不思議な放送
「はーっ……ホントだりぃ!」
高校生、その少年は一人、グラウンドの整備と後片付けに追われていた。
夏真っ盛り、夕暮れ時……野球グラウンド上で一人きり。先輩たちはすべて先に帰ってしまい、他の後輩連中も何かと言い逃れて、自分一人だけでボールやらバットやらを纏めていた。
部活動は夏休みだろうと関係ない。甲子園に出場できない弱小校でも、触発されれば熱が入る。問題は野球部の上下関係で、昔よりはマシなのだろうが……補欠部員の悲しさか。後片付けを一任し、今は先輩や期待の新人が一汗流しているか、それとも楽しい食事会か……
「なんで俺だけ、せっせとグラウンド整備しなきゃならんですかね!? クソが! 先輩と顧問、あとマネージャー女子全員爆発しろ!」
たった一人、夕暮れ時のグラウンドで……何が悲しくて嫌いな奴らの、後始末をしなければならないのか。グチグチと機嫌悪く手を動かす中、置かれたコンポが騒ぎ出す……
『人の不幸は蜜の味――不幸を告げる、黒猫ラジオ……』
「――あ?」
偶然チューニングが合っていたのだろうか? 妙に耳に残る女の声が聞こえてくる。まだボールの散るグラウンドでは、聞き入る事は出来ない。いつ電源を入れたのだろう? ボールが変な当たり方をして、スイッチが入ったのか? セミたちの鳴き声に飽きた所だし、片付けついでに視聴しても良いだろう。自分以外に誰もいないグラウンドだが、一応周囲も見渡して音量を調節した。
『さぁ、今日の不幸を味わいましょう。他人の不幸はいつだって、味わい深い物です。今日の対象者は――『野球部一番人気の男性に、すべて貢いで捨てられた16歳女性』……』
「わーおタイムリー……」
他人事ではない。野球部にはチア部の応援団もいるし、マネージャー含めれば黄色い声援も飛び交う。高校部活動の花形である野球部に、色恋話が絡むのも良く分かる話だ。たとえ勝利をもたらす事が出来なくても、部活内部で頼れる選手や先輩はモテる。そして……すべての先輩や有能選手が、人格まで優れているとは限らない。孤独に後始末中の高校生には、よく理解できた。
『年齢を聞けば想像できると思いますが……『高校野球部』の話ですね。熱い夏に向けて、若者たちが青春に励む舞台……誰しも甲子園には焦がれる物です。されど、すべての青年が、心まで綺麗とは限りません。彼女は……夢を見過ぎたのです。まるで光に群がる蛾のように』
女性に対して……いや、女子高生に対して蛾とは、中々の毒舌である。せめて蝶といってやれよ。と軽くぼやくが、作業の手を止めない。どこの放送局だろう? と考えつつ、妙に耳に残る女性発信者の声を聴いた。
『そう……高校野球部のエースだったその男性は、実に容姿端麗で実力もありました。周囲の人間も一目置く人物でした。高校生となる前から、中学の頃もモテていたようですね。彼にとっては……女性が側にいる事が当たり前でした。ですから彼女の事も、自分に寄ってくる人間の一人としか、映っていませんでした』
「羨ましい事で」
妬ましい、と言った方が正しいかもしれない。若い盛りに彼女もおらず、遠巻きに青春を眺めるしかない自分が嫌になった。……花形の舞台を近場で見れるだけ、マシなのかもしれないが。
『なので……本命の人間を何人か選んでおき、他の女子はストックしていたようです。程々と言いますか、適当と言いますか、その立ち振る舞いや態度は、女同士での扱いの差として、肌で感じられてしまう物でした』
「青春の裏で昼ドラはやめてもろて……」
けれど、ありそうな話なのが怖い。若い人間の方が、分別が付かない部分もある。恐らくここから先の話は、あまり良い展開ではあるまい。
『彼女にあるのはお金でした。お金だけしか、ありませんでした。それ以外に見向きされる要素が無い。けれどきっかけがあれば振り向いてくれると信じて、女性は野球部のエースに貢ぎました……』
「嫌な予感しかしねぇ」
『なるほど確かに、一時的に気を引く事は出来ました。けれどそれ以上の関係にはなれませんでした。周囲の女子からも、直接悪口を言われる事はありませんが……明らかに『使い捨てにされる』女への対応だと、冷ややかな目線で、嫉妬と冷笑を交えて、彼女の行動を見守っていました』
「いや、誰か止めてやれよ……」
『女は……残酷な生き物です。特に同族やライバルとなった相手に対しては。女性が完全に搾り取られて、男性に見向きもされなくなると、彼女は何もかも失ってしまいました。それどころか、周囲にいた女性は言うのです。『短い間だけど、良い夢が見れて良かったね』と。夢から覚めてしまった女性に対して、まだ夢の渦中にいる女性が……』
……野球部員は、散らばったボールをすべて片付けていた。グラウンド整備も終えていた。元々半分以上終わっていた作業だ。終わらせる事は難しくない。夏の夕焼け、生ぬるい風、不幸でかわいそうな話を聞きながら……ほんの少し、男には愉悦が湧いていた。
『彼女は、最初から夢を見るべきではありませんでした。分を弁えて、誰でも付き合える相手に、恋をするべきではありませんでした。焦がれた代償は帰ってきません。使い込んだ金と、残された現実の徒労。そしてまだ遠巻きに見える男性と、その周囲で華やかにひらめく話題。けれど二度と関われない嫉妬心が、彼女の心を焦がすのです』
哀れだ、可哀そうだ。そんな感情に混じりながら、けれど『こうはなりたくない』『こんなみじめで間抜けな失敗をするなんて』と、遠くにいる誰かに対して、今の自分はコイツよりマシだと笑う。決して声には出さないが、野球部員の表情は、そう物語っていた。
『今宵の不幸はいかがでしたか? あなたが誰かの不幸を望むなら、黒猫は再び告げましょう――』
それが閉めの文言と気づくまでに、少々の時間を要した。じっと不幸話を聞いていた野球部員は、ノイズに戻ったラジオを眺めていた。けれどいつまでも、続きが来ないと知り、やっとラジオの電源を落としにかかる。
その時、片付けを終えた球児はふと思った。ラジオ局の放送なら、次の番組が途切れず流れてくる。けど今はどこともチューニングが合わず、ノイズだけしか聞こえてこない。一体この『黒猫ラジオ』とは、なんなのだろうか?