


 日本神話の高天原(たかまがはら)


 神々が住むというこれらの有名な場所と同じく、仏教における宇宙観の中心にあるという神聖な場所の名前である。


(私の魂はそんな場所へ行くのか……)


 このとき、空心は嬉しさよりも疑問が込み上げてきた。


 ただ普通に僧侶として人生を歩んでいた自分の魂が、なぜ高貴な神々が住むという須弥山へ行くのだろうか。


 などと考えていると、不意に重力を感じた。


 突如としてエレベーターに乗ったような感覚。


 このままでは地面に激突する。


 そんなことが脳裏をよぎった直後、暗闇の奥から流星のような光の塊が自分に向かって降り注いできた。


「おおおおおおおおおお――――ッ!」


 空心は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


 やがて光の塊と衝突した空心が感じたのは、衝撃ではなく全身がとろけそうなほどの幸福感だった。


 恐怖や不安など一切ない。


 柔らかくて温かな光。


 いつまでも感じていたい聖なる光。


 そんな光を全身全霊で堪能していたときだった。


『空心よ、目覚めるのだ』


 空心はかっと両目を見開いた。


「こ、ここは?」


 気がつくと空心は異様な場所に立っていた。


 しかも生まれたままの全裸の状態で。


 空心は動揺しながら周囲を見渡す。


 宇宙空間でないのは一目でわかった。


 視界に飛び込んできたのは誰もいない荒野だ。


 顔を上に向けると、月が浮かんでいないのに真昼のような明るさがある夜空が広がっている。


 数秒後、ゆっくりと視線を下に落とす。


 足元は平らな土の地面。


 木々は一本もなく、ただ数百メートル前方に巨大な山がそびえ立っていた。


 その巨大さは富士山など比較にならない。


 首を九十度にしても頂が見えないほどの巨大すぎる山。


「……須弥山」


 空心は前方の山が伝説の須弥山だと直感で理解した。


 確か須弥山の標高は約五十六万キロメートル。


 地球と月の間が約三十八万キロメートルなので、須弥山の高さは地球と月の間の距離の約一・五倍にもなる。


 数百メートル先の巨山は実際にそれぐらいの大きさがあったのだ。


 ならば、あの山の頂には仏教の神々が住んでいるはず。


『そう、その神々の一人が我だ』


 下腹まで響くような声が聞こえたあと、前方の虚空に金色の光の塊が出現した。


 空心はあまりの眩しさに目を細めた。


 それでも完全には閉じなかった。


 先ほど感じた光よりもさらに強く神々しい光だったからだ。


 やがて光量がおさまったとき、空心は虚空に浮かんでいた存在に目をみはった。


 蓮華座(れんげざ)に座り、頭には宝冠(ほうかん)(いただ)いている。


 身体には宝石や貴金属でつづった装身具を身に着け、腕や肩には天衣(てんね)と呼ばれる帯状の衣を着ていた。


 お釈迦(しゃか)さまとして通じる釈迦如来(しゃかにょらい)ではない。


 空心の視界に映っているその御方は、胸の前で左拳の人差し指を右手で握った「智拳印(ちけんいん)」という印を結んでいるのだ。


 間違いない。


 あの御方こそ密教や真言宗で崇められている神々の教主。


「――大日如来さま!」


 空心は慌ててその場で平伏した。


 あまりにも恐れ多い存在だったため、空心は地面に額をつけるほど頭を下げる。


『そう(かしこ)まるな。面を上げよ、空心』


「いえ、とても大日如来さまのご尊顔を直に見ることなどできません」


『構わん。この大日如来の我が許す。面を上げて我を見よ』


 などと大日如来に言われたら従う以外にない。


 空心はおそるおそる顔を上げ、威厳と慈愛が同居していた大日如来と視線を合わせる。


 ごくりと空心は生唾を飲み込んだ。


 まさか、こうして大日如来と対面するとは夢にも思わなかった。


 千二百年前に中国で密教の極意を授けられ、真言宗を創始した弘法大師・空海が弘仁(こうにん)二年(811年)に平安京の宮中で大日如来を現出させたという伝説があるが、よもや自分が本物の大日如来と顔を合わせることになるとは信じられない。


