第一章 九話目「浮かぶ疑問に矛盾」
時間は経って、結局メグミに追い出されたメビウスはフィルモアに部屋で待機するように言われて、特にすることもなく時間を潰していた。
魔王の部屋はベッドの他に飾りがあったのだが、もうメグミにあれだけ言われた後だから自殺なんて出来るわけがないが、それでもメビウスが自殺できそうだった刃物などは全てこの部屋から無くなっている。きっと、フィルモアあたりが自殺の対策でもしたのだろう。
ならどう時間を潰したかというと、なぜか魔王の部屋には沢山の本が置いてあってそれを読んでいたのだ。
メビウスの好みは「剣聖」や「始皇帝」といった英雄たちの物語なのだが、魔王はそんな本は一切持ってなく、なにやら学問で高い成績を収める学生が読むような難しい本ばかりで、最初に開いた本なんかは最初の一ページ目から専門用語の合唱祭でメビウスが読める本を探すのが一苦労だった。
そしてようやくメビウスの読める本は見つかったのだが、いかんせんその量もすさまじく本の厚さはメビウスが学校に通っていた頃に読んでいた本の何倍もあり、午後から夕焼けが部屋を赤く照らす時間までずっと読んでいてもまだ半分くらいしか読めていない。
その量の多さにため息をつきながらメビウスはまた一つページをめくり、
「……あれ? ページおかしくない?」
めくったページの半分を読み終えて見開きの右半分を読もうとしたら、いきなり脈絡がない文章になってメビウスは混乱してしまったが、直ぐにこういう時にどうすればいいか考えて本の端に記載されているページを見て、そしてページがいきなりとんでいることに気がついた。
それに、少し注意深く本を見ればその抜けたところだったと思われるページが破けた後も見つかる。
「なんでこんなことになってるんだ?」
破られたページはほんの一ページだけというわけではない。数えて見れば四十枚以上も破られていたので、きっと誰が破ったのだろう。
なら破った犯人は誰かという話だが、まずフィルモアを代表とする比較的魔王と関わりのある魔族たちではないだろう。彼らがあのヴァニタスの私物を勝手に触るようなことはしない。
だからほぼ必然的にこのページを破った犯人はヴァニタス本人に違いないのだが、一体なぜあのページを破る必要があったのだろうか?
まあ、これ以上考えてもメビウスが答えには辿り着けないし、それにこれ以上はメビウスにこの本の内容を理解することは出来なさそうだった。
別のメビウスが読める本を探そうと、沢山の本が丁寧に仕舞われている本棚のメビウスが本を取って空いた空間に、メビウスが今持っている本をしまい、そして適当に読めそうな題名の本を手に取って立ちながら最初の数ページを読み始めた。
と、そのタイミングで一つのノックの音が聞こえてきた。
「魔王様、夕食の支度が整いました。お食事になさいますか?」
「……ああ、そうしよう」
一瞬、素の自分の口調が出そうになってしまったが、どうにか喉から出てくる直前に抑え込んでまたメビウスはヴァニタスの演技を始めた。
もしかしたら、メビウスがヴァニタスの演技をしなければ四天王たちに今のヴァニタスはヴァニタス本人ではなくメビウスだと気づかれて魔王城から追放され、ただの魔族としての第二の人生が待っているのかもしれない。
しかし、もしメビウスが魔族ではなく元人間だとバレたら、あるいはメビウスが魔王のフリをしていただけで四天王たちが躊躇せずにメビウスを殺そうとしたら。今の「勇者の力」がないメビウスに四天王全員を相手にして勝てる自信がない。
それだけならまだ最悪な結末の中でもまだマシな方だ。でももし四天王たちがメビウスが元人間だと知って拷問でもするものなら、メビウスにそれを耐えられる自信はない。
その拷問が仲間を救うためなら、その拷問でメビウスが何度死のうと耐えきる自信があったのだが、今のメビウスには守りたいものはあっても守れるものがない。
なら、なぜメビウスに拷問と戦う必要がある?
