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読んでいただいてありがとうございます。年内完結を目指していますが、出来るかな……。
「来たか」
皇帝の執務室に入ると、ユージーンとオーレリアがいた。
ユージーンは仕事をしていたようだが、オーレリアはソファーに座っていた。
「堅苦しい挨拶などはいらん。まぁ、座れ」
ユージーンがオーレリアの隣に座り、ノアとドロシーに向かい側のソファーに座るように促した。
この皇帝が、公式以外の場ではそういう決まり切った様式美の挨拶をする時間があったらさっさと用件を済ませたい人物であることを知っているので、ノアもドロシーも一礼だけして座った。
「今、紅茶を淹れるわね」
オーレリアの言葉にドロシーが慌てて立ち上がった。
「オーレリア様、紅茶なら私が淹れます」
「いいの。たまには私が淹れた紅茶をユージーン様に飲んでもらいたいのよ。それにあなたたちにもね」
オーレリアが楽しそうに紅茶を淹れ始めたので、ドロシーは戸惑いながらも大人しく座った。
「気にするな、ドロシー。オーレリアの好きにさせてやれ」
「はい」
ユージーンは、優しい瞳でオーレリアを見ていた。
ドロシーの理想ともいえる夫婦の姿に、少しだけ心が痛んだ。
そんなドロシーの心を察したのか、机の陰に隠れてノアがドロシーの手をそっと握った。
「はい、どうぞ」
いつもの皇妃の顔ではなくて、完全にプライベートの笑顔でオーレリアは紅茶を淹れてくれた。
優しい紅茶の匂いがふわりと香り、そこに温かな空気のようなものを感じた。
「美味いな。この紅茶、フレストール王国からもらったものか」
「ふふ、女王陛下のお気に入りの紅茶だそうです。個人的に好きな紅茶なので、こういう時くらいいいかなと思いまして」
「あぁ、帝国産にこだわるやつは多いからな。だが、これはこれで美味いと思うぞ」
「美味しいものは国境を越えますわ」
「そうだな。さて、ドロシー、美味い紅茶の後だが、あまり楽しくない話をしようか」
「はい」
覚悟は、とっくの昔にした。
この十日間、自分でも色々と考えたが、どう考えても伯爵家の存続が危うい。
父は罪人として有罪を免れないだろうし、本来後を継ぐべき人間はすでに生贄にされてこの世にいない。唯一生き残っているのはドロシーだけだが、ほとんど皇都の屋敷に閉じ込められて育っているので、伯爵家の領地に一度も行ったことなどない。それに、コートヴァー伯爵家を継ぎたいかと言われれば、特にそんな気もない。
罪人だらけのコートヴァー伯爵家を残す意味などない。
「お前の家族はすでに生贄にされていた。父親はまだ生かしてあるが、情報を絞れるだけ絞ったら鉱山送りにする。最下層の過酷な場所で労働させるゆえ、会いたいのなら今のうちに言ってくれ。それが今生の別れになるぞ」
ユージーンは、ドロシーの父に貴族として処刑することを許さず、あえて過酷な労働を罰として与えた。あの男はそれほど重要な人物でもなく、生贄と場所を提供して甘い汁を吸おうとしただけの小物だ。わざわざ教団が取り返しにくることもないだろう。処刑をしてさっさと終わらせるよりは、今まで肉体労働をしたことのないような男を鉱山の最下層に落とすことでより過酷な罰とした。もっとも、その命がそれほど長く保つとはユージーンも考えていない。
「会いたいとは思っていません。これから先も、そういう気持ちにはならないと思います」
ドロシーを殺そうとした父親だ。物心ついた時には、ドロシーを嫌っていた人に会いたいとも思わない。
たとえ鉱山で亡くなったという話をされても、そうですか、で終わらせるだろう。
「父が私の結婚を決めた時、サイラス様と結婚すれば幸せになれると言っていました。その時の私は、素直に喜んだんです。ですが、今思い返せば、父の言葉には何の感情も含まれていませんでした。ただその言葉を口に出して言っただけで、父は私の幸せを望んでいたわけではなかったのだと思います。ただ、そう言って厄介払いをしたかったのでしょう」
そのくせ、追い詰められるとドロシーを生贄にしようとした。
父にとって家族とはどんな存在だったのだろう。
自分のためなら、生贄にされて殺されると分かっていても簡単に家族を売ってしまうような身勝手な父だった。
「そうか、重い言葉を簡単に口にする者たちもいる。言葉にするだけなら簡単だと思っている連中もな。そういった連中は、口に出すだけで何の責任も取らん。コートヴァー伯爵家の中で、明確にあの集団に関わっていないと言えるのはドロシーだけだ。多かれ少なかれ他の人間は関わっていたようだ」
「私は、伯爵一家の中には入れてもらえていませんでしたから。ですが、もし入っていたら、もっと前に生贄として殺されていたでしょう。皇宮で働くこともなかったでしょうね」
「ふ、そう考えると、あの男の数少ない功の一つがドロシーをコートヴァー伯爵家から解き放ったことか。そのコートヴァー伯爵家だが、存続はさせる。だが、分家の者たちもあの集団に関わっている者が多いので、他家の者に継がせることにした」
「はい。家を存続させていただけるだけでも有難いと思います。断絶すると思っていましたから」
「そうしようかとも思ったのだが、伯爵家の領地をどうするかという問題もあったし、ちょうど良い人材が転がっていたからな」
「ちょうど良い人材ですか?」
