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「……ドロシー、大丈夫?」
戻ってきたドロシーがどこかふわふわして、いつもならやらないような失敗をしていたので、オーレリアが心配そうに聞いた。
「も、申し訳ございません」
「離婚についての話し合いをしてきたのでしょう?仕方ないわ」
「それは、その……」
オーレリアはドロシーの様子がおかしいのは、サイラスと離婚の話をしたからだと思っていた。
かつてオーレリアも、離婚ではないが、婚約破棄の話し合いをした後は、とてもではないがいつも通りの振る舞いは出来なかった。婚約者のことを好きだったオーレリアと、政略結婚で、さらに白い結婚のドロシーとはだいぶ違いはあるが、それでも色々と感情が揺さぶられることに違いはないと思って、オーレリアはドロシーのことを心配していた。
けれど、ドロシーが落ち着かない理由は、その後のノアとの出来事だ。
「……ノア様」
ぼそっとレティシアが言った名前に過剰に反応して、ドロシーの身体がビクッとなった。
その様子を見て、レティシアがくすりと笑った。
「ひょっとして、告白でもされましたか?」
「え?何で分かるんですか?」
レティシアの言葉に否定せずにそう聞き返したことで、何となく状況を察したオーレリアが、「あらあら。まあまあ」と言って今度は笑顔になっていた。
「やることが早いわねぇ、ノアも。でも、どこにそんな時間があったの?」
「……終わってから二人きりになって……その、話の流れで……」
「どんな流れになったら、離婚した直後の女性に告白出来るのかしら。ドロシーは離婚するのが確定だったからよかったものの、そうでなければ新たな修羅場ね」
「オーレリア様、さすがにノア様もその辺はわきまえていらっしゃるかと。ドロシーさんがフリーになったので、すぐに告白しないと他の誰かに持っていかれると危機感を募らせていたのでは?」
「そうね。そうかもしれないわね」
何故か納得している二人の言葉に、ドロシーの方があれ?となっていた。
「あの、私は別にもてませんが」
レティシアの言い方だと、まるでノアの他にもドロシーのことを狙っている人物がいるような感じになってしまう。あいにくドロシーは、自分が地味で異性にもてる人間ではないと知っていた。
「何を言ってるの?ドロシーのことを狙っていた男性は多いわよ?」
「え?」
「そうですよ。私も何度かドロシーさんのことを聞かれましたから。最近はノア様が頻繁にくっついていたので、お二人が付き合っているのかどうかを聞かれることが多かったですが」
「あの、まだ一応人妻」
「離婚するだろうというのは、周囲は何となく分かっていましたよ。なので、ミラー伯爵がドロシーさんにネックレスを贈った時は、ちょっとした騒動だったんです」
「……本当ですか?」
「本当です」
知らなかった。まさか、そんなことになっているなんて。
そもそも、ドロシー自身があのネックレスの意味が分からず驚いていたのだ。
もらった直後は何かされるのではないかと警戒していたが、あれは単純にやり直したいのサインだったらしい。
「それで、返事はしたの?もし断りたくても断りづらいというのなら言ってちょうだい。ノアが爵位を盾にして無理強いするとは思わないけれど、もしそうならユージーン様に怒ってもらうから」
「それはないので大丈夫です」
慌ててドロシーは否定した。
オーレリアだってノアがそんなことはしないのは分かっているけれど、一応、万が一、ということもあるので聞いたのだ。
「……ただ、突然だったので……それに、自分自身の心が分からなくて。サイラス様と離婚してさっぱりして、これからどうしようかな、なんて考える暇もなく、ノア様に告白されたので……」
「そう。まったく殿方ときたら、女性の心情をちっとも理解してないわよね。フリーになったらすぐに告白すればいいと思ってるんだから。どうして敵対関係の相手の心情は読み切るくせに、好きになった相手の心は読めないのかしらね」
ぷんぷん怒るオーレリアに、そうですね、とはさすがに言えない。