「失礼します」
そんなことを思っていると、フィルモアが控えめにドアを開けて、夕食を運ぶ台車を部屋の中に運び、
「……!」
いきなり部屋の中央に魔法陣を生み出してその中からテーブルと椅子をそれぞれ一つずつ出現させ、そして何事もなかったかのように運んできた夕食をテーブルの上に置き始めたのにメビウスは無言で驚いていた。
「魔王様。どうぞお召し上がりください」
「あー、ありがとう。それではいただくとするよ」
あっという間に用意を終わらせたフィルモアに心の中で驚きつつも、それを決して表には出さずに持っていた本を本棚にしまって席につこうとした。
が、それがメビウスの間違いだった。
「魔王様?」
「どうしたフィルモア。何かあったか?」
フィルモアを見ればフィルモアはメビウスを、いつも怒っている人が珍しく心の底から笑っているのを見るような目で見ていた。
その目を見てメビウスは嫌な予感がして、
「あの……魔王様は本をお読みになさっていたんですか?」
「そうだが、何か問題があったか?」
この流れはまずい。メビウスは相変わらずヴァニタスとしてのいつもの対応をし続けているが、心の中ではどう形容することも出来ない焦りに襲われていた。
フィルモアの表情からも、メビウスの行動がフィルモアに誰かが他人を真似した時に感じる違和感を感じさせたのは明らかだ。
このままフィルモアの疑念が確かなものになってしまえば、確実にメビウスは四天王たちに酷い目に遭わされてしまう。
そう思った途端、今までの何かと穏やかだったフィルモアの顔が、メビウスと戦った時のこの世の全ての憎しみを詰め込んだ顔と重なって、今度は焦りだけでなく恐怖すらもメビウスを引きずり込もうと背後から無数の手で強く掴む。
ならどうやってこの問題を対処すれば良い? 落ち着け、考えれば必ず突破法があるはずだ。メビウスは魔王を倒すために何度も様々な解決方法の修羅場をくぐってきたのだ。
「その……」
たった一言、本当にたった一言なのにその声はメビウスのありとあらゆる恐怖を掻き立てる。
そして、フィルモアは焦りを隠そうと必死になっているメビウスを見ながら、
「夕食を用意してしまって大丈夫だったでしょうか?」
今までのほんの一瞬でメビウスが見ていた顔を、魔王に対する心配に染めた顔でフィルモアはメビウスを見ていた。
「どういうことだ、フィルモア?」
「い、いえ。時々魔王様はお食事より読書だったり書き物を優先なさる時がありますから、それで今回はと思いまして……」
「あー、そういうことだったか。丁度キリのいいところで終わったんだ。全く気にする必要はない」
「そうでしたか……失礼いたしました」
メビウスがフィルモアに納得できる理由を説明できると、今まで感じていた恐怖が嘘だったかのように消えて、メビウスが魔王の体で魔王城に来て初めて会った時のようなどこか怯えているような表情がメビウスの目に映った。
この事を考えるのはメビウスにとっては初めてヴァニタスの体で魔王城に戻ってきた時を含めると二回目だが、本当にメビウスが勇者だった時のフィルモアとは別人にしか思えない。
フィルモアはこんな顔をしなかったし、フィルモアの顔や言葉だけでなく攻撃にさえ彼女の憎悪が詰まっていると思っていたのは、きっと何年経っても、また何度もフィルモアとの戦いを繰り返そうと変わらない。
もしかしたら他の四天王たちも、まだ会ってはいないがメビウスと戦った時と変わっているのかもしれない。
変身能力を使って少しメビウスたちをからかっていたものの、その力を可能な限り最大限に生かして何度も突飛な策を臨機応変に生み出したアンカウンタブル。
蜘蛛族の他の種族より多い六本の腕と、その種族特有の糸、それに彼の生物とは思えないくらいの身体能力でメビウスたち四人の猛攻を全て同時に対処しきり、魔王軍軍団長として立派な最期を遂げたアシュラ。
その口調がまるでおばあちゃんのようだった、いつも余計なことを話しながらも光を支配して何度もメビウスたちを苦しめた蛇の幼女イヴ。
もし変わっているというのなら、なぜそのような変化が生まれてしまったのだろうか?
