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いつものようにオーレリアとレティシアと共に皇妃の執務室にいたところ、ちょっとお怒りモードのユージーンが入ってきた。
「ユージーン様?どうかなさったのですか?」
オーレリアが心配そうに声をかけると、ユージーンがオーレリアに手紙を渡した。
「ムカつく手紙だ。もう少し持つと思っていたのだが、案外ふがいないな」
オーレリアが受け取った手紙には、見覚えのある紋章があった。
「……これは……リンド王国の紋章ですね」
リンド王国、オーレリアが生まれた国。
かつて彼女が愛していた幼馴染の元婚約者と、彼を奪った王女がいる国。
王女を嫁がせるというバルバ帝国との国家間の約束を、平然と破るような国王がいる国だ。
鉱山資源しか輸出するものがない山に囲まれた小さな国ゆえに、元々上層部が他国の情報に疎く、さらに外交を一手に担っていた公爵であるオーレリアの父が帝国に一緒に移住したことで、外に対する目と耳、交渉術といったものを全て失っている状態のはずだ。
それに外交官として育っていた若手は、オーレリアの父を慕って国を出て全員こっちに移住したことで、他国にいいようにされていると聞いている。
リンド王国出身者たちはユージーンがまとめて拾い上げて、今はバルバ帝国の外交を担っている。
「上はリンドの国王からの手紙だ。下はオーレリア個人宛だが、開封させてもらったぞ」
「もちろん構いませんわ。そもそも、どなたが私個人に手紙を送ってきたのでしょう?」
オーレリア宛に手紙を送ってくるのはリンドの王妃くらいだ。
あの時、王族の中で唯一オーレリアの味方になってくれた王妃とは、細々とした手紙のやり取りはしている。
けれど彼女は決して助けなど求めない。
このまま王妃として国とともに滅ぶつもりでいるのだ。
出来れば王妃だけでも助けたかった。
帝国に来て、残りの人生を穏やかに生きてほしいと願っている。
けれど、彼女は王妃として責任を取るつもりでいるのだ。
愚かな夫や娘と共に滅ぶという方法で。
「王女からだ」
「まぁ、手紙をやり取りするような仲ではございませんわ」
「知っている。あの女と付き合う必要はない。だが、あちらはいつまでもお前のことを自分より下だと思っているようだな」
どうやら怒りの原因は、ベリンダ王女からの手紙らしい。
オーレリアは、受け取った手紙を開いて読んだ。
そして、呆れた。
「すごいことが書いてありますね。お前はリンドの公爵令嬢なのだから、リンドのためにバルバ帝国のお金を流せ、とは。愚かすぎますわ。他にも、色々と優遇しろだの、リンドの地位を上げろだの、とうてい属国の王女が帝国の皇妃に送る内容の手紙ではないですわね」
「それも当たり前のように命令しているな。リンドの王女など、我が帝国ではせいぜい田舎の子爵令嬢くらいの価値しかない。それもあの程度の鉱山など、帝国にはいくらでもある」
リンド王国が見逃されていた理由は、属国の中でも隅っこの方にある小さく何の旨味もない国だからだ。
わざわざ山を越えて攻める価値もない国。
属国と言ってはいるが、帝国にとってはあってもなくても特に問題のない、見逃したというより放置していただけの国だ。
王女を皇帝に嫁がせるという約束も、属国の証としてリンド王国側から申し出たものであり、ユージーンが特に何か命令をしたわけではない。
妻という名の人質を送ってくることはよくあることだったので、そのまま受け入れただけだ。
だが、リンド王国側からの申し出であることと、それを反故にされることは別の問題だ。
帝国にも面子というものがある。
属国からの申し出を属国からの理由で、それも仕方のない理由ならともかく、当事者である王女が行きたくないから、などというふざけた理由で反故にしたなど、本来であれば許されることではないのだ。
それが判明した時点で、リンド王国が灰燼に帰していてもおかしくなかった。
実際に嫁いで来たオーレリアがユージーンの心を掴み皇妃となり、おまけについてきた父親とその部下たちを取り込むことに成功したから何もしなかっただけだ。
