かの令嬢が陰謀に用いたのは『断罪の剣』だった
真っ先に目についたのは。
婚約者と、婚約者に肩を抱かれている泥棒猫だった。
「──オリヴィア、単刀直入に言おう。君がこのアイシャ嬢に裏で数々の嫌がらせをしていると聞いたぞ」
「さあ? 存じませんわね」
「しらばっくれるのもやめたまえ。見ろ、こんなに震えて、怯えているのだぞ。可哀想に……」
「ああ、アルフレッド様……」
「アイシャ……」
「………………」
私は──伯爵令嬢であるオリヴィアは、その光景を黙って見ていた。
公爵令息であるアルフレッド様と男爵令嬢であるアイシャ嬢の、恥も外聞もないイチャつきを。
全く……。
未来の伴侶である私をそっちのけで、お熱いこと。
『王都の西、愛の女神の神殿に来るように。理由はそのとき話す』
たったこれだけの伝言で人を呼びつけたと思ったら、出だしからこれである。
「君のような冷酷な振る舞いをする女性とは、僕は生涯を共にできない。その意味はわかるね?」
「本気で仰ってますの?」
「ああ、本気だとも。目が覚めたんだ。今の君は僕にとって、物語や演劇に登場する、憎たらしい悪役そのものだ」
目が覚めたわりには寝ぼけたこと言ってますね。
だいぶアイシャ嬢の甘ったるい声が脳みそに染み込んでいるみたい。
「わたくしとアルフレッド様の愛は、形式だけの冷えきった婚約なんかで遮られはしませんわ!」
だんだんアイシャ嬢の声のトーンが上がってきた。
先ほどまですすり泣いてアルフレッド様にしがみついていたのは何だったのか。
巻き込まれたくないから遠巻きにこちらの様子をうかがっているギャラリーも首をかしげている。
この突発的な事態に驚いている者はいても、この二人の関係に驚いている者はいないだろう。
アルフレッド様とアイシャ嬢の関係は、なかば公然の秘密と化していた。
知らぬ者は赤ちゃんくらいのものだ。
「その通りだとも、アイシャ!」
あら、こっちも声が大きくなってきた。
興奮は伝染するのね。
「形式もなにも、私達の婚約は両家が決めた正当なものでしてよ? なにより王家も認めています。それに背くのはいかがなものかしら?」
「ぐっ」
アルフレッド様がひるみました。まだ理性が残っていた模様。
「確かに一理ありますわね。しかし」
「しかし?」
「いかに伯爵家、公爵家といえど、王家でさえも、天の意思には抗えないのではありませんか?」
「また大きく出ましたね。いつから男爵家は神に近い存在になったのかしら?」
「まさか。我が家のことではないわ。あれをご覧なさい」
アイシャ嬢は上方を指差しました。
そこに安置されているのは、一本の剣。
この神殿の象徴ともいえる一振り。
「……『断罪の剣』が、どうかしたのですか?」
「簡単なことですわよ。あなたの悪辣さと、何の安らぎもない政略結婚……人が裁けないのなら、神に裁いてもらうまで!」
「ど、どういうことなんだいアイシャ。いったい今から何を──」
「さあ、愛の女神シルシュリスよ! 愛を蝕む悪女にしかるべき罰を! 正しく厳しい裁きを! そして我が真実の愛をご覧あれ!」
動揺しているアルフレッド様を無視して、歌うようにアイシャ嬢がのたまうと、
「「「「おおおっ……!?」」」」
神殿にいた者たちが、一斉にどよめいた。
女神の祝福を受けたという伝説のある、その名も──断罪の剣。
その剣が、輝きを放っている。
汚れなき黄金の輝きを。
「ああ、なんて素晴らしい光! やはり伝説は正しかったのね! 素晴らしい、素晴らしいわ!」
アイシャ嬢が狂喜しているあいだも、断罪の剣は、さらにまばゆく輝き。
神殿内を、金の光が、あますところなく照らしていく。
なんという荘厳。
なんという奇跡。
黄金の光は、太陽のごとくさらに一際輝くと──
不意に、全てが幻だったかのようにその輝きを消し、
ごとん
さっきまでの荘厳さとは真逆の、重いものが床に落ちる音。
アイシャ嬢の頭部が切断されて、首から滑り落ち、床とぶつかった音だった。
神殿は、阿鼻叫喚の様相となった。
私はあまりの光景に立ちすくんでいた。
首から上が無くなったアイシャ嬢の身体が倒れかかってきたアルフレッド様は、支えることもままならず、血しぶきを浴びながら一緒に倒れ込んだ。
両手をめちゃくちゃに動かし、「うわあ」だの「ひいぃ」だのとわめくばかり。
少し経ってから、ようやく、騒ぎを聞きつけた兵士が雪崩れ込んできた。
その場に居合わせた全員が事情聴取を受けた。私やアルフレッド様も例外ではない。
その結果……誰一人として、おとがめ無しとなった。
男爵家からは当然激しい不満の声が出た。
当たり前だ。
昨日の今日まで元気だった娘がいきなり首と胴を泣き別れにされて戻ってきて、家族が平静でいられるわけがない。
けれど泣く泣く諦めざるを得なくなった。
理由はわかりきっている。
伯爵家や公爵家を相手取って本気で事を構えるのは、流石に厳しいからだ。
──いや、それどころではない。
最悪、男爵家そのものが女神の怒りを買うことになるかもしれない。
こうなったのも、アイシャ嬢が女神に呼びかけたのが、さらに言うなら婚約者持ちのアルフレッド様に横恋慕したのが大元の原因なのだから。
私とアルフレッド様の婚約がご破算になったのが、男爵家の人々の溜飲を多少は下げたのもあるのだろう。
