第十二話 魔族の支配と戦う者
アクエラは冒険者ギルドの三階にある自室にて、ギルドスタッフ用の制服に着替えると姿見で自分自身を確認する。
「うん、今日も大丈夫」
何度も確認したが、制服の汚れや乱れはまったくない。
姿見に映っているのは、女性スタッフ用の制服を着こなした今年で十七歳になる自分の姿だ。
染み一つない白磁のような肌。
切れ長の目と、すっきり伸びた鼻梁。
体型はまだまだ大人の女性とは言い難い。
だがここ最近は副ギルドマスターとしての仕事が板についてきたのか、雰囲気が大人びてきたと周囲からよく言われる。
それは純粋に嬉しい。
スタッフたちや馴染みの冒険者たちにそう言われると、自分もようやく一人前になってきたのだと自覚できるからだ。
反面、そう言われて嬉しくないこともある。
アクエラは姿見からベッドのほうへと顔を向けた。
ベッドの横には小机が置いてあり、その小机には弓矢が立てかけてある。
(最近はあんまり使っていませんね)
アクエラは今でこそ副ギルドマスターとして忙しい日々を送っているが、本来は後衛担当の弓使いとしてクエストを請け負う冒険者の一人だった。
中でも同志であるマリアと一緒によくパーティを組んでいた。
けれども数か月前に魔族たちに国を蹂躙されてからは、諸事情によって冒険者の仕事は行っていない。
冒険者の仕事が嫌になったからではなかった。
母親は子供の頃に病死しているので、唯一の肉親である父親が経営していたこの冒険者ギルドを守れるのは自分しかいない。
アクエラは以前の冒険のことを思い出す。
領主であったバーンズ家の剣術指南役を務めていた、ベアトリクス家の一人娘――マリアと様々な依頼を請け負ったときのことだ。
マリアは辺境の剣聖と謳われた、父親のガンマ・ベアトリクスから幼少の頃より指導を受けていた身だった。
本人も剣術が好きで才能もあったこともあり、その剣技は将来においてガンマを凌ぐと言われたほどで、実際にマリアは魔物討伐のクエストにおいても前衛の仕事ぶりは凄まじかった。
加えて、マリアには〈異能〉があった。
筋骨隆々の大人顔負けの【怪力】という〈異能〉である。
この【怪力】によってマリアは本人の身の丈を凌ぐ大剣を自由自在に操り、父親から習っていた剣術も相まって高ランクの冒険者と遜色のない腕前を発揮した。
もしも魔族の侵略がなかったのなら、マリアは確実にAランクの冒険者になっていただろう。
しかし、今のセレスティア王国では冒険者のランク制は廃止されてしまった。
冒険者はどんな依頼をこなそうが、全員とも一律でFランクである。
もちろん、もらえる報酬もどんな依頼だろうとFランク相当の報酬しかもらえない。
そうなると依頼する側は大喜びだ。
昔は高報酬を払わなければいけなかったAランクの仕事を、今ではFランク程度の報酬で依頼できるのだから。
けれど、その分だけ割を食うのは冒険者と冒険者ギルドである。
冒険者は命懸けの仕事をこなそうが低報酬しかもらえないし、冒険者ギルドはその少ない報酬から手数料をもらうしかないので実入りは確実に減ってしまった。
かつてこの冒険者ギルドのスタッフも二十人はいたのだが、今ではアクエラとファガルを加えても八人しか残っていない。
それでも食うためには冒険者関係の仕事を辞めるわけにはいかない。
冒険者関係の仕事を辞めたとしても、その先に待っているのは浮浪者か物乞いという状況だった。
では、このまま魔族に好き勝手にさせていいのか?
