十六話 ケガレとして生まれたこと
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ガスタミア牢獄 内部。
ぼくの名前は、ドルマニア・ラース。
しがない町の小さな貴族の家に生まれた平凡な男……だったらよかったのに、魔力がない存在ことケガレとしてこの世に産み落とされてしまった。
そのせいで長男なのに家督を受け継ぐ教育をさせてもらえず、親からも放置され続けた。
妹や弟たちはみんな、ぼくを白い目で見ている。ぼくの代わりに家を継ぐことになった弟に関しては、勉強や習い事で溜まったストレスを、ぼくを殴る蹴るなどして発散していた。その様子を見て、同年代の少年少女は、貴族であるにも関わず傷つけても問題ないと判断したことで、上流階級への鬱憤をぼくで晴らした。時々、大人や老人までもがぼくをいじめることにも参加した。
ぼくはFランク傭兵として日銭を稼いでいると、ある日、実入りのいい仕事があるからやらないかと言われて、教会に出向いた。そこでぼくは拘束され、命まで奪われそうになった。
悲鳴まであげて、怯えていたけど心のどこかで冷めている自分もいた。
ああ。ついに死ぬんだな。
意外に遅かった。
世界から弾き出された者としては、長生きしたのではないか。
死に近づけば近づくほど、その思いが占める部分は大きくなっていく。ナイフの切っ先を向けられた時は、もう完全に受け入れていた。
――でも、その直後からぼくの世界は一変することとなった。
「んー!」
「ラースくんだっけ? きみが大人しく全てを言ってくれれば、何事もなく終わるさ」
親し気に、こちらに都合のいいことを言ってくる署長。
さすがに馬鹿なぼくでも、目の前で師匠が落とされればそれが化けの皮だということに気付く。
ぼくは暴れて抵抗するが、署長は少しも手の力を緩めることなく引っ張っていく。魔力は使われていないのに、単純な力の差で抑えつけらえている。
署長は階段を昇って、最上階までぼくを連行した
最上階に敷居はなく、空間は一部屋で埋め尽くされていた。階段から反対の壁際に、椅子が五つほど並んでいた。
椅子のどれにも、拘束具らしきものが付属していた。
「元々は、上から矢を放ったり、屋上で使う機材を入れる部屋だった。ここが牢獄になってからは改装して、外に通じる穴は塞いである」
窓のほとんどに石材が埋め込まれて、壁になっていた。唯一ある窓も、牢屋と同じように格子が設置されている。
わずかな光によって、床に散らばっている血痕が視界に映る。
その跡を目で辿ると、床と同じ色で塗られた棘が見えた。棘は長いのが二本あり、矛のようになっている。
床だけじゃなく、壁にも似たような血塗れた道具が並んでいた。
なんの目的の部屋なのかは、一目瞭然だった。
「……」
「拷問室さ。なに、ここに来た人間にものを尋ねる時はいつもこの部屋を使っていてね」
「ばべ、ぶぼっ!」
反射的に、やめろと言いながら、ぼくは逃げようとしたが木刀で殴られてできなかった。
くらっ、とする頭。血がドパドパと流れていくの感じる。
殺す気はないのか、魔力を込められてない。
それでも痛い。
我慢しても、涙が洩れそうになってしまう。
師匠はこんなの食らっても、平然としていたのか。
苦しむぼくの様子を見ると、署長は上機嫌になる。
「ははは。そうだよね、魔力なしでやってもケガレならこうなるのが普通だよね」
「ひねっ。ひねっ」
「なに言ってるのか分からないよ。魔力がないと喋ることもできないのかい? 不便だね」
死ね。死ね。
ぼくの口からつい出る恨みの声さえも、署長には聞こえなかった。
無意識に危機感を持つだけでなく、ぼくにも明確にこいつの本性が分かった。