それらの理由が重なり、男爵家は沈黙したのだった。
アルフレッド様は婚約破棄の片棒を担いだだけでなく、女性恐怖症にまでなってしまった。
女性が近づくだけでアイシャ嬢のことを思いだし、パニックになるらしい。女の色香に負けた代償なのだろうか。
そんな使いものにならなくなった男性との婚約など、我が家としても解消せざるを得ない。私も嫌だったから助かった。
こうして今回の件は、男爵家の娘が女神の威を借りて無茶を通そうともくろみ、逆にその怒りに触れたと結論づけられた。
「……本当に、伝説は正しかったのね」
上手くいった。
いや、何もかも上手くいきすぎてしまったというべきだろう。
思惑通りに、彼女は、アイシャ嬢は踊ってくれた。
華やかな死の舞踏を。
とある一冊の本。
私がたまたま、学園の誇る図書館の奥で見つけた、断罪の剣について記された埃まみれの一冊。
その本を、これ見よがしに、普段アイシャ嬢が指定席にしているテーブルに、数冊の無関係な本と共に置いておいた。一冊だけでは不自然すぎるので。
私ほどではないが、アイシャ嬢も、かなりの本の虫だ。
きっと飛びつくに違いない。
その本なのだが、とある部分を、違和感のないよう巧妙に書き換えてある。
『愛を偽る者を断罪する』
という一文を、
『愛を阻む者を断罪する』
へと、ささやかな変更をしたのだ。
インクを綺麗に消すために魔法薬まで購入したが、安い買い物だ。
それでも、前後の文章や、この剣にまつわる逸話をよく理解したら、その違和感に気づきそうなものだが、彼女には無理だったらしい。
自分の手を汚すことなく、しかも大っぴらに私を葬れる方法が唐突に見つかり、それを実現させることしかアイシャ嬢の頭にはなかったのだろう。
でも、最初は半信半疑だったはずだ。
だけど、ひそかに剣を持ち出させて(軽業師でも使ったのでしょうね)月の光を浴びせると、書物に記されていた通りに剣の柄にはめ込まれていた聖石が輝きを宿していくのを見て、嫌でも信じたに違いない。
私がそうだったように。
私の侍女であり、優秀な護衛でもあるマーナ。
恐ろしいほど身軽な彼女に、夜中、こっそりやらせたのだ。
私の目の前で、光る糸が巻き込まれていくように、月の光を吸い込んでいく聖石。
伝説が真実だったと確信した瞬間だった。
マーナの話では、怪しげな男たちが神殿に忍び込んでいるのを連日目撃したという。
アイシャ嬢は食いついてくれたようだ。
あとはアイシャ嬢が、書物に書かれている通りに聖石が金色に輝くまで毎晩毎晩月光を吸わせるだろうから、私はただ待てばよい。
月と愛を司る女神・シルシュリスの加護がもっとも強まるとされている、月霊の日。
毎月の九日。
その日がくるのを待つだけだ。
そして──いよいよ、その日がやってきた。
断罪の剣が高所に飾られている、シルシュリスの神殿。
意気揚々とアイシャ嬢は、アルフレッド様に呼びつけられた私に死刑宣告をやろうと、ウキウキしていただろう。
それが自殺宣言になるとも知らず。
──アイシャ嬢は、私に嫌がらせをされたとアルフレッド様に泣きついたが、実際は逆だった。
私が彼女に嫌がらせをされていたのである。
まあ、どれも大したことでもないし、さして気にもとめなかったが、流石に毒はやり過ぎだ。私の寛容さにも限度がある。
死に至るほどの効果ではなかったらしいが、マーナが気づかなければ酷い目に遭っていたところだ。
「お返しいたしましょうか。命にかかわるレベルのもので」
マーナはそう聞いてきた。
表情こそ変えてないが、マーナは私よりも怒っていた。長い付き合いだから、それくらいはわかる。
命じれば本当にやるだろう。
それに、次はもっと凶悪な毒を盛られかねないという不安や恐怖もある。やはり先手を打つべきか、それとも悪事の証拠を揃えてしかるべき裁きを受けさせるか。
どうしたものか迷っているとき、例の、断罪の剣について記された本を偶然見つけたのだ。
それでも、私はアイシャ嬢にチャンスを与えた。
まず、どういう結果になろうと、私が死ぬことはない。
私は愛を偽ってなどいないからだ。
なので、あとはアイシャ嬢がアルフレッド様に対して真実の愛を持っているか否かである。
もし持っていたとしたら、あの宣言のあとも彼女は死ななかったし、なんなら、そのままアルフレッド様を譲るつもりだった。
断罪の剣が何の威力も発揮しなかった場合も同様だ。
思い止まって、断罪の剣を利用しなかった場合も、である。
二人で好きにしなさい、もう私は知らないからと。
しかし結果はご覧の通り。
アイシャ嬢は、何もかもが嘘にまみれた女だった。
平然と、女神の力を用いて、書物に記された方法で私の命を奪おうとした。
その結果があのザマだ。
ごろりと転がった、アイシャ嬢の首。
勝ち誇ったまま、笑みを浮かべていたあの死に顔。
あれは一生忘れられそうにない。
しかし、まともな対策も打たず暗殺されたり、周りの人間をその巻き添えにしたり、マーナに汚れ役をやらせるよりは、まだマシだったと思う。
後悔はしていない。
最後まで読んでくれたことに感謝。
現在、ハイファンタジージャンルで『ごめんなさいね、もう聖女やってられないんですよ』
という長編も書いてますので、よければ読んでみて下さい。
では。