オーレリアは殿方全般を指して言っているので、その中には皇帝も交じってしまう。
あの皇帝陛下がそんなへまはしないとは思うが、夫婦の中でしか分からないこともきっとある。
「あ、安心してちょうだい。ユージーン様は、男女関係なく心を読み切るわ。読みきりすぎて、余計なことまでおっしゃることがあるけれど、基本的にはそういうことは得意な方よ」
「確かに、ユージーン様はそういう方ですよね。たまにリュシアンが愚痴っています」
ふふふ、と笑い合うオーレリアとレティシアのようには、まだドロシーは笑えない。
「ユージーン様はともかく、珍しくノア様は焦っていたんでしょうね」
「焦って?ノア様が?」
「私もそう思うわ。ねぇ、ドロシー。嫌でなければ、少し時間をかけてでもいいから、ノアのことを考えてあげて。離婚するまで待っていたんだから、もう少しくらい待てるでしょう」
「……はい」
「もしノアを振ったって、私の下で働いてもらうことに変わりはないわ」
「それはさすがに、気まずくないですか?」
オーレリアの下で働けるのは嬉しいが、広いとはいえ同じ皇城内、それもお互いが皇帝と皇妃の側近みたいな立場でよく顔を合わせるともなれば、それなりに気まずい感じになりそうな気がする。
「それを言うなら、元旦那さんだってここで働いてるじゃないですか」
「あ」
レティシアの指摘に、ドロシーはサイラスも皇城で働いていることをようやく思い出した。
「ドロシーさん、もうミラー伯爵のことは忘れたんですね」
「……ちょっと衝撃的な出来事がありまして……」
ドロシーの言葉に、それぞれ過去に色々とあった女性たちは、朗らかに笑ったのだった。
くしゅん、と小さなくしゃみをしたノアを、リュシアンが意味ありげな顔で見た。
「どなたかに噂されているのでは?」
「それがドロシー殿なら大歓迎だよ」
「ひょっとしたら、悪口かもしれませんよ?」
「悪口を言っているのなら、それなりに意識されているということだろう?人は、本当にどうでもいい者のことなら、良いことも言わなければ悪口も言わない。たとえ目の前にいたとしても、心が揺らぐことなどない。無関心、ただそれだけだから」
「好きな女性には、良いことばかり言われたいのでは?」
「自分が善人でないことくらい、分かってるよ。良いところも悪いところも、全て含めて俺だから。リュシアン殿のことだって、レティシア殿はきっと愚痴ってるよ」
「……まぁ、否定はしませんよ。ただ、彼女は正面から僕に怒ってきますが」
「それもまた可愛い、と顔に書いてある」
「その時は、僕のことだけを考えてくれているので。……あぁ、そうですね。確かに悪口だろうと、その時は僕のことだけで頭がいっぱいになっているかと思うと、それも悪くありませんね」
「だろう?」
ノアとリュシアンは、どんな理由であれ、好きな女性の心の中が自分のことで一杯になっている様を思い浮かべて喜んでいた。
もしこの時の二人の様子をドロシーとレティシアが見ていたのなら、さすがにちょっと引いていたかも知れないが、この場には同じ感性を持った二人しかいなかった。
「まぁ、それはおいておいて、あの大図書館の引きこもり、まだ生きていたんだな」
これから向かう大図書館で長年、引きこもっている男のことをノアは久しぶりに思い出していた。
「ノア殿は、クレイル殿のことをご存じで?」
「あぁ。不本意だが同級生なんだ。成績が良くて、常に上位を保っていたな」
「はは、ノア殿も陛下と同じで、クレイル殿の成績のことだけを言うんですね」
「教科書丸覚え出来るのはすごい才能なんだが、それだけだ」
何の波風も立たない変化のない職場なら役に立つが、常に変化する状況に対応していかなければならない皇宮での仕事には向かない。それに人見知りをする性格なので、物言わない本を相手させておくにはちょうど良い人材だ。
数少ない情報によれば、女性に振られてもっと奥に引っ込んで行ったと聞いている。
「仕方ない。引きずり出すか」
びくついて逃げそうだがな。
ノアは、久しぶりに会う人物の顔を思い出してそう呟いていた。