こいつは、人の皮を被った鬼だ。
「さて、じゃあそろそろ始めようか」
署長は、ぼくを椅子に叩きつけて席につかせる。バチン、と手首に拘束具が付けられる音が二回鳴った。
自由を奪ってから、やっとぼくの猿轡を外した。
「はーはー」
「これで口をきくことができるだろ? じゃあ早速、質問だ。きみは、どこに所属する兵士なんだ?」
「ミンチにでもなってろ肉団子」
バシッ
ぼくは、また木刀で叩かれた。負けじと口ごたえしようとすると、再度、署長は木刀を振るった。
ぶたれるたびに、ぼくの心は弱気になっていく。
知っていた。
痛みは、心を削ぐものだと。
昔もそうだった。最初はケガレでも諦めずに頑張ろうとしたけど、リベンジした相手から殴り返されるたびにやる気を失っていった。
最初は勝とうして、次は一発でも返そうとして、その次は心だけは折れないようにして。
そしてその最後に、
ベシィッ
「ラースくん。なにか言うことは?」
「……ごめんなさい……ごめんない……正直になりますから、もう痛くしないで」
もう傷つかないよう、相手に媚びを売る。
相手の欲望をくすぐる、もしくはわずかな良心を動かすため謝罪の言葉を口に出し、満足させるか意欲を削ぐ。
これがぼくの、最後の戦闘手段。あとはもう相手がやめるのをひたすら耐えるだけ。
(これでいいんだ。勝てない相手に挑むのなんて馬鹿がやること。そんなことやっても、もっと傷つくだけなんだ。痛みはいずれ失くなるけど、大きな怪我は生きることにも支障をもたらす。最初から我慢していれば、ずっと我慢しているだけで済むんだ)
署長は、ぼくの言葉を聞いて、ニヘラと今までとは違う種類の笑みを浮かべた。
……なぜだろう? 初めて見たはずなのに、ぼくはこの笑顔に見覚えはある。
記憶を探ることなんてしなかった。ぼくはもう痛みから逃れることだけに集中していた。
「それではラースくん。もう最初にした質問も忘れているだろうから、もう一度、尋ねるよ」
署長は、ぼくのこめかみに木刀の切っ先を触れされた。そこは何度も叩かれたことで、もう皮膚が剥がれている。おそらく望む答えが返ってこなかったら、また打ち付けるというジェスチャーだろう。
ぼくはもう怪我をしないよう、全身全霊で答えることにし。
「きみは、どこに所属する兵士だ?」
「新猫々団です。傭兵ギルド所属のチームで、メンバーは四人。リーダーがレイナさんで、残りのメンバーは、ぼく、ジェンヌさん、コーエイさんです」
「それはどんな組織なんだい?」
「他の傭兵団となんら変わらないそうです。最初のクエストでは、山でガーリックキノコというのを採りにいく予定でした」
「……」
沈黙する署長。
ぼくは誇張すらなく嘘偽りない答えを言ったはずだ。
署長は、今度は静かに質問をしてきた。
「きみたちはなぜ、ハニーオイルの保管庫を襲ったんだ?」
「え? なんですかそれ?」
「とぼけるな!」
「がはっ」
頭蓋骨がひしゃげるような思いを味わう。木刀の切っ先は、もうぼくの血や肉がベッタリついていた。
ベキッバキッ
連打される木刀。頭だけじゃなく、首や肩まで硬いものがめりこむ。
「ごめんなさいごめんなさい」
「ハニーオイルの保管していた場所の隠し扉が、あのコーエイという男に壊されたという証拠は残っている! てめえらの所属が、コーラル派でないなら、いったいなんの組織がどんな目的であれを壊そうとしたんだ!?」
「なにも知らないんです。ごめんなさいごめんなさい」
「知らないじゃない! 言え。言うんだ!」
ぼくの全身を殴打する署長。
もはやそこには被っていた化けの皮はなく、ただの鬼がいた。
腫れあがってゴツゴツになった皮膚が破かれた。魔力を使ってないことで、死ねずにジワジワと追い込まれていく。