『信じなくとも事実だ。我は大日如来。神々の教主である。そして空心、お前の生前の行いが評価されて真言徳位(マントラ・レベル)が一定基準を超えたため、こうして我が直々にお前に今後の行く末を伝えにきた』


 空心は巨大な疑問符を浮かべた。


「も、申し訳ありません。おっしゃられている意味がわかりません」


『そのままの意味だ。生前の我たち神々に対する信仰心と、長年にわたる人徳と修行を積み上げてきた功績を称え、お前の魂を極楽浄土へ送ることが決まった』


 大日如来は淡々と言葉を続ける。


『今までよくぞ頑張った。もうお前は辛く苦しい修行をせぬともよいのだ。これからは極楽浄土で天女たちと戯れ、美酒美食を味わって楽しく暮らすがよい』


「…………」


 険しい表情で口を閉ざす空心。


 そんな空心を見つめながら、大日如来は眉間にしわを寄せた。


『待て……お前、何を考えておる?』


 一拍の間を置いたあと、空心は言い放った。


「お断りさせていただきます」


     बंबंबं


『こ、断る……だと?』


 空心の返事に大日如来は明らかに動揺した。


 無理もない。


 酒池肉林の極楽行きを断る人間など今までいなかったのだろう。


『なぜだ! なぜ、極楽行きを拒む? お前は僧侶として現世で立派に務めを果たした。あとは極楽へ行き、これまでの苦労から解放されるべきだ』


「果たしてはおりません!」


 空心は大日如来の目を力強く見つめる。


「私は僧侶としてまだまだ未熟です。それに現世には私よりも辛く苦しい日々を送っている方々が大勢いる。檀家さんなど関係なく、現世では格差や貧困などで未来に希望を抱けない人たちで溢れています」


 大日如来さま、と空心は再び頭を下げた。


「私の夢は祖父や空海さまのような立派な僧侶になること。そのためには自身の修行と他者への救済が必要なのです。私は未だにその二つを成就じょうしゅしていない。そんな私が極楽へ行くなど耐えられません。たとえ大日如来さまからの恩恵だとしても、私自身がそれを許さないのです」


 掛け値なしの本音だった。


 空心の現世での望みは、即身成仏(そくしんじょうぶつ)――すなわち、生きたまま悟りを開くこと。


 この生きたまま悟りを開いた人間を、かつて空心は見たことがある。


 祖父である。


 確実に死神が忍び寄っている中でも、己ではなく孫の自分のために光明真言を唱え続けてくれた祖父。


 あのとき、空心は即身成仏の域に至った僧侶を見たのだ。


 同時に魂の奥底から震え、祖父のような僧侶になりたいと本気で思った。


 そして、そんな祖父が生涯にかけて尊敬していた大僧侶――弘法大師・空海のように僧侶の道を本気で極めようと決心したのである。


 凡人の自分には生涯を費やしても無理かもしれない。


 だが、それでも目指したい。


 そのためには自分が自分で即身成仏をしたと実感しなければならないはずだ。


 ならば極楽などに行っている場合ではない。


 まだまだ修行と人徳を積む必要がある。


 などと思ったときである。


『面白いですな』


 突如、大日如来の近くに別の金色の光の塊が出現した。


 やがて、その光の塊から別の神が現れる。


 釈迦如来に姿かたちが似ているが、左手に薬壺(やっこ)を手にしている如来。


「あなたは薬師如来(やくしにょらい)さまですか!」


 空心の言葉に薬師如来はうなずいた。


 薬師如来。


 あらゆる病気を治し、寿命を延ばすご利益があるという有名な神だ。


 信心深い人たちの間で「お薬師やくしさま」と呼ばれている如来である。


 そんな薬師如来は大日如来に言う。


『大日如来どの、この者の願いを聞き入れてやってはいかがです?』


『しかし薬師如来よ、この者はすでに現世での役目を立派に果たした。それに肝心の肉体はすでに荼毘(だび)に伏されておる。さすがの我でも現世で肉体が朽ち果てた者へ魂を返すことはできん』


