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サイラスは諦めきった顔で、ドロシーに離婚にあたっていくつかの提案をした。
少しだが慰謝料をサイラスが払い、周囲の人間に理由を聞かれた時は、サイラスの有責と公言してかまわない。これから先、どこかで出会っても、お互いに最低限の挨拶などはするが、必要以上にサイラスからは接近しない。
「その、俺と離婚することで、君の皇宮内での後ろ盾的なものが……」
「正直に言いますと、もともとミラー伯爵の名前では弱かったものですから、今はノア様とフレデリカのお父様であるフェレメレン侯爵が私の後ろ盾になってくれています。ですから、離婚したところでたいした影響はありません」
いつの間にかフレデリカが父である侯爵に話を通してくれていた。
侯爵には皇宮内で会ったのだが、さすがにノアとフレデリカの父親だけあって、ダンディなおじ様だった。ちょっとだけ憧れたのは、誰にも言えない秘密だ。
「そ、そうか」
ミラー伯爵家の家名では弱いと言われて、事実なのだがさすがに少し複雑な気持ちになった。
フェレメレン侯爵家が後ろ盾ということは、いつの間にかちゃっかりドロシーの隣に来ていたノアもまたドロシーを守る権利を持つということだ。
家門の名にかけて、家の保護下にあるドロシーを守る権利が。
もっとも、彼の様子を見ていると、それだけではないのは十分に伝わってきた。
もうサイラスの出番は本当にないのだ。
ドロシーは、サイラスの手の届かない女性になった。
サイラスは、色々なことをグッと呑み込んで離婚届にサインをした。
「陛下、私の手の者からベリンダ元王女についての報告が来ました」
ユージーンは手を止めてリュシアンの方を見た。
「面倒くさいが、見つかったのか?」
「いいえ。ですが、面倒くさそうな情報が上がってきました」
リュシアンの言葉に、ユージーンはピクリと眉を動かした。
「面倒くさいならお前の方で処理しておいてくれてもかまわんのだぞ?」
「いやです。あきらめてください」
「チッ」
リュシアンがそう判断したのなら、ユージーンも知っていた方が良い話なのだろう。
本心では、オーレリアを苦しめた女がどうなろうがどうでもいいが、後で知らなかったがゆえにもっと面倒事に巻き込まれるのもしゃくだ。
諦めてユージーンは、リュシアンの報告を聞く体勢を取った。
「ベリンダですが、どうやら黒ずくめの集団と行動を共にしていたそうです」
「黒ずくめ?何の集団だ?」
「はっきりとは分かりませんが、どうもジョーヤ国辺りから流れて来た模様です」
「ジョーヤから?」
「はい。それとその内の一人には、手の甲に大きな黒い丸が二つ並んでいたそうです」
「……血と快楽の証か。本当に面倒くさいな。あいつら、まだ生き残りがいたのか」
「おそらく。ナセル将軍とレナード王弟殿下が追いつめて壊滅させたあの集団に生き残りがいた可能性は否定出来ません。五、六人の集団だったそうですが、それくらいなら隠れて生き残ることは出来ます」
それは、かつてジョーヤ王国の末の王子が率いていたジョーヤの人間こそが至高の存在で、ジョーヤの者の願いを叶えるには他国の身分の高い人間を生贄にするのが最も良いと信じていた信者の集団のことだった。
以前、神への供物としてナセル将軍の娘で、今は王弟レナードの妻となっているエメリーンという少女を生贄にしようとしていた者たち。大半がその時に捕まるなり神の元へ逝くなりしたのだが、どうやらまだ一部の者たちが残っていたようだった。
その連中が仲間の証にしていたのが、二つ並んだ黒い丸だ。
神に血を捧げることによってこの世の全ての快楽を得るという教えのもとに、その証である二つ並んだ黒い丸を身体のどこかに入れていた。
血と引き換えに快楽を得るというのならば、動物の血でも捧げて好きなように肉欲に溺れていればよかったのだが、快楽という言葉の解釈は数多あり、身体的なものから精神的なものまで、どれを己の快楽とするかはその人次第という何とも都合の良い教義だった。
誰かを追い落とすことに快感を覚える者もいれば、精神的にいたぶることに快感を覚える者もいる。
その中でも手の甲に黒い丸を入れていたのは、生贄を神のもとに送ることを己の責務とし、その達成感や血を見ることそのものを快楽としていた者たちだった。
「あの集団、長い年月、闇に潜んで生きてきた分、隠れるのは得意だからな。生き残りがいても仕方ないのか。……大図書館の引きこもりに、あいつらに関する過去の資料を全て調べさせろ。ジョーヤ国以外であいつらが聖地と崇めていた場所や、過去に隠れていた場所などを探させろ」
「はい」
生贄を神に捧げるような集団だが、一応、ある程度は統率が取れていて、集まる場所も決まっていた。
ユージーンの記憶では、生贄を捧げる場所も決まっていたはずだ。
多くの場所は見つけ出して潰したが、全て見つけられたわけではない。
「ベリンダがどうなろうが別にかまわんが、あいつらが再び力を持つのは避けたい。ジョーヤにも連絡しておけ」
「ナセル将軍にも探すように命令を出しておきます」
「あぁ」
一人娘を生贄にするために誘拐されて以来、ナセル将軍にとってあの集団は滅ぼすべき存在だった。いつの間にか末弟がその中心人物となっていたジョーヤ王国は、兄である王弟レナードをナセル将軍のもとに送り込み、共に壊滅させた。
集団としての力は失ったと思っていたが、それも怪しいのかもしれない。
「せっかくエメリーンが嫁いで落ち着いたのに、すぐに波風を立てたがる者たちがいるな」
