十一話 エルフとの闘い
アモルトの庭園。
――重い。
俺の脳内で、大樹がイメージされた。
大技をモロに食らったにも関わらず、なんとコーラルは体勢を保ったまま静止していた。
俺は足を引き戻すと、今度はさっきとは逆の足で後ろ回し蹴りをする。
今度は左腕で頭部をガードするコーラル。
「!」
しかし俺の左足は、直前の蹴りとは違う軌道で動いていた。
空手の後ろ回し蹴りと見せかけて、カポエイラのアルマーダ。僅かにあった隙間を縫って、足刀でコーラルの顔の側面を横から叩く。
鉄板程度なら分断する一撃。
しかし、またしてもコーラルは眉をひそめる程度で効いた様子はなかった。
(やはり大樹だ。斧をぶつけたところで、動じることなくぶっとい根を張ってやがる。いや俺の打撃は本当に斧なのか? 表皮すらも傷つけている気がしない。これじゃ果物ナイフ同然だ)
システマの息吹のように衝撃を発散したわけでもなく、空手のように肉体強度そのものを高めているわけではない。
このエルフに関しては、その耽美な外見とは反した高い硬度と大きな重量感を覚える。
なんらかの技を駆使しているのだろうが、いったいコーラルがどんな原理でこの結果を起こしたのか俺には不明だった。
ぞくりっ
背筋を寒気が走る。コーラルが左腕を引くと同時に、右掌をこちらへ伸ばしてきた。
(速っ!)
目で追い切れない。
俺は慌てて、その場でジャンプをする。
ガバァ!
俺の胴体があったところを攻撃は通過した。爆発音が背中付近と遠くでして、共鳴してデカくなる。
どうやら飛び散った空気が、壊れかけていた塀を崩したようだ。
(風圧で物を動かすとか、化け物かこいつ)
元の世界含めても初めての体験に、高揚と自分はその化け物みたいな男と戦っているんだという畏怖が湧く。
「はあっ」
驚いている暇はなかった。空中では回避行動が取れないと見て、コーラルは連続で左手を俺へ突き出してきた。
俺は咆哮し、
「だあ!」
延髄斬りを放った。跳躍してから即座に繰り出していた右足が、コーラルの首筋に衝突する。
意識が分散したせいで、コーラルの掌底は不発に終わった。
バランスを崩して、俺は草むらに背中からぶつかる。
(当たったら、死んでいた)
目の端をよぎったコーラルの掌底打ち。それは以前、俺を殺したものと同じものを感じた。
必死になって危機から脱出したことで、緊張が途切れそうになる。
だが、すぐ真上にある足裏はそれを許してくれなかった。
美しい形の足が、ふいに大きくなる。
俺は息もせずに地面からの反発を活かして、敵とは反対方向へ飛ぶ。回避の成功を確信すると、俺はまた反発で体を瞬時に起こす。
再び、コーラルと正面から相まみえた時には、クレーターが俺とコーラルの間にあった。
おそらく落下した踵の衝撃で、大地が崩壊したのだ。
今までの常識ならば有り得ない現象だが、さっきまでのコーラルの力を前にすると、こう考えるのが俺の中で最も納得がいった。
そのとんでもない発想が事実とばかりに、コーラルはクレーターの中央から足を離した。
「……」
風すらも沈黙する空間。
こうして直接の攻撃を交わさずとも、俺は神経がひたすら削れていくのを感じる。
「驚いた」
ふと、コーラルは呟いた。真顔のままだったが、声はわずかに上ずっていた。
「貴様からは魔力を感じない。おそらくケガレだろう。なのにも関わらず、私の攻めを何手も防いだ」
「……」
「聖樹の枝、聖樹の根、どちらも当たらなかった。身体能力はせいぜい下級アニマ程度だが、凄まじい技量を誇るからだろうな。見たことない技ではあるが、それぞれに高い練度を有しているのは私でも分かる」
「褒めてくれてありがとう」
