六話 旅路
ホイス通り。
西の辺境とクランシー王国を繋ぐ街道だ。馬車ひとつ分が通れる幅の道がずっと続いている。
周囲が草原に囲まれている道の途中に、俺たちはいた。
「なんでついてくるんだ?」
「おまえが傭兵団を解体させたせいで、ニャアの行き場がなくなったからニャ!」
隣で歩いていたレイナが叫んだ。
「知らねえよ。俺は襲ってきたおまえたちを撃退しただけだろうが」
「それが原因ニャ。素手のケガレに一矢も報いられなかったことでみんな自信喪失してしまったのニャ。田舎に帰るやつもいたニャ」
「たかがそんくらいで辞める根性なしなんて、どうせすぐに辞めてるよ」
「ニャアがどんだけ大切に育てきたと思っているニャ! それをこの変態はなんの考えもなくぶち壊して……」
だからって、おまえが俺と一緒にいる必要なんてないだろうに。
堰を切ったようにグチグチと文句を言い続けるレイナ。
いいかげん黙れと止めようとしたところで、
「まあまあ。レイナさんもそこでおやめになって。救世主様もお困りになっていることですから」
「……」
ずっと俺の背後にいたジェンヌが宥める。
このおっとり美人ことカルト教の教祖も、王国で主催される魔導大会のために町を離れた俺についてきたのだ。
「ねえ? 救世主様」
あのククロスを倒した事件の後から、彼女は俺のことをずっと救世主様と呼んでいる。
確かに神様からそういう使命を授かってはいるが、ジェンヌはそれを知らないまま、まるでククロスから俺に信奉対象を切り替えたように信奉している。
正直、俺としては恥ずかしいためやめさせようとしたのだが、彼女は断固として呼び名を戻さなかった。
「うるさい。イカレ女」
レイナが、ジェンヌに反抗して言った。
ジェンヌは俺に向けていた顔を、レイナへ向き直す。
「まあ口が荒いですこと。これだから裏で悪行を働いていた下賤な傭兵は嫌いなんです」
「誘拐した人間を生贄にするような狂信者に言われたくないニャー」
「ええ。昔のわたくしは間違っていました。ですが、コーエイ様によってわたくしの考えは正しいものへと修正されたのです」
「付き合った相手によって趣味を変える女みたいニャ」
「救世主様とわたくしが、だ、男女の仲になる!? なんて失礼なことをおっしゃるのですか!」
そんなこと言いながら、ちらっとこちらに視線を送るジェンヌ。
おいやめろ。
ただのギルドの受付嬢だったあんたならともかく、本性を知ったあんたとなんてまた死んでも付き合うものか。
俺は原因の話をしたレイナを睨むと、顔色を青くして自分の体を守るように抱きしめる。
そういう意味じゃない。
別にもうあの時みたいに裸で首絞めなんてしないから。
せわしなく変わる場の空気に嫌気がさした俺は、一番後ろにいる彼に目を注いだ。
「ヒーヒー」
祭壇で生贄になったあの少年が、息を荒くして大荷物を担いでいた。
赤髪の童顔で、女の子と同じくらいの身長。
彼もまた、志願して俺に同行してきたのだ。
町を出てから数日が経つが、ずっとあんな大変そうな状態のままギリギリでついてきている。
俺は罵り合う女ふたりを置いて、少年に近づいた。
「ラース。荷物をゼエブに預けろ」
俺は少年の名前を呼んだ。
「ありがとうございます。でも、このまま頑張ります」
「女たちは気にせず預けてるぞ。確かにこれは俺の旅だが、おまえがそこまで気を遣う必要はない」
「……お願いします。もう少しだけ頑張らせてください。はあはあ、迷惑はかけないようにしますから」
ラースは俺を見て、首を左右へ振った。
何度か勧めているが、彼はこんな調子で全て断っていた。
歩行速度を緩めないほどにはついてきているため特に俺が困るようなことはないのだが、疲労の色はどんどん濃くなっていく。
せめて、そろそろゆっくり休ませてやりたいのだが、そんな提案をしてもラースは拒絶するだろう。
なにかいい手はないかと思っていると、レイナが声をかけてきた。
草原のほうを指さしている。
「でかい人間。いや、アニマがいるニャ」
ゴリラだ。
元の世界のゴリラよりも四肢が発達し、二足歩行になっている。
シュッ
シュッ
しかもシャドーボクシングをしていた。
「なんだあれは?」
「モンタージュホリラですね。人間の動きを真似します。あの拳の動きは、おそらくなんらかの魔導を使っていた人間を真似たのでしょう」
サポートで調べて分かったが、魔導はこの世界でいう武術のことだ。
素手だけでなく、武器の扱い方まで含めた戦闘技術。その中には、元の世界にはない魔力の制御の仕方まである。
ゴリラを見続けている俺へ、ジェンヌが忠告してくれる。
「目を合わせなければ、なにもしてきません。顔を伏せてください」
「駄目だ。もう遅い」
「ニャアアア! ホリラがこっちに拳を振り回しながら走ってきたニャア!」「うわぁあああ!」
即座に遠くへ逃げるレイラ。逃げ惑うラース。
モンタージュホリラは、目が合った俺へ襲い掛かってくる。
「危険です救世主様。ここはわたくしが盾になりますから、どうかお逃げに……きゃっ」
「どいてろ。ボクシングゴリラか。普通のゴリラとは一風変わって面白そうだ」
ジェンヌを反対側の草原へ投げると、俺は彼女を背にして構えた。
今回は、オーソドックスのボクシングだ。
整備された道まで足を踏み入れたモンタージュホリラは、高速のワンツーをかましてきた。
