不快な放送
一体いつごろから、その放送は始まったのだろう?
最初は、何気なくツマミを回し、AMラジオにチューニングを合わせていた。一般的なチャンネルを、適当に聞き流していた。最初の頃は少なくても、特にこだわりを持っていないかった。
テレビのチャンネル表のように、ラジオにも番組表は存在する。だが……閲覧する人間は、恐らく少数派だろう。何かの作業中に、無音のままだと寂しいから、適当な音声を室内に流す。動画や音楽で良いと思われがちだが『気になり過ぎて』逆に集中できない事も多い。だから聞き流して良い程々の音声を、耳に入れる。現代のラジオの需要としては……悲しいが、その辺りが妥当だろう。
今はコロナ禍。テレワークやネット講義が増え、パソコンを用いた生活が増えた。ハイスペックなPCならともかく、学生や金欠の社会人の場合、下手に動画を流すと動作が重くなる。その男性はしぶしぶ、古びたCDコンポの中から、久々にラジオ機能を選択してチューニングを始めた。
ほとんどの機能がスマホ、PCに需要を奪われた現代。個別に製造されていた電子機器は、すべて一つの機材に集約されつつある。その気になればPCやスマホでさえ、ラジオを聞く事が可能だ。が、貧乏社畜の悲しさか……男には低スペックPCを買い替える余裕もなく、使える道具を使ってラジオを聞く腹つもりのようだ。
チャンネル表も見ないまま、適当にチューニングを合わせる。ピタリとチューニングを合わせる度に、ノイズ塗れの音声がクリアになる。けれど男の趣味か気分に合わないのか、しばらく聞き流してから音声はノイズに紛れた。そうしてAM・FMを往復し、しばらくオンボロ機械を弄り回していると……聞こえてくるノイズの中に、ミステリアスな女性の声が聞こえて来た。
『人の不幸は蜜の味――不幸を告げる、黒猫ラジオ……』
初めて聞くチャンネル。奇妙に耳に残るキャッチコピーに惹かれ、男はツマミを回すのをやめた。手を置いて耳を澄ませる。妙に引き込まれてしまう粘度を帯びた声に、じっと男は放送を聞いた。
『さぁ、今日の不幸を味わいましょう。他人の不幸はいつだって、味わい深い物です。今日の対象者は――『30年務めた会社に切られた50代社員』……』
何の話なのだろう。何のチャンネルなのだろう。詳しくは知らないが、男はこの放送を聞く事にした。自前の作業に戻りつつ、語り手の言葉を聞き流す。
『この人物は妻子を持つ一般男性……そうです。どこにでもいる中年……いえ、壮年の社会人と呼べるでしょう。後十年会社で務められると思っていた矢先、リストラの羅列に自らの名前が刻まれていました……』
まだ若い男には、あまり想像できる事じゃない。社会に出たばかりの人間では、リストラ云々は縁遠い話。作業中に聞き流すに丁度良い話題だろう。
『五十の年で職を失えば、再就職は絶望的。新しく雇うなら若い人間の方が、素早く仕事に順応し、扱いやすい。ここ近年の災いにより、一部企業は苦境に立たされました。金回りが悪くなれば……人件費を削減したくなる。困難な時世とはいえ、会社ごと沈むわけにはいきません。
ならば、誰かを投げ出すしかない……自主退職、リストラ、希望退職……時代を超え、言葉を変えても、組織が生き残るために個人を外に放り出す事は……古今東西、どこにでも起こる事……』
話を聞いて、他人事ではないな……と男は思った。表現の仕方は違うだけで、個人の都合より、会社は組織の事を優先する。続く女の言葉たちは、あまり気分の良くない結末を導き出した。
『ですが……誰かが投げ出されるとしても、放り出す人間は『選ぶ』ものです。彼より年下の社員もいました。彼より年上の社員もいました。その中で『何故自分が』と、この五十代男性は憤慨しました……今までの自分の奉仕を、この会社は裏切るつもりなのかと。
しかし……かの社員は、年下の社員に対して高圧的でした。指導と評してこそいましたが、新人に対して『こんなことも出来ないのか』と、初めての相手に言うのです。いくら新人社員が物覚えが良くても、気分が悪ければ能率が下がります。そして遅くなった作業を見て、ますます強く叱責するのです。
悪循環を引き起こしている……同僚や同じ立場で見れば明らかでしたが、この社員は顧みる事はありませんでした。それでも今まで通りの業績を上げられるなら、大目に見る事が出来ました。
ですが……状況は変わってしまったのです。誰かを切り捨てる必要が生まれました。切り捨てるなら、会社に不要な人物。あるいは維持コストの高い人物……ずっとこの会社で働き続けた、五十代男性は……実に、格好の立ち位置でした』
女の声は……嘲るような粘度がある。パソコン作業でキーボードと叩く男は、徐々に機嫌が悪くなっていった。
『長く居座っている分、給料は高く払わねばならない。けれど周囲の能率を下げる社員……近年ではパワハラを苦に自殺や鬱を発症する人もいます。そして訴えられれば、会社側も責任を負わねばなりません。いわば……この五十代社員は、会社にとって不発弾。しかも金銭的負担の大きい。爆発する前に、理由をつけて捨ててしまえれば……実に、都合が良い立場でした。
今更になって、必死に泣き縋ります。大学進学を控えた息子がいるんだ。ここ以外で働く口も無い。誰か助けてくれと喚きます。ですが引き留める者はいません。自分の首は切られたくないし、守るような借りも無い。むしろいなくなって清々する……周囲の目線に絶望しながら、新しいフリーターとして野に放たれたのです。
しかしこれは自業自得。妻子を愛する気持ちがあるのなら……何故会社員の人々を愛そうとしなかったのでしょう? せめて少し気遣う気持ちがあるのなら、あるいは自戒か自制が出来たのなら、この不幸が訪れる事も無かったでしょうに――』
「……なんだこのラジオ。胸糞悪い」
男は反射的にラジオを切った。話している内容……と言うより、女の口ぶりが不快だった。誰かの失敗に舌を舐め、陰鬱にニタニタと嗤う嘲りの気配――
どこの放送局が、こんな内容を垂れ流しているのか。確か『黒猫ラジオ』だったか? こんな悪趣味な公共放送はすぐに止めるべきだ。パソコンの片隅に『メモ帳』を立ち上げ、仕事を終えてから検索する。
しかし――