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読んでいただいてありがとうございます。ようやく秋、かな?
「ドロシー」
「サイラス様?何か?」
デイジーとベリンダが来るまでのほんの少しの間に、サイラスがドロシーに話しかけた。
それに気付いた室内の視線が、二人に集中した。
「その、ありがとう」
「何のことですか?」
「この場ですぐに離婚と言わずに、話し合うと言ってくれて」
ほぼ二人は離婚をすることが決まっている。けれど、ドロシーはその前に最後に話し合いをすると言ってくれた。そのことがサイラスには、ほんの僅かにだが離婚しなくて済む道があるかもしれないという希望に聞こえた。
「私が皇宮に勤める前に、一度、話し合いをすると約束しましたので」
「え?……それだけの理由?」
「はい。そうです。約束した以上、守らなくてはいけないと思いました」
ドロシーの理由は、サイラスが思っていた理由とは全く違っていた。
約束したから、ただそれだけの理由。
「ドロシー、俺は……」
サイラスが何かを言いかけた時、再び扉が開いて、衛兵に連れられたデイジーとベリンダが部屋に入ってきた。
デイジーは初めは不安そうな顔をしていたが、兄を見つけるとぱっと顔を輝かせた。
その顔は、サイラスの怒りに火を着けるのに十分だった。
無言でデイジーに近寄ると、サイラスは妹の頬を叩いた。
「痛い!お兄様!!」
「黙れ!!俺は言ったはずだよな、ベリンダ王女の件は断るって!」
「だ、だって、お兄様。王女様からの頼みなのよ?それにうちは、リンドの王家の血を引いてるんでしょう?」
「そんなことは関係ない。だいたい、当時のリンドの王女だって、厄介払いでうちに嫁がされたようなものだ。その証拠に、それ以降、うちとリンド王家の付き合いはないからな」
「王家の血を引いてるってことは重要でしょう?」
「お前は王家の血にこだわっているようだが、リンド王国は我がバルバ帝国の属国の一つに過ぎず、その歴史もまだ浅い。帝国内の貴族の家の方がよっぽど古い血筋だ。我が家だって、リンド王家より古い一族だぞ」
リンド王国が唯一認められることは、皇妃オーレリアの出身国ということだけだ。だが、オーレリアの実家である公爵家はすでになく、父親はバルバ帝国でのんびりと後進を育成している。
リンド王国に価値などない。
少しでも勉強していれば、誰でも分かるのに、この妹は理解していなかった。
それにデイジーは少しでも何かあると、身体が弱くて辛いと嘆いていたが、サイラスが頬を叩いても倒れることなくしっかりとにらみ返してきた。
これのどこが、身体が弱くてか弱い妹なのだろうか。
「そこまでだ、ミラー伯爵」
「はっ!申し訳ございません、陛下」
ユージーンが止めなければ、もっと醜態をさらしていたかもしれない。
「……陛下?陛下って」
「頭を下げろ。皇帝陛下と皇妃陛下の御前だぞ」
その言葉で、デイジーは呆れたようにこちらを見ている男性が、皇帝ユージーンだと初めて気付いた。
デイジーは慌てて礼をとったが、その隣で、ベリンダはうっとりを皇帝を見つめていた。
「……どうやらリンドでは礼儀も躾けていないと見えるな。オーレリア、初めて会った時のお前の礼は完璧だったが」
「父から教わりました。どの国の誰に会おうとも、礼は必要だと厳しく教えられましたから」
「なるほど。つくづく、お前で良かったよ」
「まぁ、ユージーン様……」
皇帝夫妻のやり取りを聞いて、ベリンダはオーレリアを睨み付けた。
どうせあの女が、悪意あることばかりを皇帝陛下に伝えたのだ!
