平行線上の血
二人だけが乗るにしては大きな車体が、人混みの中を悠々と進んでいく。病院の正門で僕を待ち構えているらしいスーツやジャージの人々は、煙草を片手にコーラを飲んでいる僕を見ても、少し不思議そうに車内を覗くだけで、特に目立ってこちらを追いかけることはなかった。どうやら彼等には、血だらけでボロボロのTシャツを着ている大学生という情報しか頭になかったらしい。妙に背丈にあった学ランを着て、助手席で煙草を吸う僕を、七竈ハラヤだとは思っていないのだ。
「何故こうも観察眼が無いんだろうな、こいつらは」
「その方が僕達には都合が良いだろう」
「それはそうだが、中高生風の男が煙草をふかせているんだぞ」
「探せば世の中には煙草をくわえる十代もいるだろうし、何なら中学制服で煙草に火を点ける人もいるよ。多分」
それもそうか、と、僕はポケット灰皿に細かく灰を落とした。紫煙が脳を炙る感覚に、一人、運転席の日比野を置いて溺れる。
日比野の下手な鼻歌を聞きながら、大通りに出る。その頃には肺と頭が、煙に満足していた。その分、腹が満たされないことを主張し続けていた。
信号の赤に出会う回数が、やけに多く感じた。口寂しさと、暇を持て余して、僕の舌と唇は自然に動き出す。
「この車って、お前のなのか?」
「うん? あぁ、そうだよ」
「後ろの馬鹿でかいクーラーボックスも」
「うん、友人にお土産を持って行く用」
「魚釣りでもするのか、お前」
「似たようなものかな。今日はまだ何も入れてないから、気にすることはないよ」
大丈夫、と日比野は言った。何か相互に噛み合っていないような気がしたが、僕は青信号に口を閉じた。
ふと、僕の懐から、電子音が響く。無意識に、画面を確認せず、スマホに耳を当てる。直感で少しだけ鼓膜と液晶の間隔をあけた。
『ッ――――ハラヤ!』
義兄の珍しい怒鳴り散らす様子が、頭に響いた。いやに優しい彼の、こんな声を聴くのは初めてかもしれない。
「大きいよ、声」
『何を呑気な事を言っているんだ、お前』
「別に何も焦るような状況じゃないし」
『なっ……お、お前、今どこに……』
「友達の車。脱出を手伝ってくれたんだよ。昼飯も一緒に食べてから、そっちに合流するから」
『……そのお友達は、信用できる相手か?』
僕はちらりと日比野を見た。彼はこちらに興味の一つも向けずに、黙ってハンドルを握っていた。
「信用は出来る。今のところは」
二つ先の信号の様子に、見覚えを感じた。以前小清水も連れだって行った、焼き肉屋が近いことに気づく。
『そうか……それなら、良い。夕方までには別荘に来るんだぞ。お義父さんが話をしたいそうだ』
「父さんが? うん、わかった」
義兄との通話を切断すると、車体が止まった。日比野が扉を開ける。僕もそれに続いて、店内へと歩を進めた。
店の内装に変化はない。しかし、平日の昼間故か、客層は一見して異なっている。相変わらずペコペコと日比野に背を低くするオーナーは、まるで全て決められていたかのように、僕達を一番奥の個室に案内した。
「さっきの電話、ご家族?」
席についた瞬間、口を開けたのは日比野の方だった。
「義理の兄だ」
「ご兄弟がいたんだ。てっきり、一人っ子だとばかり思っていたよ」
「継母の連れ子だ。一人っ子でも間違いではない」
「成程、それならそうか。お義兄さんが一人?」
「いや、僕と一か月違いの義妹もいるが……それがどうかしたのか?」
「ん、いやいや、これといって、何も」
日比野はそう言って、メニュー表の表紙を撫でた。傍で控えている店員に、コース二つを指差すと、僕と顔を合わせた。
「飲み物、どうする」
「レモネード」
「じゃあ、僕も同じのを」
昼間から酒を飲めるほど、優雅でも荒んでもいない。僕は学ランの上を脱いで、背もたれにかけた。細腕に当たる空気は、夏に浴びるには暑すぎる、七輪の熱気だった。
「日比野こそ、一人っ子じゃないのか」
店員が消えた頃、僕はポロと口を零した。突然過ぎたのか、彼は暫く目を見開いて、硬直していた。
「聞いちゃ駄目だったか」
「あ、いや、ごめん。君からそんな言葉が出てくるとは思わなくって」
明らかな動揺の中には、極僅かに、落胆があるように見えた。
「僕にも兄がいるんだ。三か月違いの、ね」
そう言う彼の口角は、いつもと違って下がっていた。互いに沈黙が生じる。踏むべきではないものに、足を突っ込んだらしい。
「……父さん曰く、僕は赤子の時に、実の父親が売りつけたらしい。その代わりに何を買ったのかは、僕は知らないところだけれど」
「まかり通るのか、そんなの」
「通せちゃう人なんだよ、うちの養父さんは」
日比野は困った様子で笑う。
「だからと言って僕も愛されていないわけではないからね。良い買い物だったみたい」
机に置かれたレモネードに、彼は口をつける。そうして一度黙ると、ふと、思い出したように再びその口を開いた。
「あぁ、そういえば、養父さんに、一応僕にも兄弟はいるって言われたことはあるよ。どちらにせよ、僕は一人っ子ではないね」
残念、はずれだ。と、今度は子供じみた表情で、日比野は笑った。コロコロと変化する彼についていけずに、僕は果汁とソーダ水を喉へと流し込んだ。