「帝国兵ではない。そして私の命を狙う敵でもない……見たこともない人間。本当に、きみはただ私と魔術比べをしたくて、こうして挑んできたのだ」
喋り続けた末に、コーラルは嬉しそうに言った。
「戦いはあまり好きではなかったが、きみとならそう悪くはないな」
ブパッ
コーラルはクレーターをひとっ飛びして、俺の寸前まで迫った。その速度は、レイナのあの流星を軽々と越えていた。
着地と同じタイミングで掌底を打つ。それは胴体よりもさらなる加速をしていた。
ビシィ
俺は既にそれを避けていて、ローキックをコーラルの左太ももへ打ち込む。
「ほう!?」
「ペラペラ喋るのは強者の余裕か? 舐めるんじゃねえ!」
先程までと俺は構えを変える。
腕はノーガードで、左右の足を常に交互に移動させる。
コーラルはその奇妙な動きにちょっと戸惑うが、すぐに我関せずとペースを崩さずに技をぶつけてきた。
両手のひらが空を切る。再度、俺のローキックが炸裂する。
「速さではこちらが上回っているはずなのに、捉えきれない!?」
コーラルは蹴り技を交えてくるが、俺は全てを事前に躱して一方的に攻め続ける。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
アリシャッフルからフットワークを使って、常時動き回る安全圏に俺はいつづけた。
対武器を想定した古武術にはないリングという限定したフィールドで生み出された足捌き。それは進化を続けたことで、こうして実戦にも通用する。
足の間隔は、キックボクシングを参考にして狭い。こうすることで足技にも対応できる。
フラッシュステップ。ジンガ。
多種多様の足さばきを混ぜて、コーラルを幻惑し、これまたコーラルにとっては見慣れない回し蹴りを当てていく。
後ろ回し蹴りだけでなく、そもそも古武術には回し蹴り自体がなかった。
(認められるのは悪い気がしねえが、そもそも敵として扱われないのがムカつくんだよ)
その余裕、ぶっ潰してやる。
俺は奥足への左ローキックをかます。見切ることを諦めたコーラルは受けたうえで、俺のみぞおちへ前蹴りを打ち込む。
ズオン
大きく体勢を崩すことによって回避すると、俺は倒れながら地面に両手を付いてコーラルのふくらはぎを狙って蹴り上げる。
「っ!」
予想外だったのか、わずかに息を乱すコーラル。
すると足先が赤く光りだして、輝きがふくらはぎに集まっていく。俺は光った部分へカーフキックを決める。
バシュ
これまでと違い、多少ながらも手応えがあった。コーラルも歯を噛み締めていた。
そうか。
これが、コーラルの力の正体か。
「まだ」
すぐに反撃に移るコーラル。俺も迎え撃とうとするが、
「エルフ様! エルフ様いますか!?」
「後からこの道に入った男がいたと聞いた。もしや帝国兵で、エルフ様を暗殺しにきたのかもしれない」
かなり遠くだが、ガチャガチャと鎧の部品同士が慌ただしくぶつかる音が聞こえてくる。
俺とコーラルはどちらも動きを止めて、顔を合わせた。
「どうやらこれまでのようだ」
「俺は続けてもいいぜ」
「無茶を言うな……今度の魔導大会に貴様は出るのか?」
「ああ。そのためにここに来たんだ。登録ももう済ませてある」
「そうか。ならばその時に再戦することにしよう」
「喧嘩に、場所も時間も関係ないだろ?」
コーラルは音がする方向へ目をやる。
「ある。貴様との闘いは、もっと相応しい場所で行われるべきだ……それになにより、邪魔が入らないしな。貴様とは、思う存分、戦いたい」
「……そう言われちゃ、こっとしてはうんと頷くしかない」
引き下がることにした俺は、騎士たちが来る方角とは別の方角へ走った。
家の裏にある塀を越えて、廃墟などの間を通り抜けていく。
