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皇宮内には、いくつか面会場所が存在している。個別に仕事部屋がある者ならともかく、一般的な人間はこういった場所を利用して、家族や友人と会うことが許されていた。
ドロシーとノアは、侍女が教えてくれた面会部屋に向かい扉を開けると、そこには誰もいなかった。
「あら?誰もいない?」
「どういうことだ?」
ドロシーとノアが誰もいない部屋を覗き込んでいると、今度は別の侍女がやってきた。
「ミラー伯爵夫人、面会の方ですが、先にミラー伯爵に会いに行くと言って出て行かれましたよ」
「サイラス様に?……あの、面会に来た方の名前は分かりますか?」
「デイジー様とベリンダ様です」
デイジーはもちろん分かる。サイラスの妹だ。
けれどベリンダ嬢という女性とは、ドロシーは面識がなかった。
「ベリンダ様?どのような方でしたか?」
「親戚だと言ってらっしゃいましたけど、デイジー様が付き従っているような感じを受けました。ベリンダ様の方が命令を下していたようにお見受けしました」
ならばミラー伯爵家より爵位が上の方だと思うのだが、ドロシーには心当りが全くなかった。
同世代くらいの貴族の家の女性の名は一通り覚えているが、ベリンダという名前に覚えがない。
「ベリンダ?……ドロシー殿、失礼だが、ミラー伯爵家はリンド王国と何か関係があるのかな?」
「リンド王国ですか?いえ、聞いたことは……」
ない、と言いかけて、ふと思い出した。
何代か前の当主に嫁いで来て、若くして亡くなった方がどこかの小国の王家の女性だったと聞いたことがある。
「何代か前の当主に嫁いで来た方がどこかの王族だったと聞いたことがあります。ひょっとしたらその方が、リンド王国の方だったかもしれません。ただ、その方は子供を生んですぐに亡くなったそうで、リンド王国の方だったとしても、今は付き合いはありません」
「そうか。ベリンダという名前は、今来ているリンド王国の外交官の妻で、元は王女だった女性だ」
「では、皇妃様の?」
「あぁ」
ドロシーとノアは顔を見合わせた。
面会という名目で、皇宮にリンド王国の王女が侵入した。
「すぐに陛下に知らせてくる。君は皇妃様に」
「はい。そこのあなた、総務局に行ってサイラス・ミラー伯爵に、妹君がリンド王国の王女と共に皇宮内を無断で歩いていることを伝えてちょうだい。すぐに探して捕まえるように言ってほしいの」
「はい!」
侍女も何か危険なことが起きていると察して、すぐに走って行った。
「急ごう。ベリンダ王女の狙いは、陛下か皇妃様だ」
「えぇ!」
二人は全力で皇宮内を走って行った。
「さて、ベリンダ王女とやらはどこに行ったんだろうな」
「申し訳ございません。ミラー伯爵家のことをあまり知ろうとしなかった私の落ち度です」
頭を下げるドロシーに、ユージーンは「気にするな」と言った。
「自分を大切に扱わない婚家に興味がなくても仕方のない話だ。まして、白い結婚でいずれ離婚する前提の家のことなど、知る気も起きなかったのだろう。俺でもそんな家の、まして何代か前のことなど全く興味を覚えん。単にサイラス・ミラーが妹の制御を出来ていないだけの話だ」
「そうよ。それにベリンダ王女と一面識もないあなたが、そんな風に謝ることはないわ」
ノアとドロシーの話を聞くと、ユージーンはすぐにオーレリアを自分のもとへと呼び寄せた。
念のため、護衛の騎士を増員したのだが、ベリンダとデイジーは姿を見せなかった。
「ドロシー、ミラー伯爵の妹に皇宮の話をしたことはある?」
「ありません。それどころか、皇宮に上がってからデイジー様と会ったこともありません」
「ミラー伯爵はどうかしら?」
「兄妹仲は良いので、家にいた頃、多少は皇宮内のことを話していた記憶はありますが、陛下の執務室がどの辺にあるとかそういう話はしていなかったと思います。サイラス様では、陛下の一日の予定を知るのは難しいですし」
この場にいる誰もが、まさかベリンダが皇宮に行けば誰かがユージーンのもとへ案内してくれる。王女なのだからそれが当然だ、などと考えているとは思ってもいなかった。
「とりあえず、サイラス・ミラーをここに呼び出している。もう少ししたら来るだろう。ついでにリンドの外交官も呼び出した。妻とはいえ、厄介の種にしかならん元王女をよく連れてきたものだ」
たとえベリンダがどうしてもついて行きたいと言っても、国に置いてくるのが最善の手だっただろう。
そんな王女がオーレリアの代わりに嫁いできたかも知れないと思うと、心底ぞっとする。
「オーレリア、以前、リンド王国は終わり方が悪くなるだろうと言ったが、俺たちが思っているよりももっと早くに滅びるかもしれんな」