 空心は奥歯を軋ませた。


 荼毘に伏されたということは、自分の肉体は火葬されているということ。


 だとすると、大日如来が口にしたように生き返らせてもらえることができない。


 空心が肩を落としている中、薬師如来は『確かに』と再びうなずいた。


『脳死などで肉体が保ったままならばいざ知らず、荼毘に伏されている以上はこの者の魂を現世に送り返して生き返らせることは不可能……そこで提案なのですが、この者を異世界に転生させるというのはどうでしょうか?』


「…………は?」


 素っ頓狂な声を上げたのは空心だった。


 一方、大日如来は『ふむ』と考え込む。


『異世界に転生となるとレムリア大陸か……確か【宇宙異教神会議】で女神セレスどのが魔法使いたちを討ち滅ぼせる転生者を欲しがっていたな』


 薬師如来は『そうです』と応えた。


『彼の地では悪逆非道な魔法使いたちによって、女神セレスどのが管理する国と信仰が一時的に滅ぼされてしまった。そこでどうでしょう。この長峰空心を異世界に転生させ、女神セレスどのの国を救ってもらうというのは?』


「あ、あの……」


 空心が放心したまま口を開くが、大日如来と薬師如来は二人だけで話を進めていく。


『なるほど、その手があったか。それならば我らと交流の深い女神セレスどのの願いにも応じ、かつ空心の願いも叶えられるというわけだな』


『いかにも』


 と薬師如来が首を縦に振ったときだ。


『俺も薬師如来の提案に賛成だ』


 もう一つ金色の光の塊が出現し、古代中国の甲冑に似た鎧を着ている神が現れた。


 空心はその神の姿をよく知っている。


 俊足の神として名高い韋駄天だった。


『大日如来どのよ、この空心ならきっと異世界でも立派な働きをするはずさ。それにあんたが空心の異世界転生を許可するなら、俺は向こうの世界でもこいつに力を貸すぜ。何せ子供を助けようしたとき、こいつは最後に俺の真言を唱えてくれたんだ。それだけで俺はこいつに惚れちまった』


 韋駄天はぐすんと鼻水をすすった。


 その直後である。


『『『『『『『『我らも韋駄天と気持ちは同じ!』』』』』』』』


 大日如来の周囲にいくつもの金色の光が出現。


 そして何人もの神々がその姿を現した。


 火天(かてん)。  


 地天(ちてん)


 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)。 


 弁才天(べんざいてん)


 孔雀明王(くじゃくみょうおう)


 阿修羅あしゅら


 などの密教における強大な力を持った神々だ。


 そんな神々は次々と『我らも空心の異世界での手助けをしたい』と大日如来に伝えた。


『お前たち……』


 予定になかった出現だったのだろう。


 大日如来は目を見開き、他の神々たちを見回す。


 ほどしばらくして、大日如来は空心に顔を向けた。


『空心よ、他の神々はお前の願いに尽力したいと言っておる。そこでお前に提案だ。お前は異世界で新たな生を受けて生きていく覚悟はあるか?』


「そ、そう言われましても私にはよくわかりません。そもそも異世界とは何なのですか?」


『異世界とは読んで字のごとく、お前がいた地球とは異なる別世界のことだ。文明的には鎌倉時代ぐらいの中世ヨーロッパ時代に似た世界が主流だ。そして、その異世界ではスキルや魔法などの地球には存在しない特殊な能力が実在する。それだけではない。その異世界にはお前がよく知る動物の他に、人間に被害を与える魔物も存在する』


