②
フレデリカの家に行ってから数日後、今度はフレデリカがドロシーの家にやってきた。
「わざわざ来てくれなくても、いつでも呼び出してくれてよかったのですが。どうせ刺繍以外にやることはありませんし」
「ふふ。それってつまり、伯爵夫人のあなたが、手と時間が空いてるってことよね?」
「そうなります」
ドロシーの言葉にフレデリカはにっこり笑った。
「ねぇ、なら皇宮で働いてみない?」
「皇宮で??」
突然のフレデリカの誘いに、ドロシーは驚いた。
さすがに国の中枢である皇宮で働くとなると、それなりの身分とか保証人とかが必要になってくる。
何より、部署にもよるが、教養やらマナーの高さが必須だ。
「ドロシー、一応、あなたミラー伯爵夫人よ。身元もしっかりしているし、何なら我が家が、フェレメレン侯爵家が保証人になるわよ。それにあなたのマナーや教養は学園の先生方も褒めていたでしょう?大丈夫よ。むしろあなたの才能をこんな屋敷内で腐らせておく方が、もったいないの極地よ」
うふふふふ、と笑うフレデリカは、完全に意図的だと思う。
ドロシーが断ることがない、という大前提で話を持ってきたのだ。
「皇妃様付きの女官を探してるのよ。それも、表に出る人を。女官というよりは、秘書に近い仕事をしてくれる人ね。皇妃様の用事で表の方ともやりとりをする必要があるから、当然、爵位持ちの方との接触もあるの。そういった方々を狙うギラギラした目のお嬢さん方では無理な話だし、中には他国の方もいらっしゃるから失礼があってもいけないでしょう?その点、ドロシーはすでに伯爵夫人。旦那様とはちょっとアレだけど、そんなこと屋敷の外にはバレてないから問題なし。それに、あなたは真面目に仕事をする人だから、先走って悪いとは思ったけれど、皇妃様にあなたのことを伝えたのよ」
先日ドロシーから受け取ったクッションカバーは、皇妃オーレリアに頼まれた分が入っていた。
オーレリアの皇妃としての間は、帝国の威信にかけて豪華な装飾になっているが、オーレリア自身は小国の公爵令嬢として生まれ育ったので、そこまで華美な趣味はしておらず、私室は落ち着いた優しい雰囲気にしたかったそうだ。
フレデリカの父、フェレメレン侯爵がオーレリアの父と懇意にしており、フェレメレン侯爵家に遊びに来た時にクッションカバーを見てオーレリアが好きそうだから同じ物がほしいと言ったそうだ。
それでフレデリカに話が回ってきて、ドロシーが刺繍したクッションカバーを先日、持って行った。
ドロシーにそのことを黙っていたのは、皇妃だからと華美な刺繍にしてほしくなかったのと、どこに誰の目と耳があるか分からなかったからだ。
ドロシーにはいつも通りの注文という形をとっておかなければ、デイジーが作った物だとか言って横取りされかねないとフレデリカは危惧していた。
あの手の子は、それがどういう結果をもたらすのかとか考えずに、その場の勢いと自分を良く見せるためならば、そういうことも平気で行う。
それで次も、と言われたらドロシーを使うことも目に見えている。
それを防ぎたかったので、オーレリアの名前は伏せて、いつも通りの注文にしたのだ。
オーレリアは五枚とも気に入り、買ってくれた。
もちろん売り上げは、ドロシーの口座に入れてある。
その時に、オーレリアが外とのやり取りが出来る女官を探していると聞いて、ドロシーを推薦しておいたのだ。
どこで何がどう繋がるのか分からないから、縁というものは面白い。
「やってくれるでしょう?ね?ドロシー?」
強引なのは分かっている。でも、こうでもしないと、ドロシーはこのままここで死んでしまう。
「……そうですね、面白そうです。皇妃様がお許しくださるのなら、働いてみたいと思います」
「ありがとう。じゃあ、七日後には迎えに来るから、用意しておいてね。はい、これが皇妃様からの正式な書簡。こっちはサイラス様に」
ぽいぽい、と渡された手紙は、本来そんな軽い扱いを受けるものではないはずだ。
「今頃お父様がサイラス様にこのことを伝えていると思うから、何か言われたら、私が皇妃様にドロシーのことを伝えたって言ってね。何でも私のせいにしていいわ。それでドロシーがこの家から出られるなら、どんと来いよ」
軽く自らの胸を叩くその姿は、とても勇ましい。