先制攻撃を、俺はフットワークで避ける。
「ヒュー。速いな」
「ガウ!」
「俺の喧嘩だ。おまえも手出すなよ」
モンタージュホリラを威嚇するゼエブ。こいつもククロスの時に助けにきてくれたやつで、あのまま俺についてきた。
ゼエブは、俺の言葉にシュンとなってうなだれる。
可哀想だが、どうやら言うことには従ってくれるようだ。
「それじゃラウンドワンだ。一発KOで、観客をしらけさせるなよ」
「ガアアアア!」
咆哮するモンタージュホリラ。
人間を遥かに超えた力で、最短距離で敵を打つ拳を放つ。
ブオン
スウェーで躱すと、ホリラのパンチが寸前まで迫った。風圧が、俺を叩く。それだけで人間のパンチ並みの威力があった。
「ヘビー級以上だなこりゃ」
まともに食らえば、逆にこちらが一発KOされる。
ラッシュをしてくるモンタージュホリラ。
俺はボディワークとフットワークを駆使して、紙一重で致命傷を避ける。
ワンツーからの左ロングフック。
それから俺が屈んだところへ右アッパー。
見事なコンビネーション。
俺は足を使って横に避けながら、左のショートフックで引っかけるようにホリラのテンプルを叩く。
手応えはあった。
ニィイ
「駄目か」
モンタージュホリラは、揺れた首をゴキゴキと戻した。
その程度は効かんと、笑みを作って俺にアピールしてくる。
どうやら脳味噌が小さいせいで、脳震盪がしづらいみたいだ。
技術に拙さはあるが、高い身体能力でそれをカバーしている。もし元の世界にあるボクシング界に君臨すれば、どんな選手も蹴散らす逸材になるはずだ。
「でも、俺の敵じゃない」
その程度じゃ満足できないんだよ俺は。
俺はピーカブースタイルになると、頭を傾けた八の字を描くように振り回す。
ベタ足で一歩ずつ接近してくれる俺を、モンタージュホリラはワンツーで迎え撃つ。
ブオン
ブオン
二発とも外れると、俺は振り回した体ごとぶつけるようなフルスイングで頭部を打つ。
俺は常にホリラの死角に位置するよう交互に左右へ肉体を振り子のように移動させながら、真ん中へ来るたびにホリラの頭部を殴打する。
デンプシーロール。
モンタージュホリラはこちらを殴ろうとするが、高速で視界から出入りする俺を捉えきれなかった。そして一発なら効かないまでも、休む間もない連打には耐えられない。
バゴンバゴンバゴンバゴンバゴン……
拳の嵐に囚われたモンタージュホリラは、やがて力尽きた。
ホイス通り 夜。
街道からは外れ、草原を進んだ先にある川沿いで俺たちは食事をしていた。
焚き火を囲い、温められた寸胴からシチューを掬い上げる。
少し茶色みがかった液体の中にゴロゴロと肉が転がっている。嗅ぐと、臭み消しのハーブでは消せない強い獣臭がした。
「くさっ。ニャアこれ嫌いニャ」
「旅に同行する以上、食事の好き嫌いは駄目ですよ。苦手でも最低限は処理してください」
「ニャアが食べなくてもあの変態が全部食うニャ」
「ん?」
後ろから呼ばれた俺は首を回す。
口元に血がついていたが、どうせ拭ってもすぐに付くので気にせずに肉を噛み続ける。
「よくホリラの肉を生で食べられるニャ。くさいし固いしで、ろくすっぽ食べられるものニャないだろうに」
「煮ようにも焼こうにも、火が足りないんだからしょうがないだろ」
俺の前には、半分になったモンタージュホリラの死体があった。
食料の制限を考え、今日は俺が倒したホリラを食べることにした。
解体を昼から夜まで行ったのだが、取り出した肉や内臓が多すぎて持ってきた器具では調理しきれなかった。
だからこうして俺は、生の状態のままホリラを食っている。
口内で肉を噛み、内臓を磨り潰す。骨を歯で砕き、乾いた喉を血で潤していく。
時々、隣にいるゼエブに分け与える。
グニグニ バキバキ ゴクゴク
「申し訳ありません救世主様。わたくしの配慮が足りないばかりに……けれど、その野性味溢れる食事姿。とても絵になります。もしわたくしに画家としての才能があれば、ここでキャンパスを取り出していましたのに」
「グロ過ぎて、便所紙にもできないニャ」
シチューはジェンヌが作ってくれた。ジェンヌは料理上手で、これまでも旅の飯を作ってくれたのは彼女だ。
疲れた一日の終わりに美味しい食事を渡してくれるジェンヌは、ときどき慈愛の女神のように見えてしまう。
これで狂ったところがなければな……
陶酔した目をこちらへ向けてくるジェンヌを見て、俺はため息を吐いてから自分の食事に戻った。
「あの、レイナさん」
「なんニャ小僧? この余ったシチュー食べるかニャ」
「こら。自分も嫌なものを他人へ押し付けちゃ駄目ですよ」
「いえ。嫌じゃないです」
「え?」
ラースは大量に寸胴に残っているシチューを、空になった自分の皿へ大盛りで載せる。
レイナとジェンヌは、互いに顔を見合わせる。
「……」
「……おまえもマズイって感じてたのニャ」
「……ええ。本来ホリラは食用ではないので。できるだけの加工は試みてみたのですが」
俺とは別にモンタージュホリラのシチューを無言でガツガツ食べるラースを、ふたりは怪訝な目つきで見た。
俺は彼が元気になったことに安心する。
ちょうどあのゴリラが出現してくれて、近場でキャンプをすることで、疲れていたラースを休ませることができてよかった。
これで王国まではもちそうだ。