 空心は閉口した。


 スキルや魔法と言われてもピンとこなかったからだ。


 それに本物の魔物が存在するなど、さすがの空心でも簡単には信じられなかった。


『事実だ。我は人間に嘘は言わん。そして、その世界にある国々の多くは多種多様な理由で戦乱が巻き起こっている』


 先ほどから何となく思っていたことだが、大日如来は人間の心が読めるのだろう。


 大日如来は自分の思ったことに的確に返答してくる。


『長峰空心、今一度お前に問う。お前は極楽浄土には行く気はなく、再び人間として生を受けて修行と人徳を積みたいと申すのだな?』


 空心は再び頭を下げる。


「も、もちろんでございます!」


 ピンと空気が張り詰めた。


 空心の全身に神々たちの視線が突き刺さってくる。


『わかった。ならば、その願いを異世界で叶えてしんぜよう』


 大日如来が威厳のある声で答えると、空心の全身が黄金色の光に包まれた。


「こ、これは……」


 空心は自分の肉体に視線を巡らせる。


 今ほどまで全裸だった身体に、僧侶の衣服と袈裟が身につけられていた。


『その法衣(ほうい)は大日如来である我の力が込められた特別製だ。対刃、対防、対魔に優れ、ある程度の瘴気や毒素も防いでくれる優れモノよ。それに洗濯などという(わずら)わしいものをする必要もない。草履も決して鼻緒なども切れぬから安心するがよい』


 大日如来の説明は続く。


『そして異世界の地は過酷だ。お前の今の年齢では移動するのも一苦労であろう。そこで転生した暁にはお前が心身ともに最も充実していた二十四歳の頃に肉体を若返らせておこう。さすれば異世界で思う存分と自身の願いを叶えられるだろうからな』


 開いた口がふさがらないとはこのことだった。


 大日如来はそこまでの力があるのか。


 空心があらためて大日如来の力に驚いていると、先端に数個の金属製の輪が取り付けられた一本の錫杖(しゃくじょう)が眼前の宙に現れた。


『さあ、空心よ。異世界に行く決心がついたのならば、その錫杖を手に取れ。そして異世界で思う存分と修行と人徳を積むがよい。ただし、異世界はお前の想像を大きく超える世界。服と若さ以外にも特別に【神々の加護】を授けてやろう』


「か、【神々の加護】……ですか?」


『そうだ。お前には日本語を使う感覚で異世界の言葉と読み書きができる力に加え、光明真言を唱えれば低級の魔物や下賤な人間程度ならば退治できる力を授けてやろう。しかし、それらは【神々の加護】の最低限の力に過ぎん。お前が真に【神々の加護】の力を発揮したいのならば、異世界の地で異世界人たちから信心を集めよ。さすればその信心がお前の力となり、我を含めたここにいる神々たちの力を顕現(けんげん)できる』


 空心は黙って大日如来の説明を聞いていた。


 正直なところ、異世界についてはよくわかっていない。


 確か若い僧侶たちと交流する場に赴いたとき、若い僧侶たちがゲームや漫画の話で盛り上がっていた機会をよく目にした。


 その中で若い僧侶たちの口から「異世界」「スキル」「魔法」という言葉が出ていたような気がする。


 それはさておき。


 この錫杖を手にすれば、もう一度生まれ変わることができる。


 僧侶として修行が続けられる。


 僧侶として他者を救済できる。


『どうした? この期に及んで臆したか?』


「滅相もありません」


 空心は勢いよく錫杖を手に取った。


「この長峰空心、仏門に入ると決めたときから命など捨てております」


 空心は立ち上がり、錫杖の石突き部分で地面をついた。


 シャリンッ、と心が洗われるような音が鳴る。


「大日如来さま、ぜひともこの私を異世界で生まれ変わらせてくださいませ」


 空心の言葉に神々たちから「おお~」と歓声が沸く。


『うむ、よくぞ申した!』


 大日如来は満足げにうなずいた。


『長峰空心、これよりお前を異世界へ転生させる。そして、その異世界の地で存分に修行し、存分に多くの人間を救うのだ』


「はい!」


 と力強く答えたあと、空心の視界は車のハイビームを受けたように真っ白になった。


 そして――


 空心の意識はどこかへと急速に飛ばされた。

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