七話 弟子
キャンプ地。
食事を終えてから三時間後、俺たちは眠りにつくことにした。
睡眠の際には、常にふたりで周囲の見張りをすることになっている。
今夜は、俺とラースの番だった。
テントの近くにはホリラの死体は骨一本もなくなっていて、ふたりとも転がっている木を椅子代わりにする。
デザートに、リェロータウンで造られた蜂蜜酒を俺は飲む。
かなり甘いが、食後ならばこれくらいでいい。
「呑むか?」
「すみません。コーエイさんと違って、ぼくは呑んだらいざという時に動けないので」
「そうか……」
隣にいるゼエブに、俺は蜂蜜酒を分ける。
ペロペロと舐めると、満足げにほろ酔いになった。
一緒に呑みながら警戒を続けていると、
「コーエイさん。もしこういう時に敵に襲われたら、どうしますか?」
ラースから声をかけてきた。
「倒すさ」
「酔っていますよね?」
「ああ。問題ない」
「なぜですか?」
遠くの星空へ話しかけるような俺の声を聞いても、ラースはかぶりつくように真剣な表情で尋ねてくる。
講釈を垂れるなんて真似はあまり好きじゃないが、ここまで熱心に聞いてくると答えたくなった。
酒の肴として、俺は喋ることにする。
「酩酊は不利じゃないからさ」
「……」
「酔っぱらって動けないっていうのは言い訳に過ぎない。もし本当に動けないのなら、それは普段から呑まないから、いざ呑んだ時にも動けなくなるんだ。不利な状況に慣れていなければ、その不利な状況に立たされた時に満足に戦えるはずなんてない。もちろんそんな逆境に招かれること自体が悪手だが、だからといって敵が強引にその状況に持ってくることだってありかねない。特に酒みたいな普段から世間で親しまれている物品は、仕込む機会も場所もいくらでもあるからな」
「じゃあ酔っぱらったままでも、コーエイさんは強いんですね?」
「やるか?」
俺は座ったまま、来いと腕でジェスチャーする。
ラースは立ったまま悩んでいる。おおかた素面で立ったままの自分が、こんな酔っぱらいで座っているおっさんを殴っていいのか悩んでいるのだろう。
気弱そうだけど、優しい子だ。
俺は挑発するようにべーと舌を出した。
ちょっとイラッときたのか、走りかかってくる。射程に入ったところで、怒りを解消せんとばかりに殴ってきた。
ガッ
「あれ?」
いつのまにかラースは地面に倒れ込んで、関節技を極められていた。俺が内受けで拳を弾いてから、バランスが安定しなくなったところを足元から崩したのだ。
どうしてこうなったかも分かっていないラースは、ポカンとしていた。
「おまえ、酔っぱらっているのも座っているのも、不利だと思っただろう?」
「は、はい」
「バーカ。どっちもその時に応じた技術があるんだよ。相手が知らなければ、逆にこうして有利な状況を作れる」
それぞれ酔拳と御式内と呼ばれるものだった。
グギギギギ
「いたっ! こ、これも魔術なのか?」
極めた部分に力を入れると、ラースは情けない声をあげる。解こうとするが、暴れるたびにさらに俺の手足が深く食い込んでいく。
どうやら関節技を知らないラースは、面白いくらい俺の想像したとおりに抵抗して、己へのダメージを深めていく。
充分楽しんだ俺は、やがて遊びをやめることにした。
危ないので、身体に負傷が残る前に技を解く。
「師匠!」
「え?」
自由になったラースは、なんと正座したまま頭を下げてきた。
なんで?