だが、これもまた考えても結論が出ないと考えるのをやめて席に座り、確か魔族の食事のマナーに「いただきます」というものがあるとイヴが話していたのを思い出して、両手のひらを合わせて「いただきます」と言ってからナイフとフォークを持った。
ちなみにメビウスは田舎育ちだが、勇者として貴族などに歓迎された時にナイフやフォークなどの使い方は教わっていたので、メビウスは出身に反して食事のマナーに関しては一流である。
さて、なんだかんだでこの夕食がメビウスの魔王城での初めての食事なのだが、今日の食事は山菜をメインに使った料理だった。
「……」
そしてその料理だが、見た目は貴族に歓迎された時に出てきたもの以上に凄く、野菜たちがそれぞれの個性をめいいっぱいアピールしながらも、それがうまい具合に重なり合い最高の見た目になっている。
メビウスはフォークとナイフを器用に使って口までそれを運んで口にして……、
「ど、どうなさいましたか魔王様……!」
フィルモアはメビウスの様子がおかしくなったことを一目見てすぐに気づいた。そしてメビウスのこれからの行動を見逃さないようにして、
「う、うまい……」
「え?」
「美味い! 何これ今まで食べたことのないおいしさで死んでしまいそうになる!」
「そうですか……それはきっとほかのメイドの皆様が喜ばれます」
メビウスはすっかりヴァニタスのふりをすることを忘れてしまうほどの味に惹きつけられ、「美味い美味い」と何度も言いながらあっという間にお皿がきれいさっぱり真っ平らになる。
これもイヴのおしゃべりに従って「ごちそうさま」という、食事の最後に言うらしい言葉を手のひらを合わせて言うと、
「相変わらず、魔王様はお食事がお上手でございます。とてもあの料理が美味しいのだと見ているだけで伝わってまいりました」
メビウスはそんな明らかにヴァニタスがしない食事風景をフィルモアが見ていたことを思い出して、なんてことをしてしまったのかと一筋の汗が流れた。
が、部屋の隅の方で待機していたフィルモアは嬉しそうにメビウスの食べた皿を台車に乗せ始める。
とんでもないミスをしたと思ったが、結果的に疑われなかったので良しとする。魔族の料理がうますぎたのが悪いんだ。人間の料理が魔族の料理より良くないのが悪いのだ。
フィルモアが手慣れた作業で食器も片付けて、最後にテーブルと椅子を最初に出現させた魔方陣でどこかに送り、魔王の部屋が夕食を持ってくる前と同じ姿に戻る。
すると、そのままフィルモアは片付けに向かうのかと思ったが部屋を出る直前に、
「魔王様、その……アシュラ様から伝言があります……」
「……? どうした、そんなに暗い声で」
部屋に入ってきてからフィルモアは作業は淡々と終わらせていて、口調が変わったのもいつもと違う行動に疑問に思って少し魔王のことを詮索した時だけだった。
だから、メビウスは本来伝えるだけで終わる伝言を伝えるのにそんな口調をしたフィルモアに何か嫌な予感がしたのだ。
そしてフィルモアは、メビウスのその感じたことを肯定するように口調を変えずに表情も暗くして、
「その……、アンカウンタブル様が何か良からぬ事を考えているから気をつけてくださいと」
「アンカウンタブルがか?」
「はい……でも、アンカウンタブル様は魔王様を裏切るような方ではありません! アンカウンタブル様はアンカウンタブル様なりの考えがあって動いていらっしゃるんです!」
「あー、フィルモアの思いはわかった。だから安心しろ。決して直ぐにアンカウンタブルを殺すような真似はしない」
メビウスがそう言うと、フィルモアは安心して、「失礼しました」と言って台車を運んで部屋を去ろうとした。のだが、
「フィルモア、一つ聞かせてくれ」
「ハイ、何でしょうか魔王様……?」
メビウスが質問をしようとした瞬間に、またフィルモアの顔に不安が戻ってきた。
ついさっきはメビウスがフィルモアに恐れていたのに今は全く逆の状況になっていることに、そんな状況にちょっとだけのおかしさと的外れな心配をしているフィルモアに対する罪悪感を感じたので、メビウスはなるべくフィルモアが安心出来そうな顔を作って、
「別にアンカウンタブルを疑っているわけではない、ただ少しだけ気になっただけだ。で、アンカウンタブルは何を考えている?」