「そうだ。どこかでコートヴァー伯爵家の血を引いている者ならどんなに遠い血縁関係の者でもいいと思っていたら、ちょうど最近引きこもりを止めたヤツが薄くだがコートヴァー伯爵家の血を引いていたんだ。あいつの家の何代か前の当主にコートヴァー伯爵家の女性が嫁いできていた」
ノアはその話をユージーンから聞かされた時は、さすがに驚いた。
貴族なのだからどこかで血の繋がりがある者は多いが、まさかクレイルがコートヴァー伯爵家の血を引いているとは思わなかった。
つまり、クレイルとドロシーは親戚にあたる。どんなに昔のことでも、確かに血の繋がりがある。
クレイルは伯爵家の長男だったが、図書館に引きこもっている間に家督は弟が継いだ。
これから先、ユージーンの側近として爵位も必要になるし、ユージーンを裏切ることもなく宗教にも興味はないので、コートヴァー伯爵の地位を継ぐのにちょうど良い人物ではある。
ユージーンはクレイルにコートヴァー伯爵家を継がせて、ドロシーを、養女にということはさすがにないが、後見させるつもりでいた。
ノアとさっさと結婚でもしてくれればいいが、さすがに侯爵夫人となってしまえば忙しくて皇宮勤めは無理だろう。それに離婚したばかりのドロシーでは、すぐに結婚する気は起きないかもしれない。
コートヴァー伯爵家の領地にはあの集団が入り込んでいたので、それなりに大掃除をしなければならないという問題もある。そうなるとユージーンと直接やり取りが出来る人間の方が話が早い。
コートヴァー伯爵家を預けることで、クレイルがどこまで出来るのか試す意味もある。
知識はある。だが、外での実績がない。
現実は、本で学んだこと以上に何かが起こる。
それをクレイルが上手く対処出来るかどうかの見極めもしたかった。
「悪いようにはしない。しばらくコートヴァー伯爵家のことはこちらに任せてくれ」
「陛下のよいようになさってください。どのみち私はコートヴァー伯爵家を継ぐつもりはありませんので、領地はお返ししようと思っておりましたから」
今のところドロシーはコートヴァー伯爵家の唯一の直系になるが、伯爵家に何の未練もない。
「表向きは横領やら何やらでの当主の交代だ。俺の追及に絶望して家族を殺害した、そんなところだな」
「それでいいと思います。歴史に少しだけ悪名を残して消えた、そんな扱いでいいと思います」
父はプライドの高い人だった。
いつだったか酒を飲んで、歴代のコートヴァー伯爵の中で自分が最も優れているというようなことを言っていた。
それが歴史書に短く一文だけ残る程度の小さな悪名だけを残して消える。
何となくだが、それでいい気がした。
「ではコートヴァー伯爵家についてはその方向で話をまとめる。次にドロシーのことだが、このままオーレリアの下で女官として働いてくれ。ドロシーの場合はコートヴァー伯爵家の娘というより、ミラー伯爵の妻として認識している者の方が多い。いざとなればノアの家が後見すると言っている」
「ノア様の?」
隣に座るノアを見ると、にっこりと笑って頷いた。
「妹が父上に相談したんだ。両親も君のことは知っているから、後見を引き受けてくれるそうだよ」
ついでにノアが求婚中なのも知っている。
父からは、焦ってはいけないが機会は逃すな、常に相手は逃げる準備をしていると思え、と謎の助言をされた。
母が笑っていたので、両親の過去が少しだけ気になった。
「ドロシー殿が真面目に仕事をする両陛下からの信頼が厚い人物であることは父上も知っているから、話は早かったよ」
「……ありがとうございます」
褒められるのになれていないので、真面目だの信頼が厚いだの言われると、どうにも照れてしまう。
「ドロシーがいなくならなくて良かったわ。まだわたくしを助けてほしいもの」
「ドロシーは複雑な気になるかもしれんが、お前がミラー伯爵と結婚してあの家を離れていたから、今回のこととは関係がなかったと言える。とんでもない結婚生活だったかもしれんが、命を守ることは出来た」
「そう言われれば確かにそうですね。あの家でじっとしていた時間が無駄ではなかったということですね」
結婚してから一度も実家に帰らず、手紙のやりとりさえしていない。
そのことは、皮肉にも夫であったサイラスが証明してくれる。
サイラスが最初に言ったのだ。
この家に嫁いできたのなら実家を捨てろ、実家に帰ることも手紙を出すことも許さない、と。
ドロシーは家に帰る気も手紙を出す気もなかったが、サイラスがそう言ったことであの家の者たちは、ドロシーがサイラスの言葉を守るかどうかの見張り役になっていた。
そして、ドロシーの行動はサイラスに逐一報告されていた。
歪んだ見方でドロシーの性格がとんでもないことになっていたかもしれないけれど、行動については正確に報告されていたはずだ。
だから、ドロシーがコートヴァー伯爵家と連絡を取っていなかったことをサイラスは知っている。
「ドロシー、これからもわたくしを支えてね」
「はい、オーレリア様」
隣でノアが複雑そうな顔をしたのがチラリと見えた。
ノアには悪いが、この場所はドロシーが自分の力で掴んだ居場所だ。
きっかけはともかく、オーレリアの傍で真面目に仕事をして得た信頼だ。
まだこの場所で、必要とされていたい。
色々と有り過ぎてまだ心の整理が上手くされていないが、今のドロシーの素直な気持ちはそれだった。
 




