二話 俺が喰った
リェロータウン 老婆の家。
仕事が終わった俺は、家から出ていく前に依頼主に挨拶をする。
「裏庭の草刈り終わりました」
「まあ。お疲れなさい」
「それじゃ今日のところはこれで帰らせてもらいます」
「……コーエイちゃん。少し時間ある?」
「ありますけど?」
「じゃあちょっと待ってて」
リビングに戻っていくメイリーおばあちゃん。
最初の依頼先で、今日までお世話になったお得意さんでもある。
ちなみにコーエイは俺の異世界での呼び名だ。
うの発音が難しいらしいので、こんな風に呼ばれている。
おばあちゃんは袋を持ちながら戻ってくる。
「コーエイちゃんにはほんとお世話になっちゃってね」
「いえいえ。自分こそメイリーさんに食わせてもらっちゃってるようなものですよ」
「うふふ。これからもよろしくね」
「はい」
「それじゃあこれあげる」
メイリーおばあちゃんから俺は袋を手渡された。
中を開けると、そこには白パンがあった。
「特別にあげるわ。コーエイちゃんお腹空かしてるでしょ? 新人さんだものね」
「依頼金はちゃんともらっています。ここまで受け取れませんよ」
「いいのいいの。コーエイちゃんには草刈りから洗濯掃除に肩もみと何から何までお世話になったんだから」
「そうですか……ありがとうございます」
笑顔で押し付けてくるメイリーおばあちゃん。
俺はパンを素直にもらうことにした。
その場で食べる。
ハフッ
「美味しい!」
「よかった。それでなんだけど、もっと食べたくない?」
「いいんですか!?」
「いいわよ。今日はもう食事がいっぱい余っちゃってね」
家の中を除くと、テーブルの上に沢山の料理があった。
ローストチキンにシチューに大量のパン。
ゴクリ。
刑務所含めでここしばらく見ていなかった豪華な食事に俺は唾を飲み込む。漂ってくる匂いに、腹が鳴る。
だけど、謎でもあった。
明らかに、あの量は年寄りひとりぶんではなかった。
「何であんなにあるんですか?」
「……行きつけの店が値段を安くしててね、つい買っちゃった」
疑問に答えてくれるメイリーおばあちゃん
そこでやっと、俺はこの老婆の顔に陰りがあることに気付いた。
同時に、昨日の会話でおばあちゃんの息子夫婦が久しぶりにここに来ると話していたのを思い出した。
「……」
寂しい笑顔。
おそらく予定の時間から大分経ったことで、メイリーおばちゃんは息子たちが来るのを諦めたのだ。
俺は齧りかけのパンを食べずに、一歩下がる。
「ありがとう。でもこれで充分だから」
「そうなの? 昨日まであんなにゲッソリしてたのに」
「……昨日、いっぱい食べたからね。しばらくは大丈夫」
「そうなの? でも少しぐらいなら」
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
「あっ……」
俺はメイリーおばあちゃんに別れを告げると、返答も待たずに去っていった。
おばあちゃんからこちらの姿が見えなくなった辺りで、物陰に入る。
そこでしばらく待っていると、子供を連れた夫婦が俺の横を通り過ぎていった。
彼らを見ると、先程まで外にポツンと突っ立っていたおばあちゃんが大喜びして出迎える。
その様子を見届けると、俺は今度こそ本当にメイリーおばあちゃんの元から立ち去った。
傭兵ギルド。
これから俺は傭兵ギルドに仕事を済ませた連絡と、報酬金をもらいに行く。
ギルド内に入ると、何やら騒ぎが起こっていた。
受付嬢のジェンヌさんを、中年の男が怒鳴り散らしていた。
「何てことをしてくれたんだ!?」
「あの、さすがに何かの間違いでは?」
「間違いじゃないんだよ! ちゃんと証拠だってある!」
中年の男は藁と首輪を見せびらかすようにかかげる。
首輪は人の頭が複数入るほど大きく、明らかに人間用じゃなかった。
「見てみろ! これが証拠だ!」
「ですがそれだけで決めつけるには……」
「決めつけじゃない! ここのギルドに入会しているコーエイが、うちのゼエブを食っちまったんだ!」
俺かー。
まあ中年の男が、俺の寝床にしているゼエブ小屋の持ち主だったからこうなることは分かっていたけど。
「さすがにそんなことまでするとは思えませんよ」
ジェンヌさんはそれでも否定してくれる。相変わらず優しい人だ。
「だったら何でゼエブが一匹だけうちの小屋から減っているんだ! しかもこの通り、藁が血まみれだ! それに昨日の夜も騒いでたんだぞ! あいつはいつも腹を空かしていた。だからかわいいかわいいうちのゼエブに手を出したんだ」
「普通に首輪が壊れて逃げたのでは?」
「新品の首輪だぞ。壊れるわけがない! 珍種で高く売れるから大事にしてたんだ! それに一年がかりでしっかり調教してやったんだ。逃げるわけがない!」
「でもゼエブを倒すなんてケガレの人には……」
「だったら誰かと協力したんだ! 流れのあいつに手を貸すなんてここくらいしかない!」
頭ごなしに怒る中年の男。
ついには周囲にまで疑惑の目を向け始めた。
原因がいつまでも出ていかないわけにもいかないので、俺はふたりの間に割り込んだ。
「どうも」
「貴様! よくも、おめおめとわしの前に顔が出せたな!」
「出さないとジェンヌさん困ったままでしょ」
「あのコーエイさん。あなたはそんなことする人じゃありませんよね?」
俺を信頼してくれるジェンヌさん。
その気持ちはとても嬉しかった。
最初から彼女は優しく、ケガレと言われて馬鹿にされる俺にも優しくしてくれたから。