「七日後に私と一緒に皇宮に行って、皇妃様に私の友人として紹介するわね。それで皇妃様がお気に召してそのまま仕事に就くっていう茶番劇を演じるから」
「どこに向けての茶番劇ですか……」
「まぁ、各方面に色々と?七日の間に、あなたの学園での成績や優秀さがさらっと噂になって流れるわ。誰もが納得する感じに持っていくつもりよ。陛下公認だから大丈夫よ」
「陛下も関わっていらっしゃるんですか?」
「当然でしょう?陛下にとってオーレリア様は最愛の皇妃様ですもの。オーレリア様に対しては、過保護な方なのよ」
伯爵家といっても、ミラー家やドロシーの生家は歴史があるだけで権力はそれほどない。
だから、皇帝夫妻の近くに行くことなどほとんどないのだが、遠目に見た皇帝は、意志と力がとても強い方だと思ったことがあった。
その皇帝が、今回のことに関わっているのなら、サイラスが何か言ってきても、止めるなどというのは無理な話だ。
「そう、なら準備をしておきます。何か持っていかなければいけない物ってありますか?」
「そうねぇ、刺繍用品は当然持って行くわよね」
それは趣味でもあるし、皇妃が気に入ってくれているのなら、刺繍はどんどんするつもりだ。
「制服は、あちらで支給されるから」
「元々、あまり持っていないので、それは助かります」
「……あなたの義妹は、新しいドレスをたくさん買ってもらっているようだけど?」
ステイシーの店で買っていて、お友達に自慢しているらしい。
デイジーのお友達には、フレデリカの友人たちの妹や弟などもいるので、話はすぐに入ってくる。
若くてもそういう情報収集は欠かさないのが貴族というもの。
「せいぜい友人の家に出かける程度の外出しかしませんから、そんなに必要がないので……皇宮勤めだと、必要ですか?」
「どうかしら?場合によっては、かな。その時は私の服を貸すわよ。お父様もドロシーのことは気に入ってらしたから、遠慮なく頼ってちょうだい」
「すみません。私、結婚までしているのに、恐らく頼らせてもらうことになると思います」
「遠慮しなくていいわよ。皇妃様にあなたを推薦したのは私だしね」
学生時代に色々と助けてもらったので、今度はこちらがドロシーを助ける番だ。
「ドロシー!どういうことだ!!」
ドロシーと打ち合わせをしていたら、突然扉が開いて、サイラスが勢いよく入ってきた。
「あら、ミラー伯爵、お久しぶりですわね」
「フレデリカ嬢……!?あ、いや、フェレメレン侯爵令嬢」
「まぁ、覚えていてくださって光栄ですわ。ですがいくらご自分の家とはいえ、淑女の部屋にノックもなしに突然入ってくるなんて……身につけたはずのマナーはどちらにいかれたのかしら?それとも、ご自分の奥方ならどういう扱いをしても良いと思っていらっしゃるのかしら?」
おほほほほ、と笑うフレデリカとばつの悪い顔をしたサイラスが対照的で、ドロシーも笑いそうになった。だが、ここで笑ってしまうと、後が大変そうなので必死でこらえた。
「サイラス様、どうかなさいましたか?」
「ドロシー、先ほど、フェレメレン侯爵から、君が皇妃様の傍仕えをすることになったって聞いたのだが?」
「はい。有難くも、皇妃様からのお手紙もいただきました。こちらはサイラス様に宛てての手紙です」
差し出された手紙をサイラスは受け取って中を確認した。
手紙の中身は単純に、ドロシーを傍仕えにしたい旨と、これは皇帝陛下も承認していることだと書かれていた。
皇帝の承認まで出ている話を、一介の伯爵が断ることなど出来ない。
「七日後に、私は皇宮に移ります」
「いや、ま、待ってくれ。こんな急に言われても……」
「サイラス様、なぜそんなにあなたが慌てる必要があるのですか?」
「ドロシー?」
「あなたが何かする必要などないことですよね?私が荷物を纏めて引っ越すだけの話ですから」
「何もって……」
「サイラス様、この屋敷は、基本的に私を必要とはしておりません。現にやることなど何もありませんから。あなたともずっと会話さえまともにしていないのに、なぜ私の引っ越しにあなたが慌てるのかが分かりません」
本気で首を傾げたドロシーに、今度はフレデリカの方が笑いそうになった。
こうして改めてサイラスを見ると、ドロシーに対する好意のようなものを感じる。
なのになぜドロシーをここまで放っておいているのかが分からない。
最初に失敗したから?
それともシスコンを拗らせたからなのか?