「はい。今回のことで、自主的に王家を廃しバルバ帝国の一地方になる選択をすれば国が荒れることはないでしょうが、国として残したい派と残したくない派で別れると全体的に荒れるでしょうね」
あんな小さな国でも、国内が二つに割れて政治が停滞すれば、いずれは庶民の暮らしに響いてくる。
今の王族を残して国という体制を整えるのか、それとも違う道を選ぶのかは、あの国で生きる者たちが選択する未来だ。バルバ帝国の皇妃であるオーレリアが関知することではない。
「その辺もリンドの外交官に聞こう。王女と結婚したあの男が、一時的に王位を奪って帝国に併合という道を選ぶのが、一番穏便に済む気がするな」
「あの国の王族に嫌気が差している帝国よりの貴族たちは、手伝ってくれるでしょうね」
彼らはオーレリアがユージーンに嫁ぐと決まった時、オーレリアの心情はともかく、国としては皇帝陛下の傍に聡明なオーレリア嬢を送り込めて良かった、我が国の恥をさらさずに済んだと言って、ほっとしていた。
オーレリア自身も、複雑だがその気持ちはよく分かった。
もしあのままベリンダがユージーンに嫁いでいたら、もっと前に帝国に蹂躙される形でリンド王国は終わっていたかもしれなかった。リンドは、オーレリアがいらないと言ったからこそ、今でも存続が許されているのだ。
「ですが、少し後悔しております。あの時、きちんとリンド王国に対して約束を違えた罰を与えておけば、国王もベリンダ王女も自分たちの行いがどれほどのことだったのか思い知ったのかもしれません」
「まぁ、結果的にオーレリアを帝国に寄こしたことで、俺も多少の温情を与えたからな、仕方あるまい。それにあの女の性格なんぞとっくの昔に出来上がっていることだから、あの時に罰を与えていたら、さらにオーレリアを恨んでいただけだろうさ」
「ユージーン様」
オーレリアの少し困った顔に、ユージーンは、ふっと笑った。
「失礼いたします。ミラー伯爵とリンド王国の外交官がいらっしゃいました」
扉が開かれて、青ざめた顔をしたフレディと困惑した顔のサイラスが入ってきた。
サイラスは、この場に皇妃付きの女官であるドロシーがいることに驚いた顔をした。
「二人とも、下らん事態が起きたぞ」
「は?それは、どういったことでしょうか?」
「リンドのベリンダ王女とデイジー・ミラーが皇宮内に侵入した」
「は?」
「え?」
ユージーンの言葉に、フレディとサイラスが驚愕した。
「ど、どういうことでしょうか?妹が侵入とは?」
皇宮に侵入と言われても、皇族が暮らす奥宮や官僚が仕事をする関係者以外立ち入り禁止の建物以外にも、一般開放されている庭園などもあるので、皇宮の敷地内に入るだけなら罪にはならないはずだ。
「ドロシーに面会に来たと言って、待っている間に面会室から消えた」
「……そんな……」
ならばデイジーは、本当の皇宮内に侵入したのだ。
面会場所は限られている。そこ以外には立ち入ってはいけないのに、デイジーはそれを破って皇宮内をうろついていることになる。それも、ベリンダ王女と一緒に、だ。
「リンドの外交官よ、俺はあの女を近付けるなと言ったはずだ」
「は、はい。妻には大人しくしておくように言い聞かせたのですが……」
「おおかた、見下していたオーレリアが皇妃になったのが気に入らんのだろう。あの手の女が考えそうなことは、元々帝国に嫁ぐのは自分のはずだった、オーレリアが皇妃の地位に就いたのなら、そこは自分の場所だ、オーレリアと交換すればいい、そんなところだろうな。俺はオーレリアだからこそ皇妃に望んだのであって、ベリンダだったらとっくの昔にリンドに突き返している。それも分からん愚か者だ」
「……申し訳ございません」
フレディは、ユージーンの言葉を聞きながら、ベリンダが全く以てその通りに考えるだろうと思っていた。
ベリンダは、自分に対する自信が強い。王女に生まれて、国王によって甘やかされて育てられた。国内では、何でも思い通りに出来た。けれど、帝国では上手くいかず、見下していたオーレリアが皇妃となったことで頭を下げなければならない存在となった。ベリンダにとっては、屈辱だったのだろう。
それに華やかな帝都と荘厳で美しい皇宮を見て、リンドよりもこの場所こそ自分に相応しいと言い出していた。
だから、余計に夢を見たのだ。
この帝国の最高の女性となって、帝都に君臨する己の姿を。
「……こうなった以上、いかようにも処分していただいてかまいません」
事は、すでにベリンダ一人だけの事態ではなくなっている。下手をしたら、リンド王国の存続にも関わってくる。外交官として王国を消させるわけにはいかない。
フレディは、ベリンダが秘密裏に処分されることも想定して、覚悟を決めたのだった。




