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冷凍された真夢  作者: 棺之夜幟
五章
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義妹と嘘の人

 手足が動かない。泥沼に埋まった様に、僕の四肢は重かった。瞼すらも、半開きからそれ以上は上がることは無かった。

 視界の中に、和泉はいない。僕が纏う全ては現実の視野に無かった。きっと、小清水が近くにいるのだ。

 あの後、自分の足が動いた記憶が無かった。多分、小清水に運ばれたのだろう。丁寧にも枕元の机には水差しとガラスコップが置かれていた。僕の家族にこんなことをするほど気が利く人間はいない。

 僕は一口水を含もうと、肩を上げた。数分かけて重力に慣れた手先が、ガラスに触れる。冷えた感触。まだ水こそ入れていないものの、寝起きに集まり出した指先の血は、それだけで涼しさを知る。

 上体を起こそうとして、頭が揺れた。まだ醒めきらない中枢神経は、渇きという本能すらも、眠気という欲望で掻き消そうとしている。

 壁に頭が当たると同時に、部屋の扉が開いた。


「ねえ、起きてる?」


 怒っているような、はたまた困っているような、そんな表情で僕を見下す女。扉は自然と彼女の存在を誇示するが如く、音を立てて壁を打つ。


「返事くらいしなさいよ。死んでるの?」


 女――僕の義妹、七竈匡香は、今日は随分と不機嫌らしい。その日の気分によって変わる態度は、コロコロと意思が変わる彼女の実母とよく似ている。彼女の顔は兄とも近しいが、僅かに混血した僕の父方の要素か、キリと整った、美人に相応しい端正な顔立ちだった。

 彼女の柔らかそうな唇と高い鼻が最も映えるのは、今し方見せている不機嫌そうな表情なのだ。


「今起きた」

「あっそ、じゃあ早く食堂に来て。母さんと兄さんが待ってるの」

「父さんは」

「お義父さんは朝早くから街に出てる」


 何故、と聞いても、今のコイツは答えないだろう。知っていても知らないと癇癪を起す。そんな気分らしい。


「小清水をデートにでも誘って断られたな」


 僕はそう言って部屋を出た。背後からの匡香の奇声が耳を裂いたが、僕は聞こえないふりでその場から逃げ出した。


 食堂では確かに義兄と義母が座って、僕達を待っていた。


「おはようございます」

「おはよう。よく眠れたか」

「それなりに」


 義兄は、それは良かった、と、疲れが滲み出ている口角を上げた。それぞれの席には、トーストと具の多いスープ、サラダ等、健康的で文化的な品々が一人分ずつ揃っている。僕がそのうち一つの空席に腰を下ろすと、すぐ隣に匡香が揃った。


「……小清水は?」


 ふと気づく。何処を見渡しても、昨晩までいた筈の小清水がいない。真面目な彼のことだ。今の今まで寝ている、などということはないはずだ。


「買い出しに行ってくれてるの。私も行くって言ったのに、自分一人が一番安全だからって」


 不機嫌そうに匡香はトーストに齧りついた。

 成程、僕の先程の適当な発言も間違ってはいなかったらしい。僕は一度手を揃えて、スープを口にした。不味くはないが、美味くもない。義母らしい味だった。


「でもありがたいよ。病院の騒ぎからして、あまり外に出れないのは確かだ。とはいえ、匡香は顔が流出していない分、小清水君と行っても良かったが」


 義兄の賛同を取り付けた匡香は、でしょう、と胸を張る。どうやら気分が良くなったらしい。匡香は上機嫌に僕を鼻で笑った。小清水が関係する話題において、この女はいつも僕と張り合おうとする。特に何の意味も無いのに、元気のいいことだ。


「そうそう、昼頃に俺は一度職場に行くから」


 平らげた皿の前で、義兄はそう言った。それを皮切りに、義母、匡香がそれぞれの場に向かっていく。どうやら、やるべきことも、やれることも何一つとして無いのは、僕だけのようだった。

 僕は最後に牛乳を一杯胃に入れて、席を立った。

 と、同時に、玄関のベルが鳴った。匡香も廊下に首を出す。目が、合った。彼女は首を横に振る。恐らく、来客の予定はない。


「小清水君は合鍵を持ってる」


 では、小清水ではないのだろう。もう一度、ベルが鳴った。義兄と義母にも聞こえている筈である。だが、二人が玄関に向かう姿はない。

 続いて、扉をノックする音がした。最初のベルからして、かなりしつこい客らしい。否、しつこいというよりも、僕達がここにいることを確信している様子だった。ノックとノックの間が、狭まっていく。


「――――!」


 ついぞ、声が聞こえた。


「七竈! ()()()()()


 一日ぶりに聞く声だった。僕は急いで玄関を開錠する。指がもたついた。扉は重い。それでも、僕は体重を使って、その扉から外界の空気を招いた。


「先生」


 見上げた先にいたのは、韮井先生だった。整った顔は昨日と変わらない。ただ、以前より余裕というものを失っていそうなのは確かだった。僕の息の速度を追うように、先生は息を飲みこんだ。彼は僕の背後、匡香と目を合わせる。一つ会釈を挟むと、再び僕に焦点を置いた。


「小清水は何処だ」


 唐突に、先生の口からそんな言葉が零れた。


「い、今、いませんけど……買い出しに……」


 行っている。そうだ、いないのだ、彼は。

 今、僕と"小清水"は離れている。言葉を生み出した瞬間、僕の脳が、違和感に気づく。


「いない、のに、視えない……」


 小清水はいない。けれど、僕の目の前には、和泉も、黒と赤の幻覚も存在していなかった。


「確認がある。そこのお嬢さんもご一緒に」


 先生は僕の腕を掴んで、外に飛び出た。もう片方の手で、匡香を誘う。僕達は森の中を三人で歩いた。初めて見た先生の自家用車は、使い古された国産車だった。

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