リンド王国はどうでもいいが、ジョーヤ王国はそれなりの広さを持つ帝国のすぐ隣にある国なので、出来れば安定していてほしい。
「オーレリアにはしばらく言うな。宰相とノアを呼んでこい。対策を立てるぞ」
「はい」
宰相とノアを呼びにリュシアンが部屋から出て行くと、ユージーンは大きく息を吐いた。
いくら叩いても、あの手の者たちはすぐに湧いて出てくる。
過去、何度も歴史の表舞台に現れては消えていった。
「考えても仕方ないか。今度こそ、全て無くしてやる」
ユージーンは、自分以外誰もいない部屋で、そう誓った。
「ノア様、ありがとうございました。ノア様が一緒にいてくださったので、サイラス様に何も言われませんでした」
ドロシー一人でサイラスに対峙していたら、きっとこんなに上手くいかなかった。
離婚に反対される、とまではいかなくても、それなりに話を先送りにされていたかもしれなかったが、ノアが一緒にいたことで、サイラスはどこか諦めた顔をしていた。
初めから破綻していた結婚生活を最初からやり直すことなど出来ないのだと、ようやく悟ったようだった。
「そうだな。あの様子だと、ドロシー殿にまだ未練がありそうだった」
「未練ですか。残念ながら、私にはありません」
「はは、その調子だ」
「はい。サイラス様には一つだけ感謝しています。流されてばかりだった私が、こうして自分のことをきちんと考えられるようになりましたから」
これから先、血の繋がった家族に何を言われようと、もう怖くない。
嫌なことは嫌だと拒否することが出来る。
仕事もしているし、後ろ盾にフェレメレン侯爵家が付いているので家に頼ることもない。
「私、皇妃様にお仕え出来て良かったです。フレデリカには感謝しかありません。ノア様にも感謝いたします」
出会ってからずっと変わらず親友でいてくれたフレデリカと、妹に頼まれたとはいえ、こうして気にかけてくれるノア。
フェレメレン侯爵家の兄妹には、世話になりっぱなしだ。
「何かお返ししたいのですが、生憎、私に出来ることは少なくて……」
フレデリカなら王都の甘い物を食べに一緒に行くとか、買い物に付き合うとかそういったことで多少は恩を返せる気がするが、ノアには何をすればいいのか分からない。
「あの、ノア様に私が出来ることって何かありますか?」
マッサージとか肩たたきとか、ちょっとしたお使いとか、それくらいしか出来ないけれど、ドロシーは少しでも恩を返したくてノアにそう聞いた。
ノアは少し考えてから、ドロシーに向き合った。
「……それは、何でもいいのかな?」
「私の出来ることでしたら。さすがに痛いのとかは嫌ですが……」
「安心してくれ。そんな無茶なことはさせないよ」
何を想像したのかは知らないが、ちょっと困った顔をしたドロシーをノアはくすくす笑って、でも優しい目で見つめた。
「……離婚したばかりの君に、こういうことを言うのは卑怯かもしれないが、俺の心には、今、君への想いがある」
「え?」
「まぁ、端的に言うと、俺は君に惚れているんだ。ほとんど一目惚れだった」
ノアの言葉に、ドロシーは絶句して何も言えなくなった。
……ノア様が惚れている?誰に?私に?それも一目惚れ……?
はっきりいって、信じられなかった。
ドロシーの自己評価は低かった。
自分はノアが惚れるような見目麗しい人間じゃなくて、平凡な、どこにでもいる存在。
本気でそう思っていた。
ノアとは住んでる世界が違うと信じていた。
「ノ、ノア、様、からかうのは……」
よしてください。そういうつもりだった。
けれど、ノアの眼差しは真剣そのもので、からかうとかそういった意図など全く見えなかった。
「本気だよ。俺は、君がいい。一緒に二人の幸せを探さないか?この生涯をかけて」
「……ノア様……」
ノアのためだけの幸せではなく、ドロシーのためだけの幸せでもない、一緒にいることを誓い合う二人の幸せ。
ノアは、それを生涯をかけて探そうと言っているのだ。
「私……私は……」
たった今、離婚して、自分の幸せは自分で探そうと決意したばかりなので、ドロシーは混乱に陥っていた。
けれど、ノアは、他の誰でもなく、ドロシーと二人での幸せを探そうと言ってくれた。
幸せを押しつけるのではなく、共に探そう、と。
「自分一人だけの幸せもあるけれど、二人でいるからこその幸せもきっとある。
だから、俺が君のすぐ隣にいる許可をくれないか?」
「……あ……あの……」
ドロシーが何かを言おうとした時、リュシアンがノアを探して姿を現した。
「失礼、ドロシー殿。申し訳ないけれど、陛下がノア殿をお呼びなんだ。連れて行ってもいいかな?」
「あの、ノア様は別に私のものと言うわけでは……」
ない、と言おうとして、ちょっとだけ悲しそうなノアの顔を視界の隅に捉えて言葉を詰まらせた。
「仕方ない。ドロシー殿、返事は後日でお願いしたい」
「は、はい」
「しっかり考えて、何ならうちの妹にも相談して、君自身に決めてほしい」
「……はい」
ドロシーの返事を聞いて、ノアは微笑むと、リュシアンと共に去って行った。
一人残されたドロシーは、一度に色々なことが有り過ぎて頭が混乱していた。
その場に座り込んだドロシーの顔は、赤く染まっていた。
両手で顔を覆い、深呼吸をする。
「……もぉ、無理。今日は何も考えられない……」
幸いなことに、その場にはドロシーしかいなかったので、そんな姿を誰かに見られることはなかった。
ドロシーは、しばらくその場から動くことが出来なかった。
ベリンダさんはいったん、ここで退場いたします。




