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「あなたが大叔母様の血を引くミラー伯爵家の娘ね」
「は、はい。デイジー・ミラーと申します」
デイジーの前には、本物のお姫様がいた。
リンド王国のベリンダ王女は、勝ち気そうな雰囲気を持つ女性だった。
内心でデイジーは少しがっかりしていた。
確かに美しいし、王女という身分もあるので、男性は放っておかないだろう。
けれど、やはり帝都の貴族たちとはどこか違う。
病弱設定なので、あまり出歩かないデイジーだが、それでも何回かお茶会などに行ったことはある。
そこで見た帝国の貴族女性は、もっと洗練された美しさを持っている。
「それで、私を皇帝陛下に会わせてくれる算段はついたのかしら?」
「義姉が皇宮で働いていて、彼女に会いに行くという名目で皇宮には入れます」
「そう。それで、あなたの義姉は上級の女官なの?陛下に会える立場なの?」
「義姉は皇妃様付きの女官をしておりますので、おそらく陛下には会える立場かと」
「……皇妃付きなの、そう……」
ベリンダの脳裏に、あの日のオーレリアの姿が浮かんだ。
父王に帝国に嫁げと命令された時の、あの澄ました顔。
皇妃になれるって分かっていたら、ベリンダが嫁いだのに。
まぁ、今からでも遅くはない。
王国の花と呼ばれたのは、私の方だ。
「いいわ、あなたの義姉に陛下のもとまで案内させなさい」
「え?」
「何?だめなの?」
「か、確実に義姉に会えるとは限らなくて……」
「……使えないわね。もう、仕方ないわ、皇宮に行けば何とかなるからいいわよ」
予想外にデイジー・ミラーという少女は使えない、とベリンダはいらついたが、そもそもベリンダ一人では皇宮にも入れないのだ。この際、入れるのなら手段は問わない。
それに、一国の王女が来たとなれば、帝国側もさすがに何かしらの対応はするだろう。
腹立たしいが、ベリンダは皇妃の故国の王女なのだ。
それなのにこんな場所に夫婦共に追いやられるなんて。
本当ならこんな皇宮から離れた場所ではなくて、皇宮内の一室に泊まらせてもらってもおかしくない身分なのに。
ベリンダからすれば今の状況は不当な扱いだ。
たいして重要でもない属国の外交官の扱いとしてはごく当たり前の扱いなのだが、ベリンダはそのことを知らず、帝国にとってリンド王国は重要な国だと勘違いしていた。
「今日はさすがに無理ね。明日、皇宮に連れて行ってちょうだい」
「はい」
デイジーは内心で少し焦ったものの、王女を皇宮に連れて行けば何とかなると言っているのだから、取りあえず明日、連れて行けばいいよね、と軽く考えていた。
それが、皇帝の怒りを買うことになるとは思いもせずに。
「ドロシー殿」
「あら、ノア様」
いつものように図書室に行く途中で、ドロシーはノアに声をかけられた。
最近では、こういうことにも慣れてきた。
初めは誰もがドロシーにどう接すればいいのか分からず、接し方がぎこちなかったが、ドロシーが真面目に仕事をする中で徐々に交流を深めていき、今では、気軽に接してくれる人も多くなった。
その中でも、ノアは一番ドロシーのことを気にかけてくれているように感じる。
きっと、妹のフレデリカにドロシーのことを頼まれているのだろう。
「今日は早いですね」
だいたい朝のこの時間は、ノアを始め宰相室の住人はいつもユージーンとあーだこーだやっている時間だ。
一度、オーレリアの使いでこの時間の宰相室に行った時は、ユージーンと宰相を中心に室内にいた全員で議論を交わしている真っ最中だった。
皇帝が宰相室に赴いて議論を交わすのかと驚いたが、皇帝の執務室よりこちらの方がより細かな資料が揃っているので、いちいち必要な資料を取りに戻らなくて済むから宰相室でやった方が都合が良いそうだ。
「あぁ、今朝は陛下がフレストール王国の外交官と会われているんだ。だから、いつもの議論はないんだよ」
「海の向こうの大国の方ですか」
「そうだよ。フレストールの外交官なら、陛下が直接会われた方がいいからね」
「クラリス女王陛下の治められる帝国に勝るとも劣らぬ豊かな国だと学びました。ノア様は行かれたことはありますか?」
「学生の頃に一度。聞いていた通り豊かな国だったよ。そうそう、あちらは紅茶の名産地としても有名でね、うちでは取り寄せているんだ」
「紅茶ですか。私、皇宮にきて、初めて色々な産地の紅茶をいただきましたが、フレストールの紅茶はいただいたことがありません」
