九話 王国観光
クランシー王国。
旅を続けた俺たちは、無事に王国へ辿り着いた。
王国の風景は、リェロータウンでは感じなかったが、かなり現代のヨーロッパの街並みに近いものだった。道と壁の舗装が丁寧で、出店や建物の種類も豊富だ。
ゼエブが引く車が、俺たちの近くを通り過ぎる。馬車ではなく、狼車だ。
「それでは救世主様。お心苦しいのですが、わたくしは貴方様の元をしばらく離れなければなりません。なにかお困りになったら、後で罰でもなんなりでもお受けします」
「別に困ってないから、こっちの教会に居ついてもいいぞ」
「申し訳ありません。予定としては明日には戻れますでしょうが、命を賭してすぐにでも舞い戻ってきますので」
「一生帰ってくるニャ。イカレ女」
ジェンヌは一時の別れ(?)を告げると、俺たちから去っていった。
どうやら彼女はカルトのほうではなく元々所属していたヘリコン教の教会に籍を置くための手続きをするようだ。教会にいると、色々と生活が捗るらしい。
「自分から裏切っておいて、面の厚い女ニャ」
「おまえもな」
「ふふっ」
「笑うニャ。小便臭い小僧が」
「す、すみません」
獲物を狙う猫みたいな目で睨まれて、ラースは縮こまって謝る。
「べ、別に頭まで下げニャくても」
ラースの謝罪に、レイナは逆に調子が狂ってしまったようだ。
「ふっ」
「おまえも笑うニャ。しかも鼻で笑ったニャ。というか元はといえばおまえのせいニャ。この変態」
「別に今はそういうことしてないだろ。というか、大声で言ったせいで注目されてるぞ」
周囲から声が聞こえる。
「さっき、あの獣人の娘が男を変態って」「見かけない衣装。確かに変態っぽい」「あんなカワイ子ちゃん相手に興奮するの当然だけど、どういうことしやがったんだあの男」「耳モフモフ尻尾ギュッギュップレイ」「いかつい男が、小さな女の子を組み敷いて」
レイナの顔が羞恥に染まる。
「どうやらお仲間にされたみたいだな。クソ猫」
「誰が変態の仲間になんかニャるか!」
俺を爪で引っかくと、足早に先へ行ってしまう。
俺とラースは注目を浴びながら、彼女へついていく。元々、王国に唯一詳しいレイナが案内をすることになっていたため、行動は変わらなかった。
行列の中、レイナを見逃さないよう歩く。
広場に到着する。
中ではゼエブの他にも牛や馬の取引をしていた。
脇でやっている取引を見物していると、やっている見世物が目についた
「こいつを、投げればいいんだな」
「へい旦那。樽が後ろの壁を越えれば賞金です」
興行主の指示に従って、牛飼いの青年が、膝ほどの高さがある樽の脇に立つ。
彼の背後には、木板を組み合わせて作られた五メートルほどの壁があった。
青年は何度か息をすると、樽に手をかける。牧場仕事で鍛えた筋肉は、樽を地面から勢いよく離した。
ガタンッ
上から六番目の木板が軋むと、樽は壁の根元近くに落下した。
「あー」
落胆の声が、見物人からあがった。
「はい残念でした」
「ちくしょう」
牛飼いの青年は、悔しがりながらセットから離れていった。
ひとりになった興行主は、人だかりへ声をかける。
「勇者カロスの壁を越えようとする猛者を求む。樽がこの天上へ伸びていく壁を越せば、投げた勇者はその年の成功を約束されるであろう。さらには、一〇〇〇ボウスの賞金も取りつけましょう」
「へー。結構もらえるな」
「まあ、簡単にもらえれば苦労しないんだけどニャ」
見物人たちはそれぞれ身内と話していた。
「おまえやれって」
「できねえよ。さっきの大男でさえ失敗したんだぞ」
「四〇人やってひとりも無理だとはな」
「年々高くしやがって。今年は成功はいないだろ」
「おい聞いたか? さっきの牛飼い、魔導の使い手なんだってよ」
「そんなやつでもあの高さなら、人間にできるわけがないだろ」
ひとり、またひとりと人だかりが離れていく。
興行主が煽ったりするが、誰もが反応すらせずにいなくなっていく。