そんな風に思って、ベリンダは憎悪で染まった目でオーレリアを睨んだ。
そして、ユージーンに向かってうっとりした表情で微笑んだ。
「お初にお目にかかります。リンド王国の王女ベリンダでございます」
「ベリンダ!」
勝手に自己紹介を始めたベリンダに、フレディは慌てて、青ざめた顔をしてベリンダの名前を叫んだ。
ベリンダは、己の視界に入っていなかったフレディの声に苛立ちを隠せなかった。
「……あら、いらしたのね、フレディ」
「君を迎えに来たんだ。これ以上、恥をさらすのは止めてくれ」
「恥?恥って何のこと?そもそも、この国に嫁ぐのは私だったのよ。ちゃんとした関係に戻るだけじゃない。私が皇妃になって、あなたは婚約者を取り戻す。それのどこが恥だと言うの?」
「全てだ!そもそも君がバルバ帝国に嫁ぐのが怖いと言って泣いたから、君は僕と結婚したんじゃないか!」
「九番目の妻だと聞いていたからよ。いじめられると思ったんですもの。皇妃になれるって分かっていたら、嫌がらなかったわ」
「……話にならない。そもそも前提が違うだろう」
リンド王国から嫁いだ女性の役割は、あくまでも九番目の妻だった。
ただ、オーレリアが優秀でユージーンと愛し合ったからこそ、皇妃に望まれたのだ。
ベリンダが嫁いでいても、ユージーンには見向きもされなかっただろう。
「君では無理だ。皇帝陛下の心を射止めることも、バルバ帝国の皇妃として隣に並ぶことも」
外交官であるフレディの隣にいることさえ不安な女性が、どうして広大な領土を持つ帝国皇帝の隣に並ぼうというのだ。
「あら、やってみなければ分からないわ。陛下、どうか私をお近くに置いてくださいませ」
「お前を近くに置いたところで、何が出来る?」
「これでも王女として各国の王族とは面識があります。それに、今も外交官として各国を巡っておりますし。何より、リンド王国の鉱山資源が全て帝国の物になりますわ」
リンド王国の鉱山資源程度なら、帝国内のどこででも採れる。それも知らずに、あたかも良い取引きのように思わせようとしているし、夫の仕事に付いていっただけで自らを外交官と称するあたり、ユージーンの目には、ベリンダは自分の都合の良いように物事を進めようとするだけのつまらない存在にしか見えなかった。
「お前如きが、俺の隣に並ぼうなどと考えること自体が烏滸がましい。リンドの外交官よ、確かにこの女はお前の言う通り、恥しかさらしていないようだな。さっさと連れて帰れ。そして二度と帝国に足を踏み入れさせるな」
「……陛下がそんなことをおっしゃるなんて。そう、きっとオーレリアのせいね」
媚びるようにユージーンに向かって微笑みながら、ベリンダはオーレリアの名を呼び捨てにした。
「話にならん、我が妻を呼び捨てにするとはな。それに俺はオーレリアだからこそ皇妃に望んだんだ。お前の処分を帝国からの追放で留めたのは、オーレリアを俺のもとに寄こした功績があったからだ。そのことに感謝するんだな」
この手の存在はどこにでもいる。己に絶対の自信があり、そして同時に嫌なことは全て他人のせいにする性格の持ち主には、何を言ったところで都合良く解釈するだけだ。周りが何を言おうとも、自分は悪くないと言い切るのだ。
「不愉快だ。これ以上の問題を起こす前に国に帰せ」
ベリンダに何を言ったところで無駄だと分かっているユージーンは、フレディの方を見てそう言った。
フレディがベリンダを連れて帰るために腕に触れた瞬間、ベリンダは迷いなくフレディの頬を叩いた。
パンッという音が部屋に響いた。
「触らないで。なんてお可哀想な陛下なの。陛下はその女にだまされておいでなのですわ。私もだまされましたもの。その女は私に、自分の婚約者であったこの男がいかに仕事が出来るか自慢してきたのですわ。ですから、私は国のために泣く泣くこの男と結婚したというのに、その女はちゃっかり陛下をたらし込んで……!真の悪女はオーレリアですわ!」
