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冷凍された真夢  作者: 棺之夜幟
六章
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白い紳士の獣

 日比野豊の足取りは、極めて奇妙だった。感情が、混ざっていた。パレットの絵具を全て練り合わせたような、気色悪さと不快感。それに触れる稚拙さが、その色の全てを更に煌めかせている。傍から見て、美しいものではない。凡そ正常さとはかけ離れている。まだ慣れているだけ、ハラヤのそれの方が、ずっとマシですらあった。

 杉の間を抜けて、少し上げた目線の先、開けた視界と見おぼえるのある風景があった。遠くからは消防車のサイレンが空回りして聞こえた。私が連れられたのは、別荘から車で二時間は離れた高級住宅街だった。


 私は一度、ここに来たことがある。私の大学入試が終わった頃、私とハラヤの新居を決める時だった。知人の所有するマンションに空きがあるからと、義父のススメで、一緒に内見に来たのだ。ただ、ハラヤはマンションに辿り着くよりも前に、大学近くのアパートが良いと言って、全てが白紙になったのだ。私は同じ大学であるにも関わらず、義父の一声で、大学女子寮に入れられた。文句は言えなかった。枠の少ないAOで早々に受験を終わらせた出来の良い実子と、受験と呼ばれるほぼすべての手を使っても、ギリギリだった連れ子を比べれば、後者の意思を尊ぶ理由はない。

 目の前の風景は、劣る私の精神の、その一つを並べるように、白濁の灰色で汚されていた。夏の青い空と対比して、歪な高い箱がくすんでいた。


「一応、以前に掃除をしたのだけど、臭いは染みついているだろう。不快に思わせてしまったら、申し訳ないな」


 山と街の境界に足を付けた時、日比野がそう笑った。


「死体でも溶かしたのかしら」

「そういうのは自室でやるもんじゃないさ。寧ろ、死体があったのは隣室だ」

「そんなところに女の子を案内するなんて、アンタ正気?」


 無意味な対話と共に進んだ先、あるマンションの前、彼はくるりと回って、口を小さく開いた。


「君はどっちが良い?」


 その問いに、私は脊髄反射を吐き出した。


「どっちも」


 狂気と正気は両立する。彼を見ていれば、それがよくわかった。


「その答えが聞けて良かった」


 ほんの一パーセントの溜息を混ぜて、日比野は笑った。戸惑いの一つも無く、彼はそのままマンションの中に入っていった。冷気が私達を迎える。ポケットから取り出された鍵で、易々とガラスの塊を開ける。エントランスには、本来いるだろう警備員が、今に限って席を外していた。エレベーターも、廊下も、その全てが静かだった。住人の一人とも出会わない。生活感は所々にあった。ただ、人間だけが存在しない。ぽっかりと、私達の周りだけ、生命が失われている感覚があった。

 日比野は先導とと共に、壁面を右手の薬指で撫でていた。既視感があった。それは、共に住んでいたころのハラヤと、そっくり同じ癖だった。

 ピタと、日比野の足が止まる。代わりに、目線と指先が、吸い付くように近くの扉へ向かった。部屋の空気が外に漏れる。甘ったるいアロマが焚かれていた。それに混じって、生ゴミを溜めた、蛆好みの肉が香った。


「ただいま」


 無意識か、それともしっかりとした意図があったかはわからない。けれど、そんな軽々しい日比野の声に、確かな反応をした生物がいた。

 玄関の床を走り、シャカシャカと爪を鳴らしたのは、白い一匹の犬だった。愛らしさを振りまく姿は、いつかのテレビ番組で見たポメラニアンと同じだった。


「イド、ご主人様はお目覚めかな」


 犬の名を呼んで、彼は微笑んでいた。今まで見たことの無い、朗らかな、暖かさがあった。今、彼は演者ではなかった。


「入って。シバは外で見張りを頼むよ」


 手を引かれる。甘い部屋の冷気は、不快感を伴わない。腐臭に意識を壊されないのは、私が日比野を移しているからだろうか。イドという犬が足周りにまとわりつく方が、幾分気に障った。

 ふと、背後で玄関が閉じられた。いよいよ、人質という言葉が現実味を帯びた。ただ、そう言った本人は、実にあっけらかんとしていて、私に対する興味も、多少だが薄らいでいる。


「ノゾミを起こしてくる。リビングで待っててくれないか。適当に過ごしてくれれば問題ない」

「適当って、一応、私、人質らしいけど」

「あれくらいの言葉の意図、あっちも理解しているさ。場所だって、僕は何も言ってはいないけれど、"視て"いるのだろう。僕がそうなんだ。ハラヤも同じ筈だ」


 山中とは違い、彼は酷く冷静だった。自らとハラヤの重なりを、受け入れている様子だった。それとも、そんなことが些事になる程度に、その"ノゾミ"という存在が大きいのか。

 日比野はリビングに私を押し込むと、すぐに戸を閉めた。数歩、戸の向こうから足音がして、また別の部屋が開かれる。そこにノゾミがいるらしい。いやに耳の感覚が鋭くなっていた。

 犬が私の膝に乗ろうとせがむ。渡すがテーブルに備えられた椅子に座って、犬を抱き上げた。白い被毛はよく手入れされていて、仄かにフローラルな香りを伴っていた。


「可愛いでしょう。まだ一歳なんだ。ボールで遊んであげると喜ぶんだよ」


 顔を埋めていた犬の腹の向こう、知らない声が聞こえた。中性的なそれは、語尾が甘く、女性的な印象を濃くしていた。


「こんにちは」


 柔らかな頬を称えるのは、白銀の人形。否、被造物と思えるほどに美しい、一人の青年だった。


 ――――銀細工のような。


 ハラヤの言葉を反芻する。すなわち彼は、正しく、離れた双子の、接点にして、起点。


「僕は赤檮(イチイ)(ノゾミ)っていうんだ。初めまして、可愛いお嬢さん」


 そう言って、彼は白い歯と、紫水晶の眼を私に近づけた。

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