2.
下駄箱で上履きと靴を履き替えて、董子は建物の外に出た。
雨は小雨だが、途切れなく降っている。
学校から出てきた生徒が、玄関口の屋根の端までくると傘を開いたり、思い切って雨の中へと走り出したりして帰っていく。そんな中、その玄関口の端っこでたたずんでいる峻を見つけた。
教材が入ったリュックを左肩にさげた峻は、雨天の空を困った顔で見上げながら、携帯電話の画面を確認している。特に操作をしている風でもないのでどうやら時間を見ているようだった。
峻は傘を持っていないみたいで、そのためにこの雨で足止めをされているのだろう。学校から藤沢家までは徒歩で十五分ほどのため、歩くとしっかり濡れてしまう。まだ気温の低い四月の初めだから風邪の原因にもなりかねない。
そこまで考えを巡らせた董子は、峻に話しかけようか悩む。
あの一件があってから三週間近くが経つが、いまだにどう話したらいいのか距離感を図りかねている。家で食卓を囲むときは一緒になるが、そこでの会話も奈亜を介しての場合が多い。
それは向こうも同じようである。なんとか喋ろうとしてくれるものの、会話がぎこちないのは否めない。
そんなこともあってか、話しかけづらい。もちろん学校で会話をしたことはない。
向こうは学校での会話を望んでいるだろうか。迷惑に思わないだろうか。そんな考えも浮かぶ。
そうこうしていると、峻がもう一度携帯電話の画面を確認する。そして、ふーっとため息をつくと意を決したように雨の中を歩いて行こうとする。
「あの……」
そこで思わず声をかけてしまう。悩んだのがバカバカしいほど衝動的だった。
董子の声に反応した峻が振り返る。董子の姿を確認して小さく驚いているようだ。
その視線を受けて、董子は黙ってしまう。声をかけたもののうまく次の言葉が出てこなかった。
「お、滝川じゃないか。今から帰るのか?」
そんな董子に先んじて、峻が声をかけてくれる。
「はい。先輩も今から帰られるんですか?」
「いや、俺は今からバイト。……けど、雨に降られてなー。バイト先まで濡れていくかって覚悟を決めたとこ」
いやー、まいった。と峻が苦笑いする。
董子は、峻の顔と手元の傘とを交互に見る。この状況の解決法はもう示されている。
「滝川、俺は行くから。またあとでな」
「先輩、ちょっと待ってください」
董子を残して行こうとする峻を呼び止める。
「私の傘に入っていきませんか? そうすれば濡れないと思います」
「……なに?」
董子の提案を聞いて、峻の動きが完全に止まってしまった。そんなに想定外のことなのだろうか。人が二人で傘がひとつなのだからそれなりに合理的な答えだと思うのだが。
「いや……滝川? それ大丈夫か?」
「? 提案しているのは私の方ですが」
「それはそうなんだけどな……」
峻がどことなく困ったようにしている。この状況で困るようなことがあるだろうか。董子が思いつくとしたら、
「大丈夫ですよ。多少濡れるかもしれませんが、一人がずぶ濡れよりはましかと」
「お、おう……」
そんな問題点は大丈夫だと指摘したのに、峻の返事は煮え切らない。他に董子が気づかない問題があるのだろうか。それよりも、
「先輩、バイトに遅れるんじゃないですか?」
「うっ……」
事実を述べる。雨に濡れてでも行こうとしたのは、バイトの時間が迫っているのだろう。
「……分かったよ。滝川がいいのなら傘に入れてもらうよ」
峻がいう。その顔が、先ほど雨に濡れる決意をした時以上に、なにかを決意した顔をしているのが、董子にとっては不思議だった。