「果たして勇者はもうこの世にいないのか。弱者ばかりでは、アニマたちに住んでる場所を襲われ、人間は滅びてしまうぞ」
「俺がやるよ」
「ニャッ!?」
俺は挙手をして、壁の近くまで移動する。
興行主は両腕を広げて出迎えてくれた。
「なんて勇気のあるお方だ。幾人もの力自慢たちが怯え、挑戦すら避けたこの勇者の壁に挑むとは。その決意に、幸あれ」
「おべっかはそこらへんでいいから、やり方を教えてくれ。初めてなんだ」
「まずは前金を頂きます。二十ボウスです」
仰々しい態度が一変し、さっと手を出す興行主。
俺は、さっとレイナを指さす。
「クソ猫。払っておけ」
「なに言ってるニャ!? いったい誰の金だと思ってるニャ!」
「おまえの金だ。山分けしてやるから、種銭だけ出せ」
「我が儘過ぎるニャ。ニャアは保障のない賭けはしたくないニャ。だから嫌ニャ」
「じゃあ、ぼくが代わりに……」
ボロボロの袋をすっからかんにして、ラースはお金を払ってくれた。
いざ弟子に奢らせると、周囲はともかく自分の中では居心地が悪いものになった。こういうことになるから、レイナに払わせたかったんだが仕方ない。
「悪いな。すぐに倍にして返すから」
俺は指定された位置に立つと、横に寝かされた樽の箍に手をかける。ちょっと揺らしてみると、中に入っている金属がゴロゴロとする。
おそらく鉛かなにかだろうが、かなり重いが分かった。
「お客さん。持てますか?」
興行主から心配される。見物人たちも乱入してきた見慣れない顔に、どうせおまえも無理だろう、と侮りの声を出している。
「大丈夫。危ないから離れていろ」
「それなら。うわぁ!」
俺が樽を投げる勢いに、興行主は仰天して尻もちをついた。
見物人たちは、顎が引き攣るほど宙を見上げる。
鉛の樽は、壁の倍の高さまで到達し、石板を陥没させかねない勢いで着地した。
料亭 蕾の園
一〇〇〇ボウスの賞金を手に入れた俺たちは、ギルドへの登録を完了すると、街を観光しながら気に入った物や必要な品を買い込んだ。
買い物をしている間にこの国で一番の上手い飯屋を尋ねていると、多数の人物が「蕾の園」の名前をあげたため、夕食はここにすることとなった。
店内の配置は酒場のようだが、国一番の料理を出すという割には意外と高級な雰囲気はなく、屋内はランプの暖色で満たされていた。
「はい、ぶらっくはーりんぐのおらいふあぶらいためです。こちらのおきゃくさまには、あどみなです」
「救世主様にありがとうございます。少女」
注文を運んできた六歳くらいの女の子に、合流したジェンヌが感謝する。
大袈裟な対応だったが、それがかえってよかったのか気を良くした女の子は頬を緩ませる。
「にへへ。しすたーさまに褒められた」
「嬢ちゃん。はいこれ」
「でかいおっさんも「救世主様です」きゅうせいしゅさまも、ありがとう」
俺がチップをあげると、女の子はお礼を伝えて戻っていった。
俺は置かれた自分の魚料理に手を付ける前に、フォークの先をジェンヌへ向けた。
「ジェンヌ。さっきのあれはなんだ?」
女の子に俺をわざわざ救世主って呼び直させやがって。
ジェンヌは尖った先にまったく引かず、当然のことをしたという顔で答えた。
「布教です。少しでも早く、救世主様の名前が世界へ広がるように」
「それで広がるのは悪名だけだ……」
「悪名もまた名。知られれば知られるほど、最終的に救世主様の偉業を前にした時により強い救世の光を浴びることになります」
「もうやだこいつ」
なんで俺はあの時にこいつを助けてしまったんだろう。
若干、選択を後悔する俺を脇でレイナはせせら笑う。笑い声をあげるたびに、耳のイヤリングが揺れる。
木製で、鈴の形をしていた。
「ニャハハハ。イカレ女と変態がやり合ってるニャ」
「そんなものしていました? レイナさん」
ジェンヌがイヤリングに気付いた。レイナは俺が困っているのがよほど嬉しいのか上機嫌のまま話す。
「これはそこの変態に買ってもらったやつニャ」
「え?」