「皇宮内では、基本的に帝国かその周辺国の紅茶しか飲まないからね。産地の人間も、皇宮で使われているとそれだけで良い宣伝になるから喜んでくれるし、他国の紅茶はあまり置いていないんじゃないかな」
言われてみれば確かにその通りだ。帝国皇宮御用達の紅茶ともなれば、貴族や金持ちがこぞって買い求めるだろう。帝国内で、良い循環が生み出されている。
「うちも基本的には帝国産の茶葉を使用しているが、あちらの紅茶は女王の治める国らしく、香りが華やかなものが多いんだよ。まぁ、帝国の物じゃないと嫌がる方もいるから、帝国産ばかりなんだよ」
「興味深いです。一度、飲んでみたいですね。ノア様、それはどちらに行けば手に入りますか?」
「よければ今度、プレゼントするよ。うちのはちょっと特別製だからそこら辺の店には売っていないし」
フレストール王国で知り合った貴族の家が紅茶の名産地を領地に持つ人で、特別にフェレメレン侯爵家にも譲ってもらっている。時折、当たり障りのない範囲で情報交換をしているのを、あちらの女王もこちらの皇帝も知っている。
「シモン殿は、紅茶好きの女王陛下のために領地で紅茶を栽培しているんだ。最高級品は女王陛下が好んで飲まれているそうだよ。貴族向けの紅茶は『花の紅茶』という名で一応売られてはいるんだが、シモン殿に直接交渉しないと売ってくれないせいか、フレストール王国でも幻の紅茶と言われているんだ」
そもそも、フレストール王国の宰相に直接交渉出来る人間が限られているということもあり、国内貴族でも中々手に入らない代物だ。
フレストール王国に行った時に、ノアは父の紹介でシモンに会い、彼に紅茶について熱く語った結果、紅茶を買う権利を得た。
「紅茶、お好きなんですね」
「休みの日に帝都にある紅茶が飲める店を巡るくらいには、好きだよ」
ノアがドロシーと目を会わせて「好きだよ」と言った瞬間、少しだけ心が弾んだ。
別にドロシーのことを好きと言ったわけではないのだが、今まで他人から目を合わせながら「好き」という言葉を聞いたことがなかったので、紅茶のことだと分かっていても「好き」という単純な言葉はドロシーの心に響いた。
「ドロシー殿は?好き?」
「……はい、好きです」
紅茶のことだ。ドロシーのことではない。
けれど、ノアの目が優しくて、彼を巡ってお嬢さん方が恋の火花を散らしている理由が分かった気がした。
なるほど、無自覚なたらしというのはこういう方のことを言うのね。紅茶の話をしているのに、時折挟んでくる言葉と優しさのせいで、それが自分のことなのではないかと誤解しそうになるのね。
誰だって、ノアにこんな目で見られながら「好き?」と聞かれたら、「はい」と答えてしまう。
前の単語をきちんと付けてほしい。
こんな感じだから、少しだけ変な噂がたったのかしら……。
ドロシーはそんなことを考えていたが、もちろん、ノアはわざとやっていた。
ドロシーが冷静に答えているのを少々残念に思いながらも、彼女から「好き」という単語を引き出せて、それはそれで満足だった。
ドロシーはまだ伯爵夫人だ。
この図書室の周辺でしか個人的な話はしないようにしているし、当たり障りのない話しかしていないので、表だって何か言ってくる者はいない。
「ドロシー殿……」
ノアが何か言いかけた時、ドロシーを見つけた下級女官が急いでやってきた。
「ドロシー様、こちらにいらしたんですね」
「どうかしましたか?」
「は、はい、今、門番から連絡がありまして、ドロシー様の身内の方が面会にいらしてるとかで、確認をしてほしいって」
「私の身内?そもそも、私の身内は面会になんて来ないけど……?」
唯一来そうなのは、おかしな行動を始めた夫のサイラスだけだが、彼も皇宮で仕事をしている身なので、わざわざ面会になんか来ない。この間みたいに、どこかでドロシーを捕まえればいいだけだ。
「……ドロシー殿、俺も一緒に行こう。何か、おかしな感じがする」
ノアの真剣な様子に、ドロシーも同じように感じたので、よろしくお願いします、と言って頭を下げた。
「何かしら……すごく嫌な予感がする」
「そういうのは、見逃さない方がいい」
二人が揃って嫌な予感がしているのだ。きっと何かがある。
ドロシーとノアは、無言で面会用の部屋へと向かって行ったのだった。
シモンの領地の人間が愛情込めてせっせと作った紅茶の、選別に選別を重ねた最高級の品を使っても、上手く淹れられない女王陛下です。シモンは、まぁ、陛下は昔っからこんな感じだし、と悟っております。