何にせよ、ドロシーは皇宮に勤めることになったし、夫婦仲がうまくいっていないのはフレデリカの知ったことではない。
今のサイラスがドロシーをどう思っていようが、ドロシーの心はすでにサイラスから離れてしまっている。
ドロシーがサイラスと築こうとした関係を、サイラスが拒否し続けてきた結果だ。
その結果ゆえにドロシーが働きに出るのを止められないでいる。
「……考え直してくれないか?」
「すでに皇帝陛下の許可が出ていることに対して、何を考えると?それに、私自身、皇宮勤めをしてみたいと思っていますので。サイラス様、これから先どうするかは、私が皇宮に勤めて落ち着いてから決めましょう」
それは、ある意味、最後通告だった。
サイラスだって知っている。
子供がいない夫婦なら、三年で離婚出来る。
白い結婚なら、一年半で離婚出来る。
もちろん離婚なんてしなくてもいいが、制度として整っている。
サイラスとドロシーは白い結婚だ。
もうすぐ離婚可能な時期が訪れる。
「少し距離を置くよい機会だと思います。どうしたいのか、お互い考えましょう」
「あ、あぁ」
チラッとドロシーと閨を共にすればいいのでは、という考えが浮かんだのをフレデリカが見抜いたのか、先に牽制された。
「ミラー伯爵、これは皇帝陛下もお認めになったことです。間違っても七日後、ドロシーが陛下の前に姿を現すことが出来ない、なんて事態にならないようにお気をつけくださいませ」
「……分かっている、フェレメレン侯爵令嬢」
ドロシーがいなくなるまでの七日間、彼女の身の安全を確保しなければ、ミラー伯爵家など簡単に吹き飛ぶ。これは、そういう忠告だ。
「では、ドロシー。七日後に迎えに参りますわ」
そう言って、フレデリカは帰って行った。
「ドロシー、私は……」
何かを言いかけて黙るサイラスを、ドロシーは真正面から見た。
……こうして彼の顔を見るのも久しぶりな気がする。
お互い、目を合わせることなく同じ屋敷内で過ごしてきた。
何もなく、ただ過ごしてきただけだ。
いつもは、たいていすぐにデイジーの横やりが入って兄妹二人だけの世界に入るのだが、今日はそのデイジーがいない。
こうして考えると、意外とデイジーという存在は、サイラスとドロシーの緩衝材になっていたのかもしれない。
「無理に何かをおっしゃる必要はありません。私たちは、こういう関係しか築けませんでした。ただそれだけです」
「……今から、でも」
「サイラス様、私は、皇妃様にお仕えします」
その言葉が、全てだ。
「……分かった……」
のろのろと顔を上げてサイラスは妻を見た。
「必要な物があったら言ってくれ。用意する」
そう言って初めて妻の部屋をまともに見て、サイラスは違和感を覚えた。
毎月、ドロシーのための費用の確認はしている。
中には高級な家具の支払いもあったはずだ。
それに、ドレスも。
だがこの部屋は質素で、高級な家具など一つもなく、ドロシーが着ているドレスも高級品にはけっして見えない。
「……ドロシー、ドレスはたくさんあるのか?」
「ドレスですか?夜会用のでしたら何着かは。ですが、流行遅れのデザインの物ばかりですので、持っていくつもりはありません。皇妃様は流行の最先端を行く御方です、その方の傍仕えがそれでは、さすがに恥をかかせてしまうことになりますので」
ドロシーの言葉にサイラスはクローゼットを開けた。
中にはドレスが何着かかかってはいるが、それは全て地味なものばかりだった。
「君のドレスの代金が来ていたのだが?」
「私の物ではありません。この屋敷に来てから、私のドレスは一回も仕立てていませんから」
当たり前のようにそう言ったドロシーに、サイラスは頭を抱えたくなった。
なら自分が、払ってきたドレス代は誰のものなのだ?
浪費家だと思っていた妻は、ドレスの一着も購入していない。
逆に言えば、サイラスは、妻にドレスの一着も贈ったことのない最低の夫になっている。
ドレスだけではない。
髪飾りも、ネックレスも指輪も、サイラスが贈ったはずの物を何一つ持っていない。
そこでふと思い出した。
以前、デイジーがドロシーに贈ったはずのネックレスを身に着けていた。
どうしたのか聞けば、ドロシーからいらないからと言って渡されたと言っていた。
「……ドロシー、私からの贈り物はどこに?」
「贈り物?サイラス様から頂いたことは、一度もありませんが?」
あぁ、そうか。全て、だまされていたのだ。
結婚した時も、友人たちから、ドロシーは男遊びが激しい女性だと教えられた。
家では、サイラスがいれば大人しくしているが、サイラスがいなくなれば我が儘放題だとデイジーや使用人たちが証言した。
ドロシーがあれを欲しがっている、これを欲しがっているとデイジーから聞かされて、多くの物を購入した。
だが、現実はどうだ?
とても女主人がいるべき場所ではない屋敷の隅の方の部屋で、質素な家具と地味なドレスしか持たず、皇宮に働きに出ようとしているのがサイラスの妻だ。
聞かされるままの女性だと信じていた。
自分で、それら全てのことを確かめなかった。
それが、サイラスが捨てられようとしている最大の理由だった。