オーレリアを貶めるベリンダの言葉に、ユージーンは切った方が早いと思って剣に手をかけた。
それを制したのは、オーレリアの静かな声だった。
「お黙りなさい、ベリンダ王女。仮にも自ら王女であり外交官であると名乗るのならば、己の国の立ち位置くらい把握しておきなさい。あなたは今、リンド王国そのものを危機にさらしています。陛下の命令一つで、リンド王国は滅びましょう。それが分からないのですか?それから、私から婚約者を寝取ったのはあなたの方です。そんなことも忘れたのですか?ずいぶんと都合の良い頭ですこと」
リンド王国にいた時、公爵令嬢だったオーレリアを始め誰一人として王女であるベリンダに対して口答えをしなかった。
自分の都合の良いようにいかなければ、すぐに嫌がらせをしてきた王女のことを、同世代の令嬢たちは持て余していたのだ。
けれど、今は立場が違う。
バルバ帝国の皇妃とリンド王国の王女なら、圧倒的にバルバ帝国の皇妃の方が上の身分だ。
「あなたは、本来ならば、こうして陛下と直接言葉を交わすことが出来る身分ではありません。そもそもあなたを送り込んできた時点で、リンド王国は外交を真面目にするつもりがないと見なされるのですよ。何の知識も礼儀もない存在を送ってきたということは、リンド王国は我がバルバ帝国に対して、宣戦布告でもなさるおつもりですか?」
ベリンダを通り越して、フレディの方を見たオーレリアの表情は、厳しいものだった。
懐かしいという気持ちも、無理矢理引き離された元婚約者に対する情のようなものも一切ない、見極めるような厳しい瞳。
「リンド王国の外交官の方。陛下のおっしゃる通り、早くベリンダ王女を国元に連れ帰ることを推奨します。……リンド王国が、我がバルバ帝国にとっては何の価値もない国だと知るべきです」
フレディの名も呼ばず、故国を何の価値もないと評したオーレリアは、間違いなくバルバ帝国の皇妃だった。バルバ帝国のために動き、邪魔ならば故国さえも滅ぼすだろう。
「申し訳ございません、皇妃陛下。すぐにベリンダは国へ帰します」
「何、オーレリアに対して頭を下げているのよ。あなたの婚約者でしょう?みっともないわ」
迷うことなく頭を下げたフレディに、ベリンダがすぐに噛みついた。
「オーレリアが寛大な心でいるうちにさっさと下がれ。そして、二度と帝国に足を踏み入れることは許さん。一歩でも踏み入れたらリンド王国を滅ぼす。分かったな」
「はい」
未だに剣に手をかけたままのユージーンの言葉に頷いたのはフレディだった。
「フレディ!」
「ベリンダ、皇帝陛下と皇妃陛下のお言葉が聞こえなかったのか?君とリンド王国に価値はないんだよ」
「……ふざけないで」
「ふざけていない。本気だ」
「なら、どうしてオーレリアは陛下の隣にいるのよ」
「皇妃陛下個人の魅力だ。君にはない、ね。僕だって、君と皇妃陛下、どちらがいいかと問われたら、迷うことなく皇妃陛下だと答えるよ。残念ながら、現実の僕の妻は君だけど」
ベリンダに打たれた頬は、このままきっと腫れるだろう。
国に帰って、国王に事のあらましを全て伝えた後、フレディ自身がどうなるのか分からないが、このままここにいても事態が余計に悪化するだけだ。
「帰るよ」
いつもと違ってしっかりと己の意志を込めたしゃべり方をしたフレディに、ベリンダは急に不安になった。今まで、自分の言うことをずっと聞いてきたフレディが、今回だけは譲らない。
そのことが、不安を煽った。
「……分かったわ」
フレディに従って渋々部屋を出て行くベリンダを、オーレリアは最後まで厳しい瞳のまま見送ったのだった。