気配を感じなくなった。
どうやら騎士たちから追われなかったようだ。
俺は無意識に選んだ廃墟に入る。
中は薄暗く、人もいなかった。
徘徊していると、水が溜まっている桶を発見した。水は澄んでいる。現在はいなくても、少し前まで利用者がいたのだろう。
俺は桶の中へ顔を突っ込んだ。
数秒してから、ざばあ、と後ろ髪まで濡れた頭部を上げる。
「はあ……はあ……危なかった」
意志の力で保っていたものが崩れ、俺は桶の脇で力尽きた。
くまなく全身に疲労が満ちている。汗でびっちゃりと衣服が床にくっついている。息をするのも気怠かった。
感情が、独り言となって出ていく。
「コーラルの力の源は、レイナと同じ魔力だ。おそらくエルフという種族は、筋力の代わりに魔力を得やすいんだろう。だが、それを気付くための代償が大きかった」
一撃貰ったら負けだった。そのために、常時、高速で動き回るしかなかった。しかし普段ならば回避時だけ行使して維持する必要のないフットワークを長時間繰り返したことによる体力の消費は甚大だった。
「対して、コーラルにはまだ余裕があった。ただのポーカーフェイスじゃない。あいつ自身のフィジカルもあるが、無駄のない動きで戦い続けていたからだ」
コーラルは常に最短で俺を狙ってきた。
もしもあのまま続けていれば、俺の負けは必至だった。一撃ももらってないはずなのに、やつの攻撃がすぐ横にあるというプレッシャーだけで体力が消費された。
「あいつはそれも分かっていた」
俺をいつでも仕留められると分かっているから見逃したんだ。勝負がついていないように見えて、その実は俺の完敗だった。
俺の心は、敗北感で満たされる形となった。
黒い靄の中に、白い点が浮き出てくる。
水面に、俺の白い歯が映し出された。
「――面白い。俺より強いやつはまだいたのか」
無意識に、にいっ、と唇の端を大きく上げていた。敗北感は、新たなる強敵への高揚も生み出していた。
元の世界でラドールを倒して以来、俺は無気力な状態に陥っていた。
脱獄をしても、もう自分より強い人間とは戦えないという想いに至ってしまうと、自然と俺の足は止まってしまっていた。処刑場と牢屋を行き来する毎日は、自慰をして飯を食べて寝るという日々となんら変わらなかった。
俺より強いやつにまた出会えた。しかもまだまだ魔王という強敵がこの世界には潜んでいるという。
異世界に来て、本当によかったと思う。次にコーラルへ挑戦する魔導大会に、俺はどきどきを抑えきれなかった。
バシャバシャ
汗や髪に混じっていた砂を取り除くと、俺は廃墟から出ようとする。
「さっきまであいつに夢中で分からなかったけど、これはなんだ?」
わずかに雲から覗いた月が、廃墟の中を照らす。通常の人間の視力ならば見落とすであろう切り込みの線が床にあった。
気になった俺は、外そうとしたが指が入らない。道具を使っても、難しそうだった。
製作者の名前らしきものが書かれたこの石板をどう開くのか?
「ふん」
俺は正拳で石板を貫いた。ただの石に見えるが中々硬い。けれど何十発も入れるとさすがに穴ができあがった。
向こう側からこじ開ける。
隠し扉の下にあったのは、地下への階段だった。
階段を降りていくと、四畳ほどの狭いペースに樽がぎっしり詰まっていた。空いていたのがあったので、入っていた液体を俺は飲んでみることにした。
「甘っ」
砂糖を凝縮したみたいに甘い。クリームとガムの間くらいの粘着力があって、指と指の間でよく延びる。
初めて見る液体に、俺は戸惑いながらも興味を失っていく。
「とりあえず帰るか」
疲れを癒したかった。隠し扉の弁償代に、俺は手元の金を全部置いて宿へ帰る。




