八話 個の世界最強と群の世界最強
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アメリカ ホワイトハウスの廊下。
一年前の俺は、そこで黒スーツの男たちが所持する銃を突きつけられていた。
有名なサブマシンガン。
指の第二関節までの大きさほどの弾丸が、一秒間に十発以上も連射される。並みの動体視力程度の人間がこの距離で撃たれれば、息を吸って吐く間に、蜂の巣と見間違うほどの無残な死体となるそうだ。
黒スーツたちは武器を構えたまま、怯えた目で叫ぶ。
「フリーズ!」
命が惜しければ、手を挙げろとも命令される。
当然、俺は腕をぶらんと下げてリラックスしたまま男たちの元へ歩いていく。
ベチャ
足が、血で形成された水たまりを踏んだ。
俺が離れた跡には、別の黒スーツたちの血塗れの姿があった。この建物の入口からここまでずっと続いている光景だった。
俺が近づくのを見ると、黒スーツたちはビクッと大きく震える。
そしてその直後に、恐怖から引き金を引いた。
フルオートにセットされた銃は、装填されていた弾丸を立て続けに放つ。
バババババババン!
「うわぁああああ」
大量のマズルフラッシュの向こうで、黒スーツたちは悲鳴をあげていた。
俺は縦横無尽に壁へも天井へも移動して、弾丸の雨を躱していく。
「なんで人間がこれを避けられる」
「そりゃ使っているのも人間だからだよ」
結局、弾は銃口から真っすぐ飛んでくる。ならば銃口を向けられる前に避けていれば、弾は俺が直前にいた位置を通り過ぎていった。
連射に関しては、点ではなく線を回避するような感覚で動けば同様に当たらなかった。
何人かの黒スーツは先読みして当ててこようともしてくるが、目の動作と筋肉の弛緩でどこを狙っているのか丸分かりだった。
カシュッ カシュッ
時間が経過したところで、空撃ちの音が鳴った。
装填するタイミングと同時に、俺は天井から黒スーツたちの中心へ落下した。
四方八方から振られるナイフや警棒。
俺の拳は、それらの間を潜り抜けて敵へ到達する。
バキィン
サングラスごと顔面を砕くと、最後の黒スーツが倒れる。周囲は、さっきまで俺がいた場所と変わらなくなっていた。
戦闘可能な敵がいなくなったのを見て、俺は一息ついた。
「ふー」
「ぶべらっ!」
虚空へ裏拳をかますと、地面に溜まった血が噴きあがった。
どうやら軍の秘密兵器である特殊迷彩を纏っていた敵がいたようだ。目に見えなく、匂いも音もしなかったが気配――攻撃時に起こる微細な空気の変化を消せなかった。
「惜しかったな。全員が倒された時の隙を突くって狙い自体も悪くなかったぜ」
本当に周囲から完全に敵が消えたところで、俺は床に伏せている黒スーツたちを越えて、奥へ進む。
彼らが必死に守っていた扉の前まで行くと、俺はそれを蹴破る。
倒れたジェラルミンの壁を踏み進めていくと、室内にいる人物は怯えた目で俺を見つめていた。
「き、きみはたしかボクシングと総合格闘技のチャンピオン。いったい、な、なぜこんなことをした」
「一か月前に、連絡はしたはずだ。大統領」
俺の目前にいる彼こそが現米国大統領。
世界最大の権力を持つ男だ。
俺は、大統領の襟元を掴んだ。
「これで、俺の勝ちだ」
「ま、まさか。貴様、本当に喧嘩をしにきたのかこの私と。あの喧嘩を売るという連絡は本当だったのか!?」
「信じていたから、いつもよりSPや警備の数も増やしたんだろ」
「あれは万が一のためで……でもまさか本当に現れて、しかも乗り越えてこようとは」
俺は大統領が胸元に隠していた拳銃を粉々に握りつぶした。
目玉が飛び出そうなくらい驚いて、悲鳴をあげる。
「ば、化け物が!」
「世界トップクラスの核ミサイルの保有数に最高レベルの軍隊……それらを持っているあんたも充分に化け物だよ。だから喧嘩を売ったんだ」
世界最大の権力を持つ男が、世界最強の力を持つ男だ。
一か月前、ようやくその結論に至った俺はすぐに喧嘩を売った。
結果として数多の銃弾と兵器を潜り抜けて、俺は現世界最強の男を捕まえている。
「存外、あっけなかったな」
「ば、馬鹿な真似はよせ。私に手を出したら、所詮はただの一介の格闘家ごときではたたじゃおかないぞ」
「喧嘩でいちいち後のことなんて考えるなよ。今、あんたの命を握っているのは俺だぜ」
「……貴様は、狂っている」
ガチャアン!
