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翌日、ドロシーはいつも通り図書室の前でノアと会っていた。
もうここまで来ると密会と呼んでも差し支えない気がする。
もっとも、密会と言うには色気も政治的な話も特になく、ただ単にお互いの近況や興味が湧いたこと、趣味などの話をしていたので、ドロシー的には学生時代の友人とのおしゃべりみたいな感覚だった。
「そういえば、ミラー伯爵とはいつ会うことになった?」
「具体的な日にちは決めていません。あちらもしばらくはデイジー様のことで手一杯でしょうから」
離婚に向けての話し合いの予定は、まだ立っていない。ドロシーはいつでもいいので、後はサイラス次第だ。デイジーのことが落ち着いたらすぐにでも話し合いたい。
そんなことを考えていたら、開け放たれた窓から心地の良い風が流れてきた。
「外に出るには気持ちの良い季節になりましたね」
「どこか行きたいところはある?」
「そうですね……山、ですかね」
「山?」
ノアはドロシーの意外な行きたい場所に驚いた。
今までの女性なら、あなたの家とか宝石店だとか言って色々とあからさま過ぎたのだが、ドロシーの回答はまさかの山だった。
「はい。王都から少し行った場所にある山に、黄金の果物が生っているそうです。それを食べてみたいな、と思いまして」
「黄金の果物って、神話の?」
一年にたった一個しか実が生らず、その一個を巡って神々が取り合ったと言われる、黄金の果物。
一口食べればたちまち口の中が甘い果汁で潤い、ほどけるような食感なのだと言われている。
肌を輝かせ、若返りの効果もあるとか。
「もちろん神話の果物とは別物ですよ。楕円形で皮がちょっと薄くて、木から収穫したらすぐに傷んでしまうので、その周辺の村でしか食べられていない果物があるんです。これは、そこの村の出身の侍女に聞いたので、本当の話だと思います」
「あまり聞いたことはないが、そんな果物があるんだな」
「何でも、そこの山の中でも一画でしか実らないそうです。食感は固めですが、甘くていくらでもいけるのだとか。美容などにも良いそうですよ」
「美容にも良いとなると、ここに入ってきていてもおかしくないが、傷みやすさと少ししか実らないことを考えると現地に行くしかないのか」
どの辺りの山で採れるのか知らないが、帝都に持って来る前に腐ってしまうのならば、現地でしか食べられていないのは仕方がない。
「あと、山の方に行くと、きのこ類が豊富に採れますよね」
「きのこが好きなのか?」
「はい。きのこのシチューとかが好きなんです。けれど、素人が採ろうと思うと毒きのことの見分けがつかないので危ないんですよね」
「そうだな」
文武両道を地で行くノアだが、さすがにきのこの見分け方までは知らない。
おそらく、皇帝だって知らないだろう。
だが、こうやって少しずつドロシーが自分の好きなことを教えてくれるようになったのは、大変良い傾向だ。ドロシーがノアのことを友人のように思っていることは何となく察しているが、まずはノア自身に好意を持ってもらわないと話が進まない。自分の好きなことを話すようになってきたのは、ドロシーがノアに心を開き始めた証拠だと思っている。
「ノア殿、ドロシー殿、こちらにおられましたか。皇帝陛下がお呼びです」
「リュシアン殿」
二人を探しに来てくれたのは、ユージーンの側近の一人であるリュシアンだった。
彼は、ドロシーの同僚のレティシアの婚約者だ。
ノアとドロシーは顔を見合わせると、リュシアンの後をついてユージーンのいる部屋まで来た。
「来たか、二人とも」
「はい」
公式の場ではない限り、ユージーンは仰々しい挨拶など好まない。時間の無駄だと公言している。
その場には、ユージーンだけでなく、オーレリアも来ていた。
「リンドの外交官から使者が来たぞ。どうやらベリンダが部屋から抜け出してどこかへ姿を消したらしい」
ユージーンの言葉に驚いた顔をしたのは、オーレリアだった。
「まぁ、本当ですか?ですが……どこへ逃げたのでしょう?」
「さぁな。俺もあの女がリンド王国以外でまともに暮らせるとは思えん。誰かの手引きがあったにせよ、あの役立たずでわがままな女を連れて行ったところで後悔するだけだと思うがな」
リンド王国の一行は、今日、帝都から出発する予定だった。
それまでベリンダは部屋に閉じ込めておくと言っていたのだが、どうやらうまく抜け出したらしい。
「陛下のお怒りを承知であの方を匿う者が、この帝都にいるとは思えません。一人で出て行ったのか、よからぬ者と一緒に出て行ったのか……」
「まぁ、どちらにせよ、俺としては二度と姿を現さないのならどうでもいい」
「しかし陛下、事が帝都内で起こったことである以上、何もしないというわけにはいかないかと」
ノアの言葉にユージーンは、ふむと言って少し考えた。
「そうだな、帝都の治安が悪化しても困る。兵士による巡回を増やせ。それと一応、探させるか」
「はい。見つかるかどうかはともかく、万が一、ただの人さらいだった場合、帝国民に被害が出る前に捕まえませんと」
「リュシアン、騎士団長を呼んで来い」
「はい」
リュシアンが部屋から出て行くと、ユージーンは少し顔色が悪くなったオーレリアの方を見た。
「気にするな、オーレリア。ベリンダがどうなろうとお前には関係ない話だ。リンド王国から文句が来たら、俺に回せ。こちらで処理をしておく」
「はい」
まさか昨夜言っていたことをベリンダが本当にするとは思わなかった。
オーレリアは、ベリンダに酷い目に遭ってほしいと思っているわけではない。
思うところは色々とあるが、こうして今、ユージーンの隣にいられることは、ある意味彼女のおかげだ。ベリンダがオーレリアの婚約者を寝取ったから、身代わりとして嫁いで来たのだから。
そんなことを言えばユージーンは嫌がるだろうが、事実ではある。
一生リンド王国から出てこなければ、それでいいと思っていた。
「ドロシー、一応、ミラー伯爵に確認したら、あいつの妹は大人しく部屋で謹慎しているそうだ。人さらいだったとしても、ミラー伯爵家は関係ない。良かったな」
「はい、ありがとうございます」
一度は結婚式を挙げた仲だ。伯爵家そのものが潰れるのは、少々心苦しい。
「だが、話し合いは早めにしておけ。ノア、その時は一応、お前もついて行け」
「はい」
「陛下、ノア様にご迷惑をかけるわけには参りません」
ユージーンの言葉に迷うことなく返事をしたノアに、ドロシーは慌てた。
「万が一のためだ。もしそこで何かあれば、女性一人では対処出来まい。お前の安全が確保出来なければ、オーレリアも心配するしな。ミラー伯爵にも伝えておく」
そこまで言われれば、ドロシーも頷くしかない。
それにユージーンは、ドロシーの身を案じてくれているのだ。
「はい。ノア様、よろしくお願いします」
「その時は、ただの置物と思ってくれて構わないから。君とミラー伯爵の話し合いの内容は、陛下以外には漏らさないから変な心配はしなくていいよ」
むしろ、ドロシーの変な噂が流れたら、積極的に流した犯人を見つけ出す。
好きな、出来れば妻にと願っている女性の負の噂話を放置する気はない。
当然、ユージーンには報告する。
そしてノアが二人の話し合いに口は出さない、とは言わなかったことに、ドロシーは気が付いていなかった。