ブチィン
気絶しかけたところで、手の甲を叩かされて、強引に起こされた。
「うふふふ」
嬉しそうに拷問を続ける署長。
この男、最悪ぼくが死んでもいいと思っている。目的や任務のためでなく、ただひたすら自らを満足させるためだけに暴力を振るっていた。
……ああ。やはり、ぼくはこいつをどこかで見たことがある。でも、思い出せない。
次第に力が抜けていく。自分から諦めてじゃなく、身体が限界に近づいていた。
ズルッ、と叩かれたほうの手が肘掛けから滑り落ちた(・)。
「なんだと!?」
「……」
「そうか。古いせいで、さっきの衝撃で切れてしまったのか」
「……」
「入れ替えだ。待っていろ」
ガチャガチャ。
署長は外れてないほうの手枷を外してくれた。
一瞬、自由になるぼく。
(……今なら、逃げられる)
署長は別に釈放してくれたわけではない。ぼくを別の椅子へ置こうとしているだけだ。
拷問は続く。
解放されるなら、この場から脱出するしかなかった。
(だけど、逃げようとしてもケガレのぼくじゃすぐに捕まる。もっと痛い思いをするだけだ)
思い出される過去の光景。
中央を囲んで、憐れみと嘲笑を向ける周囲。彼ら彼女らの視線の先には、ぼくとぼくを殴ってくる少年がいた。
少年は、ぼくの命乞いを聞くたびに喜んでぼくを痛めつけてきた。
少年は複数いる。
魚屋のジョージ、服屋のパリス、武器屋のコル、キューレ、ポリー。ああ中には女の子もいた。
彼らは姿形を変えて、少年になってぼくを殴ってくる。
そうだ。この少年だ。
この少年こそが――署長だ
「わぁああああ」
「はっ!」
気付けば、ぼくは叫びながら動いていた。
ぼくを起こそうとして、隙だらけの署長に攻撃する。選んだ技は――これまで人生で初めて繰り返し練習した魔術だった。
右下段蹴りが、署長の左太ももを捉えた。
「ぐふっ」
効いた。
ぼくは膝をついた署長の脇を通り抜ける。
「待て小僧!」
起き上がった署長は、木刀を床に叩きつけて威嚇した。
ぼく自身もあれで倒しきれた自信がなかったので、すぐに逃走をやめて向かい合う。
署長は、木刀でぼくを指す。
「ケガレとは思えない一撃だったよ。あのコーエイといい、実に珍妙な魔導を使う」
「――」
「だけど所詮、本気の魔導士には適わねえ」
「――二重魔術」
青い魔光色に包まれる署長。光は片腕に集中すると、その手にある木刀にも纏わりつく。
魔力が注がれた木刀は、赤く輝いた。
二色の魔力を、署長は発していた。
「冥途の土産に教えてやるよ。この木刀は魔道具だ。どんな色の魔力でも、赤の魔力に変換する」
魔力は色によって、適している魔術が違う。
赤は攻撃力、青は防御力や速度、黄色は回復、緑は感覚の強化する魔術にそれぞれ優れているらしい。
つまり今の署長は、青の魔力を纏う片腕で攻撃速度を強化し、赤の魔力の木刀で攻撃力そのものを強化しているということだ。
高速の一撃必殺。
かなりやばい相手だ。正直、ぼくが喧嘩してきたいじめっ子なんて比じゃない。
でも――
「師匠は、もっと強い相手とも戦った」
ラースは、かつて教会で見た武田と同じ構えをした。
ケガレどころか一流の魔導士でも単身じゃ勝てない相手に、たったひとりで挑んだうえに勝った。あの瞬間、ラースの世界が変わったのだ。
勝てるかどうかも分からない未知の相手に、果敢に勝負を申し込むあの背に、初めてこの世界における希望を見出した。
「……どうやら死ぬ覚悟が決まったようだな。バーンイン流魔剣導、その中伝者の実力を見せてやる」
バーンイン流の構え。
署長は半身になって、さっきラースに食らった蹴りを警戒して左足を下げて、右足を前にして右手に木刀を握る。