でもね……
「それはどうかな?」
「え?」
「ほらやっぱり! こいつがやったんだ! ほら誰と協力してうちの牧場の評判を落とそうとしたのか吐け!」
「それを否定しにわざわざ出てきたんだ。ゼエブの件は俺がひとりで全部やった。ここの人らは関係ない」
「信じられるかそんな言葉!」
自分の推理が当たったとみて、興奮する中年男。
胸倉を掴まれる。
そして殴りかかってきた。
「待つニャ!」
しかし拳は、第三者の言葉によって制止させられた。
鈴の音のような特徴的な声質だった。
その声の持ち主である女の子は、後ろにぞろぞろと男たちを引き連れて出てきた。
短く切りそろえられた黒髪。
他の軽装備の傭兵と同じく、動きが阻害されない程度の防具を身に付けている。
そして髪色と同じ猫耳と猫の尻尾。
まだ十代らしきその娘は、獣人だった。
獣人の娘を見て、他の傭兵たちが声をあげる。
「猫々団の頭領――レイナだ」
「ここのギルドでは最高ランクのBランク傭兵」
「すげー」
随分かわいい名前だな。猫々団。
レイナと呼ばれた獣人の娘は、中年の男に話しかける。
「話は聞かせてもらったニャ。この件、ニャアのグループに預けてみないかニャ?」
「いくらレイナさんと言えどもそんな簡単には……」
「ようはこの男がゼエブを一匹殺しちまったのが問題ニャ。なら同じ種類をもう一匹あんたに返せばいいってことニャ」
「で、出来るんですかそんなこと!?」
「ニャアに任せるニャ。困ったときはお互い様ってことニャ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
何度も頭を下げる中年の男。
話が終わると、レイナは俺に顔を向けた。
ジェンヌさんほどではないが可愛いなこの娘。
未発達な部分が多いけど、かなり顔は整っている。普通なら怖いと思えそうな鋭いツリ目も不思議と似合っている。鍛えているのか、ほどよく体も引き締まっていた。
レイナは小粒な唇を開く。
「ということで、おまえにも手伝ってもらうニャ」
「え、俺も?」
「当たり前ニャ。元はといえばおまえが原因ニャ」
それもそうだけど。
俺は何とか逃げようとしたが、傭兵たち一丸で食い止められて、最終的に手伝うことになった。
疑いを晴らしましょうと言って、ジェンヌさんまで協力してきた始末だ。
あーあ。めんどくさいことになったものだ。
リェローの森。
明日、俺は猫々団と一緒にゼエブがいる森を歩いていた。
「あー重い」
ケガレの俺は戦闘に出せないと荷物持ちをさせられていた。
俺も含めて全員分の荷物を複数のリュックに背負っている。
「しっかり働け新入り!」
「おまえのせいで働かされてんだぞこっちは」
先を進んでいる猫々団のグループ員が急かしてくる。
さすがに軽装備のあんたたちと同じにしないでくれ。
俺は森の不安定な地形に苦労しながら、何とかついていく。
やがて、先頭のレイナが止まる。
グループ員たちは一斉に彼女の背に集まる。
「あそこにゼエブの群れが休憩する場所があるニャ……」
木陰に隠れるレイナの視線の先には、洞窟があった。
目標を前にして、グループ員たちも集中力を高める。
緊張感がこっちまで伝わってきた。
いきなり行くことはなく、レイナは振り返る。
「おい新入り」
「はい」
「おまえは逃げておくニャ」
「一緒に戦わなくていいんですか?」
「おまえはケガレだニャ。だから守ってやるニャ」
レイナがそう言うと、グループ員たちは微笑む。
「お疲れ。よく頑張ったよ」
「魔力も無いのにここまで頑張ったんだ。あとはこっちで何とかする」
「あなたたち……」
猫々団のみんなは俺の頑張りを労ってくれた。
そうだ。この人たちは何の得もないのに俺を助けてくれるんだ。
命を失う可能性だってあるのに。
それなのに俺は、彼らを悪く思ってしまった。
猫々団の善意に負けた俺は、素直に従うことにした。
「すみません。俺、荷物持ちしかしてないのに」
「いいってことニャ」
「こっちの方向へ真っすぐ行け。そうしたら安全な場所に出られる」
「終わったら迎えにいくぜ」
「みんなで帰って、勝利の美酒を呑もう!」
いい人たちだな。
俺は感動しながら、指示に従って道を歩いていく。
そこはまるで人の手で舗装されたみたいに、他と比べて綺麗な道だった。
ガチッ
「あっ――あぁあああああ!」
トラバサミに足が取られたと思うと、鈍器にぶたれたような衝撃が横から与えられて吹っ飛んでいく。
気付いた時には俺は全身を網に絡まれて、洞窟の入口に到達していた。
聞いたような笑い声がしたので、そちらに目を向ける。
猫々団全員が、こちらを指さして高笑いしていた。さっきまで俺がいた場所には、まるで罠のような振り子運動をする丸太が吊られていた。
「ニャハハハハハ! トラップ大成功!」
「おまえは囮だったんだよ新入り!」
「そもそもゼエブの件そのものが、ニャアたちと牧場主で仕組んだったニャ! 獲物をしとめるのにどうしても囮が必要でニャア、ケガレでこの町に家族も何もないおまえはちょうどよかったってわけニャ!」
グルルルル!
猫々団が騒いでいると、洞窟の奥から声がする。この声は聞いたことがある。
奥から、そいつは出てきた。
人間を超えた体長に太腿並みに太い四肢。
指と同じくらい長い爪。
上顎から突き出た二本の牙。
そう。
この声は大型肉食獣の声だ。
赤錆のような色のタテガミが特徴的なその獣は、俺を見て、涎を垂らした。