十四話 牢獄
ガスタミア牢獄。
街から離れ、森に囲まれた場所にその建物はあった。一見、荘厳なのはかつて要塞だったものを利用しているからだそうだ。
厳重に出入り口を警備された要塞は、外からの攻撃に対して鉄壁を誇るだけでなく、内からの脱出さえも困難となっていた。
俺とラースは、八階の牢屋にぶちこまれた。
最上階の真下で、もし壁際の格子を外して出ようものなら飛び降り自殺になる。
久々に見かけた鋼鉄の檻を前に、俺たちは石のベッドで一日を過ごした。
「クソ弟子、起きろ。朝だぞ」
「おはようございます師匠。いつつ」
ラースは腰と背中を軽く動作させて、凝り固まった肉体を解す。
「昨晩も食事をもらえなかったし、おなか減りましたね」
「そうだな」
「ところで、起きてなにするんです?」
「なにっておまえ……修行だよ。ここでするんだ」
「ええっ。こんな狭いところでですか?」
「そうだ。そこにちょうどいいのがあるだろ。まだおまえには固過ぎるだろうから、それに服を巻きつけて蹴れ」
「勝手につれてこられて、勝手にやれと言われる」
ブツブツと不満をたらすラース。
迷惑かけたことは謝るが、師匠として指導は厳しくやらせてもらう。
準備ができたラースは、石のベッドに下段蹴りを打ち込んでいく。
「ところで、師匠はなんで捕まったんですか?」
「分からん。思い当たることは、ひとつあるんだが」
コーラル襲撃。
どうやら国内ではお偉いさんらしいコーラル。あいつを襲ったことがバレたのなら、捕まるのも納得はいく。
あいつ自身が言わなくても、誰かが現場を見ていた可能性だってある。
考えながらラースの様子を見ていると、檻の外に人影が現れた。
影は、いきなり大声を出した。
「なにをしている貴様ら!?」
「修行だ。こんなところですることといったら他にないだろ」
「備品を大事にしろ!」
「大丈夫さ。こいつの蹴りじゃまだ石は壊せない」
「そういうことではない! 囚人として、ここでは規律を守れ!」
怒鳴りつけてきたのは、俺らをここへ連れてきた女だった。
黒一色のズボンと上着に、手甲や胴当てを身に付けている。色の濃いアイパッチと長い前髪で目の付近を隠していて、動くたびに火傷の跡のようなものがわずかに見えたりする。
この女以外にも、もうひとり俺らを連れてきたのがいた。
そいつは女の後ろから、にゅっ、とふいに姿を見せる。
「おはよう。カーリーくん」
「署長! おはようございます!」
笑う肉団子。
署長と呼ばれた男は、形容するのならばそんなやつだった。
小柄な女の背のどこに隠れていたのかというくらい縦にも横にも大きい。
「今日はちょっと、きみたちから聞きたいことがある」
署長は、動きを止めたラースと俺に話しかけてきた。
「本来ならば昨日すぐにやりたかったんだけどね。きみたちがここに来たのが遅かったせいで、時間がなくて」
「聞きたいことってなんですか?」
「それについては、部屋に招いてから話すことにしよう。なに、きみたちが全部話してくれれば、ここからもすぐに出られるさ」
「本当ですか」
署長はニコニコと笑みを浮かべたまま、こちらに敬意を持っているように話してくる。
すぐに怒る副所長に比べると温和な人柄に見える彼へ、ラースはすっかり取り込まれ、警戒心を緩めた。
「ああ本当さ。だからきみたちの知ってることを」
「おい肉団子」
「ああっ」
「ひぃいい」
俺が呼ぶと、署長は瞬時に豹変した。
声を荒げ、こめかみのあたりに青筋を立てる。まるで茹で過ぎて、煮崩れしたみたいだ。
尋問は、飴と鞭の役割の人物がそれぞれいる。この署長は飴のほう演じていたわけだ。だからこうして不意打ちされると、動揺して我を見せてしまう。
「貴様! 署長に対しての禁句を!」
「禁句だろうがなんだろうが、こっちからすると知ったことじゃないんだよ。それより、まずおまえらが俺をどうしてここに入れたのか説明すべきだろ」
「罪人ごときが反論するな!」
「待て副所長。彼の言うことも正しい」
怒れる副所長を諫める署長。さっきのキレた表情はもうどこかに消え、さっきと同じく優しそうな顔をしている。
まさかさっきの豹変は、あまりに言われたくないことを言われたせいで。
悪いことをしたかもしれないと考えている俺へ、署長は言う。
「そうだね。聞きたいことがあるのならば、最初はこっちから事情を話すべきだ」
「意外に話せるね。あんた」
「そうだろう。今から説明するから、こっちに近づいてくれ。実は本職はカーリーくんと違って、大きな声を出すのは苦手で」
「分かった」
俺は部屋の中心から、檻の傍まで歩いていく。
「このへんでいいか?」
「すまない。もう少しこっちへ来てくれ」
「嫌だ」
「なにっ!?」
停止したまま、俺は話を続ける。
「信用できない」
「どうしたら信用してくれる?」
「ひとつ質問に答えろ。それだけでいい」
「……可能であれば」
「答えなかったら、俺はここから一歩も動かないぞ。当然、この部屋からも出ない」
「先に質問を聞く。そこから判断させてくれ」
「分かった……コーラルはこの件について、どう言っている?」
俺の質問を聞いた署長は、唾を呑み込んだ。