「……アンカウンタブル様は、お探しになっている方がいらっしゃるようです。その方を探す為に、アンカウンタブル様は先に魔族たちが手に入れた人間の村に向かわれました」
今メビウスはフィルモアに、「何を考えていると思う」とは言わずに「何を考えている」と聞いた。
本来ならフィルモアにアンカウンタブルの考えていることがわかるはずがないのだから、メビウスの聞き方は絶対におかしい。
だが、メビウスにはこれで大丈夫だという自信があった。それは、フィルモアの「アンカウンタブル様はアンカウンタブル様なりの考えがあって動いていらっしゃるんです!」という言葉だ。
メビウスは、こんな言葉はフィルモアがアンカウンタブル本人の意思を知らないと出てこないと思ったのだ。
そして、多分この予想が当たっていたからフィルモアは少し驚いてメビウスの質問に答えるのに空白の時間が出来たのだろう。
フィルモアはメビウスが考え終わるまで待つと、
「魔王様、明日からの各村への訪問ですが私が朝の七時に朝食の準備を運んで参りますので、朝食の後八時に魔王城を出発の予定となっております」
「わかった」
「……それと、もう一つございまして」
そこで言葉を切ったフィルモアをメビウスが見ると、
「実は、今日魔王城宛に不思議な文字で手紙が届きました。それで、知識のある魔王様ならその手紙に書いてあることがわかるのではないのかと思って持ってまいりましたのですが……少しお目に通して頂けないでしょうか?」
そう言って差し出した手紙をメビウスは受け取って見てみたのだが、フィルモアの言っていた通り不思議な文字で少なくともメビウスは一度もこの文字を見たことがない。
「すまない、フィルモア。俺でもこの文字はわからない」
「そうですか……申し訳ございません、魔王様にご迷惑をおかけしてしまい……」
「これくらい大丈夫だフィルモア。お前こそこれくらいで謝るな、四天王だろうお前」
「は、はい四天王にそぐわない態度をとってしまい――」
「その流れ、謝る気だっただろフィルモア。謝るなって言った直後に謝るな」
なぜかややこしいことになってしまったが、そこでフィルモアとの会話が終わりフィルモアは謝罪ではなくメイドの礼儀として頭を下げると、
「それでは……お休みなさいませ」
その言葉を最後にフィルモアの姿が部屋の向こうに消えていき、次第に台車を運んだ時の特有の音も聞こえなくなり、メビウスはため息をついてベッドの上に座った。
……アンカウンタブルは今の魔王がヴァニタスではなくメビウスだと、なんとなくであっても気づいていてそれでその誰かを探しているのだろうか?
それに、今日は何とか誤魔化して過ごしていたがメビウスは魔王なんて嫌だし、四天王だけでなく全ての魔族が自分たちの王である魔族が元人間なんてそんなのお断りだろう。
「どうすればいいんだろうなぁ……」
メビウスに突然押し付けられた魔王という立場、魔族の存亡すらかかっているこの立場をメビウスは雑に扱おうとはもう思えなかった。
と、ここでメビウスがかなりおかしなことを考えていることに気がついた。
「――何思っているんだろう、魔族たちを殺し続けて魔王とすら最後の戦いをしてたのに」
メビウスの目的は恐るべき魔族たちを倒して人間に平和をもたらすことだ。なのについさっきメビウスは魔族の将来を心配していた。
魔王という立場がある今なら、例えば信頼しきっているメビウスに油断している時に魔族たちを襲えば多分全ての魔族が倒せるだろう。
それに、メビウスは勇者として何度も魔族の主要戦力の魔族と戦っているから、彼らの戦う時の癖はある程度覚えているという有利な点もあるのだ。
それならば勇者の時のように有名になったりなどはないけど、魔族を倒すという目的だけは達成出来る。
そうなのにメビウスは、
「そんなこと出来るわけないな……」
一人そんなことを呟いて、勇者として全く意味のない明日を無事迎える為に明かりを消してからベッドの中に潜り目を閉じた。
メビウスの口からその言葉が出たのが、勇者としてそんな卑怯なやり方をしたくないと思ったからなのか、はたまた別の理由からなのかは誰一人として真実を知らない。