大統領を投げると、椅子ごとぶっ壊れて倒れた。
殺してはない。
それは別に世界最強に関係ないからだ。
俺は自分が世界最強になったことを確信すると、ホワイトハウスから出ていった。
――その後、俺は世界から追われ続けた。
米軍などのアメリカの支配下にある組織や友好関係にあたる国だけではなく、大統領の部屋に侵入したことで重要な国家秘密を保持すると疑われて敵対関係にある国からも排除しようときた。
俺は世界中を休む間もなく逃げ続けた。
戦車や戦闘機、果てはミサイルや化学兵器などのあらゆる脅威に俺は襲われた。
それらを退けた末に、それらをも超えた最大の脅威が立ちはだかった。
逃走を開始して、二年が経った。
アフリカ大陸のとあるジャングル。
そこで俺は、敵の兵士から奪ったファイヤスターターで焚火を作って、暖を取っていた。追ってくる連中からするといい目印だが、獣除けにもなるし、敵が迫ってきた時に視界に映るメリットを取った。
火の暖かさに、俺はうたた寝をする。昔から睡眠中も戦いは可能だったが、最近はそこも上達した。熟睡して目が覚めた時、二十人の特殊部隊の兵士が倒れたのには逆に驚いた。
この二年で、俺はさらに強くなっていた。
「……」
「……いつ来た?」
しかしそんな俺でも察知できなかった男が、俺の隣に現れた。
知り合いだった。
顔の各パーツが荒削りさえしていない岩のようならば、肉体も岩のようにゴツゴツと巨大だった。
ラドール・ジョーン。ロシア人だ。
「ついさっきだ。不意打ちする暇もなかった」
ミリタリー服を纏った彼は、親しげに応じてくれた。
「そうか。おまえと戦ったのは、三年くらい前になるのかな?」
「ああ。軍でさえ危険分子扱いされて放り出されたおれは祖国からアメリカに渡り、格闘家として生きていた。そして所属している団体のヘビー級王者だったお前へ挑戦した」
「懐かしいな。俺が唯一、引き分けた相手だからよく覚えている」
「……その半年後にお前から剥奪され、空白になった玉座におれは座ることとなったが、祖国の大統領が襲撃されたことで軍に呼び戻された」
明かな不満を示す態度に、つい俺は笑ってしまった。
「そりゃ悪いな。ロシアのほうは大統領自身も強いって聞いて、やりたくなったんだ。実際、中々のやり手だったよ」
「大統領には、おれ自身もいくらか手ほどきを受けたくらいだかな」
「ということは師匠になるのか。もしかして、おまえよりも強かったのか?」
「……いいや。おれのほうが数段上だ」
「知ってた」
ラドールは虚空を見ながら、首を左右へ振る。
さっきから彼は、俺のほうを見ようとしなかった。俺も、視線を合わせようなんてしない。
ふたりとも、焚火のある方向を眺め続ける。
「……おれはお前を殺しにきた」
「だろうな」
風が通り過ぎた。
火が揺らめいて、場を一瞬だけ暗闇で隠す。
次に空間が明るくなった時、俺たちは互いに自分の肉体を相手の肉体へめり込ませていた。
両者は吹っ飛びながら、空中で体勢を整える。
地面に着地すると、同時に相手へ飛びかかった。
「うらぁあああ!」
「しゃぁあああ!」
間合いに入った途端に、お互いに蹴りをぶつけ合う。回転する軸足に耐え切れず、地面のから草が舞い散る。
威力、速度、気配の無さ。その他諸々の戦闘における総合的な能力を加味した上で、俺がこれまで食らったことのない最高の一撃をラドールは放ってきた。
この男もまた、大統領とは別の世界最強だと直感した。
彼ら権力者が群の最強ならば、ラドールは個の最強だ。
今度は後退せずに、俺たちは相手を蹴り合う。少しでも逃げる動きをしようものなら、それが隙となってしまう。
打ち続けると、やがて相手との距離が縮まっていく。
拳の射程になった瞬間に、俺は正拳突きをラドールの顔面に打ち込んだ。額にぶつかるが、部位鍛錬をこなした拳はそれでも割れない。