「せっかく一〇〇〇ボウスももらったんだから少しは譲れってニャアが話したら、代わりに好きなアクセサリーを買ってやると言ってきてニャ。一緒に出店を回りながら選んだのニャ」
「ここに来るまで、金が足らない時は頼ってたからな。その礼だ。肝心な時には出さなかったけどな、このケチ猫」
「だからニャアは、生活面ならともかくギャンブルには金は出さない主義ニャ」
「おこぼれには預かるくせに」
「貸した分を返してもらっただけニャ」
俺とレイナが言い合いを続ける脇で、ジェンヌの表情は暗いものとなっていた。
「へえ」
「じぇ、ジェンヌさん?」
「なんです? ラースくん」
「いえ。なんでもありません」
視線を向けられると、ラースは生贄にされた時のことが浮かんでしまって怯えた。
ジェンヌは長く伸ばした髪を椅子の背もたれの後ろに移動させた。それに使った右手を、俺の目の前に出す。
「あの時のことを思い出すと、今でも鳥肌が立つニャ! いきなりあんな風に抱き着かれて」
「猫なのに鳥かよ。つーかおまえは当時の自分の所業も思い出せ。都合のいいところしか覚えてねえのかよ鶏頭」
「救世主様」
「なんだクソシスター?」
「そろそろ食事を。料理が冷めてしまうのは、作ったものとしては哀しいです」
「言われてみればそうだな」
俺はレイナからの罵倒を無視しながら、箸を取る。この世界、全体的にヨーロッパ風でありつつも意外にも食器は箸が基本だった。
パリパリに焼かれた皮から、身までを一口大に切る。
「なあクソシスター」
「はい? なんでしょうか救世主様」
「お前もなにか欲しいものはないのか? そこのクソ猫みたいに買ってやるよ」
「~っ!」
ばたん、といきなり机に倒れ込んだジェンヌ。顔は隠れているが、耳はゆであがった餃子みたいに赤くなっていた。
レイナだけじゃなくラースにもグローブ代わりのミトンを買ってやったから、全員になんか買ってやらないと収まりつかないだけなんだけどな。
特にジェンヌには食事でお世話になったし。
「どうしましたジェンヌさん!?」
「なんでも、なんでもありません」
「よく分からないけど、嬉しそうならいいです」
「ニャアは腹の虫が収まらなくてよくないニャ。そうニャ。飯がくるまでの暇つぶしにちょっとおまえで爪とぎさせるニャ小僧」
「えっ嫌です……いや! やめてくださいレイナさん!」
女みたいな声をあげて逃げるラース。
脇の騒ぎを無視して、俺は料理を頂く。
「……」
歯を当てると、炭の匂いを感じている間に細かく皮が砕ける。身に触れると、肉汁と脂が堰が切れたように溢れ出てくる。ほのかな塩味と香草の酸味と辛さ、焦げによるほろ苦さと魚自身の甘味が口内を一瞬満たすと、霧のようにすぐに去っていった。
「美味い……うまい。うまい」
我を忘れて、無我夢中に俺は料理を口に放り込んでいく。
骨まで美味い、とバリバリと食べる。
その光景を見たレイナは、俺が魚を切り分けた瞬間にフォークに食らいついていきた。
「本当にうめぇニャ! もっとニャアにも寄越せニャ!」
「おまえにはおまえの分があるだろうが! つーか食ってるんじゃねえ!」
「フニャ!」
強めのデコピン。
動かなくなったレイナは放っておいて、俺はすぐに食事を再開する。
バクバク
ムシャムシャ
一心不乱に食べ続ける。こんな美味い食事は、元の世界でも食べたことがなかった。
「満足してもらっているようでなによりですわ。お客様」
声がかけられる。
料理を食べきってから首を回すと、そこには細身の男がいた。唇に紫の口紅を引いている。
「あんたは?」
「この店のオーナー兼料理人のジャーポンと申します。お客様たちが楽しんでいたのが気になって、つい声をかけさせてもらいました」
「騒ぎすぎて迷惑かけたみたいだな」
「いえ。皮肉を言っていたわけじゃなく、本当にお客様のことが個人的に気に入っただけです」
ジャーポンは小恥ずかしかったのか、女性みたいに胸の辺りで両手を横に振って否定する。