答えは否である。
国を蹂躙した魔族には必ず報復する。
そのために表向きの仕事は辞めてはならない。
今はじっと報復する時期を待ち、魔族どもを油断させておくのだ。
アクエラは弓矢から視線を外すと、気合を入れるために軽く両頬を叩いた。
「さて、今日も表の仕事を頑張りませんと」
気合を入れたアクエラは部屋を出ると、酒場を併設している一階のホールを目指して歩き出す。
途中、アクエラは同じ階にある父親の部屋へと寄った。
扉を軽くノックすると、中から弱々しい声で「どうぞ」と返ってくる。
アクエラは室内に入り、ベッドで横になっている父親に微笑む。
「父さま、ご気分はいかがです?」
「ああ……今日はだいぶ調子が良いよ」
父親――ファガルは顔だけを横に向け、アクエラに優しい笑みを浮かべた。
だが、その笑みの裏に強い病魔の影がちらつく。
調子が良いというのは嘘だろう。
いつもより顔色はかなり悪い。
病魔に侵される前のファガルは筋骨たくましい身体をしていたものの、今では日に日に瘦せ衰えてアクエラよりも細身の身体になってしまった。
「すまんな、アクエラ。お前には迷惑をかけっぱなしで……ごほっ、ごほっ!」
「父さま!」
アクエラは血相を変えて駆け寄る。
「だ、大丈夫……ちょっと咽ただけだ」
アクエラは顔を歪めた。
明らかな嘘だ。
何も食べたり飲んだりしていないのに咽るはずがなかった。
病気が進行しているのだ。
高級薬草でも治らない不治の病が。
「父さま、このギルドのことはわたくしに任せてください。父さまは何も心配する必要はありません。ここ最近は古参の冒険者さんたちが頑張ってくれているおかげで、ギルドと酒場の売り上げも少しづつ伸びているんですから」
アクエラの心臓に鈍い痛みが走る。
嘘だった。
古参の冒険者たちが頑張って仕事を達成してくれているのは本当だが、魔族による税金の重さでギルドも酒場の売り上げも下降の一途を辿っている。
何とかしたい。
だけど、個人ではどうしようもできない。
アクエラもファガルも元セレスティア国民だ。
冒険者なので平民の立場は保証されているが、それでも元セレスティア国民には平民や商人に関わらず理不尽な税金が毎月のように加算されていく。
このままではそう遠くないうちに、元セレスイティア国民は全員とも物乞いや奴隷身分になるだろう。
だからアクエラもファガルも加入したのだ。
愛すべきセレスティア王国を蹂躙し、自分たちを魔族と称してのさばっている悪魔たちと敵対する組織にである。
アクエラは乱れていた毛布を整え、ファガルにニコリと笑みを向ける。
「さあ、もう少し休んでいてください。今日の【反逆の風】の会合もわたくしが参加しますから」
とアクエラが告げたときだ。
「た、大変です!」
突如、スタッフの一人が部屋に飛び込んできた。
受付係のアイリーンだ。
アクエラの背筋に嫌な予感が走る。
普段は冷静なアイリーンがこんなに慌てているということは、何か大変なことが起こったのかもしれない。
「ど、どうした……な、何かあった……のか?」
アクエラはハッとした。
アイリーンが何か凶兆を持ってきたのは確実だ。
そして、その凶兆は必ずファガルの体調を悪化させてしまうに違いない。
「アイリーンさん、ひとまず外で」
アクエラはアイリーンと一緒に通路へ出た。
静かに扉を閉めて小声で尋ねる。
「何があったんです?」
「あの魔兵の荒くれ者がまた来ました」
アイリーンも小声で応えた。
魔兵の荒くれ者といえば、脳裏に浮かんでくるのは一人である。
「ゴンズですね……それで、まだそいつはいますの?」
はい、とアイリーンはうなずいた。
「いつものように一階の酒場でクレームをつけて暴れています。そのクレームの仕方があまりにもひどかったので、さすがにマーカスさんも怒ってしまって……」
これにはアクエラも目を見開いた。
「ダメですよ。魔族の直轄の部下である魔兵に楯突いたら、それこそ魔族たちに何をされるかわかりません」
「私もそう言ったんですけど、それでもマーカスさんは我慢の限界だったらしくて」
アイリーンが最後まで喋るのを待たず、アクエラは駆け出して一階へ向かう。
魔兵に歯向かうことは魔族に歯向かうことと同義だ。
それこそ反逆罪として殺されても今のセレスティア王国では普通のこと。
だからこそ、歯向かう場所と相手は慎重に選ばなくてはならない。
(お願いいたします、女神セレスさま。どうかマーカスさんの命を助けてください)
女神セレスに祈りを捧げながら、アクエラは一階のホールへと降り立った。
「――――っ!」
ホールに到着した直後、アクエラは異様な光景に全身が固まった。
「何だ、この野郎!」
「もういっぺん言ってみろや!」
ホール内に小柄な二人の男の怒声が響き渡る。
ゴンズの手下である。
「なあ、兄ちゃん。俺は耳が悪くってな。もう一度言ってくれねえか? 魔兵である俺さまをどうするって?」
黒い甲冑と赤い外套を羽織った二メートル近い大男が、出入り口に佇んでいる一人の男性に向かって鼻息を荒げる。
大男のほうはゴンズに間違いない。
茶色の短髪に、角ばった顔つき。
確か年齢は三十代半ばぐらいだったと思うが、生やし放題の無精ひげのせいで四十代にも見える。
ゴンズは凶暴かつ依頼主に暴行を働いたことで、かつてファガルに冒険者ライセンスを取り消された元冒険者の荒くれ者だ。
そんなゴンズと視線を交錯させていたのは、おそらく槍を持った男性だった。
なぜか頭部と全身を隠すように外套を羽織っている。
「聞き取れなかったのならもう一度言います。怪我をさせたスタッフの方に謝罪し、きちんと治療代を払ってすぐに立ち去りなさい。ですが、それも嫌だと言うのなら――」
槍を持った男性はきっぱりと言い放つ。
「私はあなたを調伏する」




