㉑
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医務室へと運ばれたドロシーは、医者によって手当てされた。
どの箇所も腫れてはいるが、骨には異常がなかったので、痛み止めや塗り薬などをもらったのだが、医者に今晩は医務室に泊まるように言われた。
医務室とはカーテンで仕切られた隣の部屋には、怪我が酷かったり具合が悪い人用にベッドが数台置いてあり、医者が数時間おきに見にきてくれるのだ。夜中に具合が悪くなったとしても、医者が常に待機しているので、すぐに診てくれる。
ドロシーの場合は、夜中に熱が出る可能性があったので、念のために一晩はそこで過ごした方がいいとの判断だった。
「すみません、レティシアさん。ご迷惑をおかけしました」
医務室に食事などを持ってきてくれたのは、レティシアだった。
「いいのよ。どのみちドロシーさんは今日はお休みだったんですもの。オーレリア様も心配なさっていたわ。それにしばらく腫れは治まらないでしょうから、部屋の外に出る仕事は私がやるわ」
「重ね重ねご迷惑をおかけします」
今はレティシアが部屋の中のことをして、ドロシーが部屋の外に出る仕事をするように分担していたのだが、腫れが引くまではレティシアに行ってもらうしかない。さすがにこの腫れた顔では変な噂が広まってしまう。
「オーレリア様は、ドロシーさんに部屋の外のことに少しでも興味を持ってもらいたくて、あえて皇宮内を歩き回るような仕事を回していたの。部屋の中に籠もってばかりでは、ドロシーさんに何の変化も生まれないだろうからって」
「そうだったんですか?」
「何でも良かったのよ、ドロシーさんが楽しそうにしていれば。あなたのことを紹介してくれたフレデリカ様から、今まで刺繍ばかりしていて、家族や夫に見向きもされず、家から出ることだってあまり許されていなかったって聞いていたから。少しでも興味を惹かれることができればいいな、ってオーレリア様と話していたのよ。人でも物でも何でもよかったのだけど、心惹かれるモノはできたかしら?」
「……はい。そうですね」
実際、仕事は楽しいし、いない者として扱われていた自分が誰かの役に立てているのだと感じることが出来るのは、新鮮な気持ちだった。
フレデリカはもちろん、ユージーンやオーレリア、レティシア、そしてノアには感謝しかない。
「私、ここで色々な方と触れ合ったことで、今まで自分が生きてきた世界の狭さを知りました。小さな世界しか知らなくて、そこ以外は縁のないものだと思っていました。でも、勇気を持って飛び出せば、案外馴染むものなんですね」
「そうね。私も全然知らなかったわ。私は飛び出した先にリュシアンがいてくれたから怖くはなかったけれど、ドロシーさんは一人だったものね」
「でも、誰も私をいない存在として扱うことはありませんでした。今までいた場所では、ずっと一人ぼっちだったんです。ここでは、私という存在を認識してもらえます」
「当たり前よ。ドロシーさんは、皇宮にいてくれないと困る存在になっているのよ」
いつも真面目に働いてくれているドロシーのことを、オーレリアもレティシアも信頼している。
それにノアがせっせと虫を排除しているので、ドロシーの周りが比較的穏やかなのをレティシアは知っていた。
「ノア様に、好きになる相手は、私が選んでいいのだと言われました」
「……そうね」
そうだけれど、外堀からしっかり埋めにいっている張本人が何を言っているのやら、だ。
広さと人数の多い皇城内で、毎日とは言わないが、そんな頻繁に特定の人間と偶然廊下で会う確率なんて低い。
それなのに、ノアがドロシーと会い続けていることを、一部の人間はちゃんと知っていた。
ドロシーが出歩く時間だってバラバラなのに、いつもドロシーと廊下などでちょっとした会話をすることが出来るように調整するのが、どれだけ大変なことか。
わざわざ仕事の調整をしてドロシーに会いにきている涙ぐましい努力は、まぁ、認めよう。
あくまでも偶然を装っているので、手間暇かけていることをひけらかしていない点も評価出来る。
オーレリアとレティシアは、ドロシーがノアのことを嫌がったらすぐにユージーンに言って皇妃の執務室から遠ざけようと思っていた。
けれど、ノアとの交流をドロシーは嫌がっていなかった。
「ねぇ、ノア様のことってどう思ってるの?」
「ノア様のことですか?そうですね、色々と助けてくださるので、とても有難いです。それに、私のことを気にかけてくださっている方ですね。……初めてなんです、異性の方で私のことをちゃんと見てくれたのは……」
今まで放置されていたドロシーにとって、気にかけてくれる同世代の異性というのは、初めての存在だった。結婚したサイラスは初日からあんな感じだったし、たまに会っても嫌みを言って嫌悪感を隠さなかった。
父も兄も、ドロシーに無関心か、憎悪に近い目で見てきた。その理由は知らない。ただ、妹だったドロシーは、あの家で一番弱い者だったから日々の鬱憤晴らしのように憎悪をぶつけてもいい相手だと思っていたのかもしれない。もう今となっては、どうでもいいことだ。
「……お父様に殴られて、生贄にするんだと言われた時は、怖かったです。このまま、ここに戻ることも出来ずに、殺されてしまうのかと思って、身体が震えていました。きっと声も震えていたと思います。ノア様が来てくれた時は、すごくほっとしました。これで、無事に帰れるって」
「そう。良かった、ドロシーさんがちゃんと帰って来てくれて」
レティシアは、ドロシーをそっと抱きしめた。
「陛下もオーレリア様も私たちも、皇城であなたのことを知る全ての人が、あなたの無事を願っていたわ」
「はい、ありがとうございます。帰って来られて本当によかったです」
「ドロシーって呼んでいい?私のことはレティでいいわ」
「……レティ?」
「そうよ」
心のどこかで親しくなりすぎるのをセーブしていた。
だから、今まで皇宮内で出会った人に対しては、一線を引いて、呼び捨てや愛称で呼んだことなどなかった。
けれど、こうやって一番身近で一緒に働いている女性と親しい呼び方をしたことで、ドロシーはこの場所にしっかりと根付いた気がしていた。