押し黙った彼だが、逡巡の末、口を開く。
「きみは、コーラル様の知り合いなのか?」
「……別に違うかな。一国民として、エルフ様の意見が知りたかっただけさ」
「なんだそういうことか。コーラル様は、この件には関与していないとだけ言っておこう」
明らかに、署長は安心していた。
「分かった。じゃあもうひとつ質問なんだが」
「質問はひとつと言ったはずだが」
「それもそうだな」
俺はそれ以上は余計な口は開かず、素直に命令に従うことにした。
移動を再開する。
俺は、足先が檻に触れる距離まで来た。
「このへんでいいか?」
「ああ。いいよ」
署長が認めたその瞬間――俺の頭部が、木刀で打たれた。
どこに隠し持っていたのか。
さっきまで素手だったはずが、いつのまにか手に持った得物を振り下ろしていた。
「あははは。ざまあみろ! 罪人のくせに生意気なんだよ!」
「師匠! 大丈夫ですか!?」
額から血を流す俺を、ラースは心配してくれる。
副所長は、嘲笑を続ける。
「素直に従ったとけばいいのに、変なこと言い出すからやられるんだ! どうだ署長の一撃は! 署長はバーンイン流の段位を持っているんだぞ!」
「感想は、そこの肉団子に訊くんだな」
「あいつまた禁句を! 署長! もう一発お見舞いしてやったほうがいいですよ!」
「……」
「署長!?」
木刀を掴んでいる手がプルプルと震えている。よく見ると、俺の頭に当たった部分が凹んで欠けていた。
「貴様なにをした!? この檻に触れている間は、魔力は使えないはずだぞ!」
「副署長、そもそも彼はケガレだ……」
「じゃあいったいなにをした!?」
「演技が見え透いていたんでな。木刀に頭突き入れてやっただけだ。しかし、どおりで柔らかかったわけだ」
魔力さえないただの木ならば、どれだけ殴られようがノーダメージだ。
ついに署長は握力を失い、カランカランと木刀を落とす。慌てて回収すると、檻の前から離れていく。
「準備をしたら迎えにくる」
「罪人ども! 覚悟しておけ!」
副所長も続いて、この階から出ていった。
後には、しーんと静まった空間だけが残る。どうやらこのフロアは、俺たち以外はいないらしい。
俺は血を拭う。あまり威力が無かったため、既に止まっていた。
「あの、師匠」
「どうした?」
「挑発なんてせずに、全部、話せばよかったんじゃないでしょうか」
「なに?」
署長たちの誘いに乗れと言うラース。
すぐに俺は拒絶する。
「おれはなにもやってないぞ!」
「ですけど、署長さんは穏便な方みたいですし。師匠がなにもしなければ、このまま帰してくれたかも」
「はあ」
俺は大きく溜息を吐いた。
「クソ弟子」
「はい」
「おまえは、優しすぎる」
そもそもここに入れられ、食事もなしで冷たい寝床で一晩を過ごすいわれはラースにはなかった。
それなのにまったく恨みなんかせず、あの署長の言葉をまるっきり疑いもせずに信じている。
俺はラースに色々と言おうとしたところで、風を切る音が聞こえた。
ビュウウウ
猛烈な速度で棒状のものが外から飛び込んできた。棒は、床に刺さる。
「矢ぁ!?」
「もう来たのか。早いな仕事が」
俺は床に刺さった矢を抜き、その中央に巻かれた紙を取る。
「これまさか師匠が?」
「クソ猫が逃げる前に、あいつの懐へ情報を残した紙を忍ばせておいてな。俺の飯を奪った代金として、そこらへんを洗わせた」
まさかこんなに早いと思わなかったが。
あいつ弱いけど、こういう方面だと優秀なのかな?
俺の脇で、ラースは困惑する。
「なんでそんなことを?」
「なあクソ弟子。おまえ、そもそも今回の逮捕劇がなにかきな臭いとは思わなかったのか?」
「えっ。それはどういう……」
考えるラース。
悩ませてやってもよかったが、事態が事態のために俺は情報共有を優先する。
「まずこういう時はな、犯罪者は拘留されたうえで裁判を受けるんだ。まあそこらへんの処置は、この国だと事情が違うかもしれないが」
「たしかに、騎士団内にある牢屋や裁判所はありますね」
「仮にこれから受けるにしても、まず事情が説明されるはずだ。昨日の内にでも、それをする機会はいくらでもあった」
「……」
「罪状が伝えられないのもおかしい」
「……つまり師匠は、誰かに狙われてるってことですか?」
「そういうことになるな。あの騎士たちや署長が、それを知ってて行動しているのかは分からないが」
これ以上は憶測になるため、俺は余計なことは言わずに動き出すことにした。
手始めに、仕入れられた情報を確かめるため手紙を開く。
『ニャハハハ! 捕まってやがるニャ! ざまあみろ。変態には変態の行き場があるニャ。そのまま一生そこに』
一旦、文章が途切れた。
意図が不明だが、紙がグシャグシャになって引っかき傷みたいなのも見られた。内容からレイナ自身が書いたのだろうが、意外にも丁寧な字だったため、より凄惨になっているように感じられた。
一行空けて、続きがあったのでそちらへ目を移す。
『イカレ女に怒られたので、真面目に書きます。それでは最初にですが――』
「……ほう」
文章を読み進めていく内に、点と点が繋がっていき、最終的にあるひとつの仮説が俺の頭の中に浮かんだのだった。」