思えば、王国一の料理を作るにも関わらず、高級レストランのようにこの店は気取ってない。店内を見渡すと、客が知り合いでもなかった別の客に絡んだりもして、気安い雰囲気だった。
「そうか。この魚おいしかったよ。シェフ」
「できれば教えていただけませんか? 救世主様へ、今度はわたくしの手で供物をささげたいと思います」
「おまえな……」
「お褒めに預かり、光栄です。それではよろしかったら、今度は個人的にお作りになりましょうか?」
「ん?」
先程からちょっとずつ浮かんでいた疑問があったので、俺はそれを尋ねることにしてみた。
「あんた、もしかしてそっちのケの人?」
「ええ。アタシは男性が好きなの。アナタの逞しい肉体や食べっぷりに惹かれちゃって」
「おぉ……」
驚くラースやレイナ。どうやらこっちの世界でも珍しい趣味らしい。
ジェンヌだけが、興奮して席を立ちあがった。
「不敬です! 同性愛は、女神ヘリコンの元では禁止されています!」
「確かに神には禁止されちゃっているけど、これがアタシの性分なの。怒るのなら、こんなアタシを作ってしまった女神に言ってくださる?」
「黙りなさい! あなたの存在そのものが禁忌なのです! 今すぐ十字架を喉笛に付きたてて、神の元へ召さりなさい!」
ざわざわ、と騒ぎ始める客たち。
ある程度はお互いを許容する穏やかな空間であったが、ここまで刺々しい口論をしているのならば、さすがにこうなるのは当然だ。
あまり他の世界の文化について口出しはしたくなかったが……
俺は話し合いに割り込むことにした。
「ジェンヌ」
「はい」
「俺は許す。同性でも、人は愛し合っていい」
「あなたの愛を認めます。ジャーポン」
「あらら。女神様の御使いである一等シスターに赦されちゃった」
これでいい…と俺が独りでに納得していると、
おおおおおお!
なぜか客たちが一斉に興奮し出した。
「やったなジャーポンちゃん」「神がまた新たな禁忌をお赦ししたぞ」「うそ……俺たち結婚できるのか……」「今まで諦めてたけど、あたしお嬢様に告白してみます」「ジャーポンちゃんが幸せになれそうでよかったよ」「これからの男探しに資金が必要だろう。ジャーポンちゃん、看板にあるメニューを全部注文するぜ」「ばんざい! ジャーポンばんざい!」
店員の子供たちも一緒になってジャーポンを祝っている。
「うわ。すごいことになったな」
「ニャハハハ。こいつらやべー勘違いしてるニャ。でも面白そうだから黙っておくニャ」
なんかとてもまずいことをした気がした。
脳内にあるサポートを閲覧して、女神ヘリコンを調べる。このサポート、あらかじめある程度の知識がないとなにも分からないのが不便だ。
女神ヘリコン
ヘリコン教で信仰される神。
ヘリコン教では信仰者に階級があり、その最上位は六宝珠とされる。そこから法皇、大司教、司教、司祭、信徒と並んでいく。
一等シスターは、女性の中では司教と並ぶ階級とされる。
まだ若いのに、結構な地位にいるなジェンヌは。
読んでも状況が分からないため、てきとうに感心していると、どたばたと店の出入り口から人が入ってきた。
「六宝樹がやってきたぞー!」
「うそ」
「マジかよ」
冷や水をかけられたかのように、たった一言で客たちの興奮が収まった。
どういうことだ?
疑問を浮かべるが、次の行動に移る時間もなく、事態は進展していく。閉まりかけた扉がまた開いて、広がった暗闇から石鎧の戦士たちが入店してきた。
ギシギシ
次々と入ってくる騎士たち。
異質な彼らの登場は、雰囲気を別物へ返させる、
剣呑な空気になったところで、戦士たちともまた異なる気を纏った人物が現れた。
「――」
そいつを目にしたと瞬間に、俺の体へ稲妻が落ちた。電気は脊髄を通ると、ビリビリと全身を上から下に破裂させていく。
もしも運命の出会いがあるとしたのならば、この発見こそがまさしくそれだろう。
そいつの口から、大輪の華が花開いた音が響いた。
「我が名は、コーラル」