ユージーンの中では、オーレリアと父親のノウジュ公爵、さらにおまけの若手たちは、リンド王国全体より価値のある存在だった。
「あの国がやった唯一褒められることは、お前を身代わりに寄こしたことだな。それだけは褒めてやろう。おまけもたくさん来たことだしな」
「まぁ、ユージーン様。お父様たちのことをおまけだなんて……」
「はは、リンドは俺に最愛の皇妃と有能な外交官をくれた。この帝国では、いや、リンド王国以外の場所では、あの小国の王女よりお前の方が身分は上だ」
「はい、分かっております。たとえ誰が何と言ってこようが、リンド王国を優先することなどありません。それに、個人的に会う気もありませんわ」
「外交官としてお前の元婚約者のフレディという男が来るそうだ。挨拶くらいは受けるが、俺も個人的に会う気はない。それは官僚共の仕事だ。何が外交官は皇妃と親しくしていた者だから、色々と便宜を図ってほしい、だ。図々しいにもほどがある。俺と話をしたいのならば、最低限国王本人が来るべきだったな」
来たところで、皇帝がたかが小国の王と直接話をするかどうかは別問題だ。
「オーレリア、お前の元婚約者とその妻が何を言ってこようが、断ってかまわんからな。会う必要など何もない」
「はい」
そう返事をすると、オーレリアは王女からの手紙をゴミ箱へと捨てた。
この手紙は、まともに読む価値もない。
自分と国に便宜を図れ、ということの他にも、贈り物をしろだの、どこかの領地を寄こせだの、本当に図々しい。
属国の外交官の妻の相手をわざわざするほど、皇帝と皇妃は暇ではない。
「レティシア、ドロシー、オーレリアの周りをいつも以上に注意していろ。見知らぬ者はけっしてオーレリアに近付けさせるな」
「はい」
「承知いたしました」
皇帝夫妻の会話を遮らないように黙って控えていた二人にそう言うと、ユージーンは部屋を出て行った。
「二人とも、もしリンドの者が話しかけてきたら、当たり障りのない話でもしておけばいいわ。聞いた通り、私も陛下も直接会うつもりはありません。あの国はお父様を失ってから、外交で失敗続きらしいから」
フレディが多少はがんばっているそうだが、王女の婿という肩書きは何の盾にもならず、各国にいいようにされていると報告がきていた。
オーレリアは、それを聞いても特に助けようとは思わなかった。
もうオーレリアの心は、帝国の、ユージーンのものだ。
生まれた国に対する愛情は、全て消え失せた。
「ふふ、私、薄情かしら」
「そんなことはありません」
オーレリアの言葉にレティシアがすぐにそう返した。
レティシアには、オーレリアの心が理解出来るだろう。
レティシアだって、生まれた国と妹を優先する家族、そこで築いてきた全てを捨てて、愛する者と共に帝国に来た。
ここでしか、結ばれることが出来なかったから。
そのことに後悔はないと言っていた。
そして帝国で生活していくうちに、生まれた国のことはあまり良い思い出もないせいか思い出せなくなってきた、とも。
オーレリアも嫁いで来た時は何度も思い出しては心が痛んでいたが、ユージーンが傍にいてくれて、毎日彼のことで頭と心がいっぱいになって満たされていくうちに、気が付いたら全く思い出さなくなっていた。
オーレリアもレティシアも、生まれた国に対する思いはもうないのだ。
けれどドロシーはどうだろう。
生まれも育ちも帝国である彼女は、おそらくこの帝国から出たことがない。
オーレリアやレティシアのように、生まれた国に複雑な思いを持つ者でもない。
「たまたまその国に生まれただけのことです。それだけでその国に便宜を図れというのは、おかしな話かと。オーレリア様が何も思っていらっしゃらないのでしたら、なおさらです」
「生まれた国なのに、とは思わないの?」
「私も、もし実家が何かしろと言ってきても聞くつもりはありませんし、ミラー伯爵から頼まれても何かするつもりはありません。国よりは小さな家単位の話になってしまいますが、情がないのは同じかと」
まぁ、と言ってオーレリアはくすくす笑い出した。
「そうね、私たちは薄情な三人組ね。もし私たちの実家が見返りを求めて私たちを皇宮に送り出していたら、役立たず、と怒られてしまっているところよ」
楽しそうな笑い声が、その場に響いていた。