こちらから理由を訊く前に、ラースから話してくる。
「ケガレのぼくに、魔力に頼らない魔術を教えてください」
「あー……なるほど」
ラースの話を聞いて、彼がなんで俺についてきたのかがやっと分かった。
どうやらラースは、俺が使う戦闘技術を覚えたいらしかった。同じケガレのはずの俺が、傭兵も含めた信者たちを片手だけで次々に撃退し、上級アニマを消滅させたのを前にしたのがきっかけのようだ。
「ずっとケガレだったことを周囲から馬鹿にされてきました。両親からも見放されて兄弟のように学び舎にも行かせてもらえず、同年代の知り合いからは常にいじめられてました。自分自身、いずれ路傍で野垂れ死にするものかと将来を諦めていました」
「……」
「でも、コーエイさんのを勇姿を見て思ったんです。ああ、この人みたいになりたいなって。この人まではいかずとも、同じ戦い方を身に付ければ、ケガレとして産まれた自分でも普通の人みたいな人生を送れるんじゃないかって」
「なるほど」
どうやらラースは、生きる術を学ぶために俺に師事したいようだ。
事情を知ってから彼を視界に入れると、身の内にふつふつと静かに沸いている感情が見えてくるようだった。
「いいぞ、俺が暇な時間なら」
「ありがとうございます。師匠の命令は、なんでも聞きます」
「なんでもね……それなら、これから俺がする質問に、嘘偽りなく答えてくれ」
「分かりました」
俺の答えを聞いたラースは、らんらんと目を輝かせて喜ぶ。
この少年を、俺は可愛く思えてきた。
昼間に荷物をゼエブに預けなかったのも俺が自分の分は常に背負っていたのを真似して、苦手なホリラの肉を頑張って食べたのも俺を真似したらしい。
がちがちに正座したまま、ラースは俺の質問を待った。
「強くなったら、まずなにをする?」
「……生きていければ、それで」
一瞬、沈黙したラース。
「おいおいはぐらかすなよ。具体的な行動として、どうしたいのかを訊いたんだ。別にその通りに行動しなくてもいい。今のおまえ自身が、強くなったならなにをやりたいのか答えるんだ」
「今のぼく自身が」
俺の言葉を聞くと、ラースは悩みだした。
人間が強くなるには、目標が必要だ。
なにを成すかによって必要な強さは上下し、自分が決めた強さに到達するよう人は努力する。もちろん目標を達成する前に苦労に心が折れたりもするが、そればかりは個人の素質によるものであるため鍛える前から分かるはずもなかった。
別に途中で折れてもいいし、どんな馬鹿げた目標を掲げたっていい。
ただ教える立場として、弟子の気概を聞きたかった。
しばらく考えていたラース。
ポチャン ポチャン
途中から膝の上に置いておいた拳が震え出し、そこに涙を落とし始めた。
「ごめんなさい。ぼくは醜いです」
俺がなにかを言う前に、ラースは自分から次の言葉を紡ぐ。
「仕返ししてやりたいと思いました」
「誰に?」
「ぼくを馬鹿にした連中です……もちろん生きるためにぼくは強くなりたいです。でも強くなって最初にしたいことと問われたら、ぼくはぼくを馬鹿にした連中を、みんな、あの晩にコーエイさんが倒した連中と同じ目にあわせてやりたいと考えてしまいました。最低です。恨みなんて見返せば晴れるはずなのに、ぼくは彼らをこの手で殴ってやりたいです」
ラースは復讐を願う己を卑下しながら泣き続ける。
いっそ俺が代わりに倒してもやりたくなったが、だけど俺は、彼を守り続けることなんてできない。
ラースが自分自身でケリをつけなきゃいけない問題だ。
俺は格闘技を教えることを決意すると、空気を変えるために明るい話題を出す。
「ムエタイとブラジリアン柔道が戦ったらどっちが勝つと思う?」
「なんですかそれ?」
「……すまん。この世界になかった」
「あはは! どういうことですか!」
気まずくなった俺を見て、ラースは吹き出すように笑った。
滑ったが、結果的に場が和んだからいいか。
ついでに、俺は魔王のことをラースへ説明した(元の世界や神については伏せた。ジェンヌ辺りが知ったら、信仰が悪化するからだ)。俺自身がそういうことが苦手なのもあるが、情報を集めるためには、人手があればあるほどいい。
聞き終えたラースは、強く頷く。
「分かりました! 師匠のために、その魔王とやらを探し当てましょう!」
「あんまりはりきり過ぎるなよ。とりあえずは、魔王の情報があったら教えてくれ。これも格闘技を教える条件の内ってことで」
「はい。魔王について今は心当たりがありませんが、なにか分かったらすぐに知らせます」
ラースは快く、魔王の情報交換については承諾してくれた。
あっ、そういえば。とラースは俺の話が終ったのを見計らって、自分から話を切り出してくる。
「師匠は、どんな目標だったんです?」
さっきの質問のことだろう。
強くなったら、なにがしたいか。
普通だったら忘れているのかしれないが、俺はずっと覚えていたので答えた。
「世界最強になること」
「え?」
よく分かってないラースに、俺は分かるよう話す。
「ともかく世界で一番強くなりたかった。だから俺が知る中で一番強いと思うやつに挑戦し続けて勝ってきた」
最初は父親。
次は円旋流という近所でやっていた古武術の道場主。
その次は愚連隊の総長。
俺が認識できる世界で、俺が一番強いと感じられる人間に喧嘩をふっかけた。
年を経るごとに、強くなるごとに俺の世界は広がっていくため相手も変わって強くなっていく。
「そして佐藤さんを除けば、最終的に俺が最強と感じたのは、ふたりの人間だ」
酒で滑らかになったのは、俺は思い出に浸りながら昔話を始めた。