しかし彼は、ラースを見て、似た光景を思い出す。
それは男が、武田が戦ったあのモンタージュホリラと同じ構えをしている姿だ。
(よく見れば、あの構えはフィスト流か。拳に特化した魔導。蹴り技があるとは聞いたことないが、秘伝としてあるかもしれない。他流派にもらさない技はバーンイン流にもいくつかある)
フィスト流ならば、警戒するのはまず拳だ。足に関しては、お互いに流派を知っているからこその奇襲に過ぎない。
ラースはあえて逆を狙ったのだが、構えによってバレたようだなと署長はほくそ笑む。
署長は左手左足を前に、右足を奥にした。木刀も左に持ち替える。
ラースの構えはボクシングのサウスポー。左ストレートを警戒してのことだった。
勝利の確信を得た署長は、自分から踏み込んでいった。
「いやぁあああああ」
署長とラース。
実際のところ、ふたりの力量差は歴然だった。
片方は魔力という超常の力を有していて、さらには武術である魔導の段位まで得ている。もう片方はケガレなうえ、覚えている技はひとつしかなく、それに関してもほんの数日ほど鍛えただけだ。
通常ならば、前者が勝つ。
しかし今回の署長は、間違いを三つおかしていた。
ひとつは、確実に先手で倒すためとはいえ、魔力も纏わせずにダメージが残っている左脚を前にしたこと。
次のひとつは、自分から攻めたこと。
最後のひとつは、ラースがこの世界には未知の格闘技を有しているにも関わらず自分の既知に納めようとしたこと。
――これだけあれば、逆転は必定だった。
バキィ
「ぐわあああああ」
署長が、自分の射程に入った瞬間にラースは蹴りのモーションに入った。前にある足を使ったため、出が早い。
ブレーキをかけてから切り込もうとする署長より、先にラースの反撃が当たった。
上から落とすような右下段蹴り。署長の左太腿を、地面と脛で挟み込むような形になったことで、衝撃が逃げずに威力が膨れ上がる。
署長の左脚から感覚が消え失せ、その場で悶絶することとなった。
(これで逃げ出せる)
さっきの下段蹴りで、精魂尽くしたラース。
なんとか署長が動けない内に、階段から降りていくが、
「そうはいかない!」
なぜか階段の下から、蛇が出てきた。蛇は変幻自在に揺れ、まだ手前にいたラースの足首に絡まりつく。
バランスを崩して、後方に転倒するラース。
階段の下から、副所長が飛びかかってきて、ラースを捕縛する。どうやら蛇と思われたものは、魔力で操っていた鞭のようだった。
「逃がすか罪人!」
「よくやった副署長」
「署長! 大丈夫ですか!? まさかおまえがやったのか!?」
「ううう」
副署長の鞭をもらったことで、ラースの体力は限界を迎えてしまった。
鞭はラースの体を這いずり回り、全身を拘束する。
せっかく勝利したのに、このままではまた拷問されることになる。
ラースは歯がゆくて仕方なかった。
対象の無力化には成功したため、副署長は署長の安否を確認しにいく。するとどこからともなく――美しい音が聞こえてきた。
「!」
それは、この汚さと醜さを詰め込んだ牢獄にとても相応しくないもの。いや、逆にこの美しさの前では、牢獄そのものがここにあること自体が相応しくなかった。
美しい音の正体は、足音。
階段の下から、一段一段と昇ってくる澄んだ音が響く。
時が経つと、音はやむ。
最上階に、美しい銀髪の男が現れた。
「おおー! エルフ様!」
「お待ちしておりました。クラッスラ様」
署長と副署長の両者が、そのエルフの登場を歓迎していた。
エルフは、表情を大きく歪ませて、大声を出す。
「HAHAHAHAHA。ついに、革新の時はきた」
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