二撃目を入れようとしたところで、ラドールは平手打ちで俺の耳を叩いた。
目元まで伸びてきたラドールの親指を、俺は掴む。
「やっぱりおまえ、総合よりこっち派か」
「おれの戦い方は軍で学んだものが全てだ。ルールは枷でしかない」
平手打ちは、ボクシングだけでなく総合格闘技でも禁止されている。わずかにずらしたことで直撃は凌いだが、そのまま無視していたら鼓膜を破壊されていた。
膝蹴りで金的を狙ってくるラドール。
こっかけで玉を引っ込めて防御して、俺は肘でラドールの喉を貫く。
俺たちの再戦は、皮を破り、神経を引き裂き、肉を切り、臓腑を抉り、骨を折る血みどろの戦いとなった。
まさしく全身全霊を尽くしたもので、結果として俺はラドールの心臓を潰して勝った。
しかし消耗は凄まじく、俺は他の兵士たちによって捕縛される形となった。
そこから佐藤さんに会うまで、俺は刑務所で死刑の執行をされ続けた。
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「という感じで、群の世界最強と個の世界最強を倒して、俺は正真正銘の世界最強となったわけだ」
「……」
水爆や佐藤さんには負けちまったが、まあ人間としては最強だろう。実際、大統領は一度は勝った相手だし。
そう思っている俺の目の前で、話を聞いたラースは沈黙していた。
「どうした?」
「いやその……すみません。なんでもありません」
どうやら元の世界のことについてぼかしたことで、話が伝わらなかったというわけではないようだ。
「疑問があるのなら、はっきり言え。師匠命令だ」
「わ、分かりました」
動揺しながらも、ラースは正直に本音を語ろうとする。
「いえですね。実は、師匠は世界最強ではないと思いまして」
「どういうことだ?」
真面目なやつだなと可愛く思っていると、頭がハンマーで叩かれたような衝撃を覚える。
水爆などについては話していないため、俺が負けたことは知らないはずだが。
ラースは睨まれて一度ビビったが、俺の命令通り質問に答え続ける。
「師匠は軍隊に捕まったんですよね?」
「そうだ」
「ならば群の最強である権力者の勝ちだと思います」
「……」
「ラドールさんとの闘いが原因とはいえ、師匠は捕まりました。個の最強だったとはいえ、ラドールさんと群の最強は別物ではなく、取り込まれたひとつだったということです」
「でも、俺はその気になれば大統領たちの息の根を止めることが出来た」
「たとえ群の頂点を潰したとしても、他の候補と代替わりするだけです。群が存在し続ける間は、師匠は狙われます……群の力というのは、ただ多数による暴力というものではなく、そういうシステムそのものだとぼくは思います」
「……」
「ひぃ! ごめんなさい。別に師匠を貶すつもりじゃ」
押し黙った俺を見て、ラースはたじろいでしまう。
俺は見上げた月を食ってしまうくらい大口を開いて、
「わっははははははは」
爆笑した。
草原が、風を受けて折れる。
「ど、どうしました? やっぱりまずいことを言ったんじゃ」
「いやスッキリした」
俺は人生でこれ以上なかったほど爽やかな顔になっていた。
佐藤さんはともかく、水爆に負けたことについてはどうも俺の中でしっくりときてなかった。特殊な技能が必要な兵器ならともかく、水爆はスイッチさえ奪ってしまえば俺でも使えるものだ。
「なるほど。どうやら俺は、群の力に負けたようだ」
俺はラースへ満面の笑みを向ける
「ラース!」
「は、はい!」
「新しいリベンジの相手が出来た! 俺は群の力にまだ勝っていない! この場所で、俺はいつかそいつらと勝負するぞ!」
「それってまさか国を相手に……うそでしょ?」
ガオオオオン!
呆然自失となるラース。
俺の笑い声と、ゼエブの咆哮が街道に響いた。