第一章 八話目「魔王に勝つ方法」
「――――――――ぶワン」
「―――すか! ――――――です」
メビウスは自分を優しく包むベッドに身を委ねながら、ふと過去のことを思い出していた。
今思い出せば、いつもメビウスが強敵を倒した時にはかなりギリギリの差で勝っていたから、最後にメビウスが気を失って倒れてしまうことなんて毎回のお約束になっていた。
でも、いつも気を失った後に目を覚ませば大切な仲間のみんながメビウスが起きるまで待っててくれて、そして全てが上手くいったことを嬉しそうに教えてくれた。
それがメビウスの何度もやり直す事で掴んだ未来での希望の一つで、時にはその時もらった言葉が、その時の表情が、折れそうになったメビウスの心を何度も何度も優しく支えてくれた。
だから一瞬、ほんの一瞬だけ微かに聞こえた声を三人の声だと思って泣きたくなるほど嬉しくなって、一秒でも早くみんなの顔を見たいと思ったのだ。
それはどんな顔でも良い。最高なのは断然笑顔だが、泣いている顔でも、怒っている顔でも、特にメビウスが倒れたことを気にしていない顔――は、本当は結構傷つくからやめてほしいが今回はもうそれでもいい。そんな顔でも良いぐらいみんなの顔を見たかった。
でも、それが別の人の声だと気づくには、何度も同じ時間を繰り返して何度もみんなの声を聞いてきたこの耳にとって、ちょっとした勘違いとすら思えないほどとても簡単だった。
一人は誰の声かはわからないが、もう一人は少し耳を傾けているとあの四天王のフィルモアだとメビウスは予想する。
やはり、フィルモアたち四天王の声も何回もやり直しして聞いていれば覚えているようなものなのだろうか?
四天王のフィルモアが近くにいるのがなぜかと考え始めると、ようやくメビウスが気を失っていた理由を思い出した。
確か、もう生きている意味はないと強く思い自殺をしようとして、自らの心臓に短剣を刺したところでメビウスはもう思い出せない。
でも、今フィルモアの声が聞こえているということは自殺は失敗してしまったのだろう。
「本当に、魔王様は大丈夫なんですよね?」
「ええ、本当だワン。あたしが嘘をついたことあるワン?」
「いえいえ! 失礼な発言をしてしまい申し訳ありません!」
「ハハ、別に良いワン♪ フィルモア様はとても可愛いワン」
どうやらフィルモアともう一人の魔族はとても仲が良いみたいだが、フィルモアと親しい魔族はメビウスは一人しか知らない。
でも、その魔族の声と今メビウスが聞いている声は別人のものだった。
だから、結局メビウスは何もわからないまま会話は進んでいく。
「私は全く可愛くなんてありませんし、私なんかを様づけなんて……」
「フィルモア様が可愛くないならあたしやほかのみんなはどうなるワン! それに今のフィルモア様は四天王なだけじゃなくて魔王様を救ったヒーローなんだワン!」
「その……ヒーローが何かはわからないんですが……でも少なくとも私に讃えられる資格はないんです」
「ん、なんでワン?」
メビウスがなぜ自殺未遂で終わってしまったかの理由も確認したし、もうそろそろ目を覚まそうかと思ったその時、何やらフィルモアの言っていることに気になる点が出てきて、メビウスはそのまま起きていないふりを継続した。
すると、天地がひっくり返ってしまいそうな一言がフィルモアの口から出てきてしまった。
「だって、私は魔王様を殺しかけてしまったんですから」
その言葉に驚いたのはメビウスだけではない。フィルモアの話を聞いていた魔族も何も言えず、しばらく黙り込んだ後に、
「どういうことだワン?」
と、その一言だけしか言うことができなかった。
「メグミ様は私が転移魔法を使えることは知っていますよね?」
「そりゃ、魔族は種族によって治癒の方法が違うから、魔王城にいる魔族全員の種族は覚えているワン。だからフィルモアちゃんが転移魔法を使えることは忘れていてもすぐに思い出せるワン」
メビウスは、フィルモアの人と龍のハーフという血筋がなぜ転移魔法を使える理由になるのかはわからなかったが、聞いているだけの第三者の意見は無視して話はドンドン進んで行く。
「でも、私はとても慌てていたせいで転移魔法を使えることを忘れてしまったんです。今となっては結果としては魔王様は助かりましたが、もし魔王様の傷が心臓に直撃していて、もちろん! アンカウンタブル様の回復魔法の実力が駄目なんて全く――!」
メビウスはフィルモアが慌てているのを目に浮かべながら、フィルモアの話の続きに耳を傾けてた。
「フィルモアちゃんの言いたいことはわかってるワン。だから、続けてワン」
「……私があの時転移魔法を使わずに走ってメグミ様たち治癒師の皆様を魔王様のところに移動してもらわなかったから治癒が間に合わなかった。それともアンカウンタブル様と廊下で会うのが少しでも遅れていたら魔王様の治癒が間に合わなかったなんてこともあり得たんです。だから、私は……」
「でも、フィルモアちゃんは自分に転移魔法を使えないんだから焦って忘れてしまっても――」
そんな理由で自らを責めるなんて、ときっとあのメグミと呼ばれた魔族は思っただろうし、少なくともメビウスはそう思った。
だって、メビウスがもしあの自殺で死んでしまったとしても、それはメビウスのしたことであってフィルモアには一切責任があるはずがない。
それに他の魔族から魔王を助けようとしてくれてありがとうと言われたりして、少なくとも魔王殺しなどと恨まれることがあっていいはずがない。
そして、メビウスの思っていることやもう一人の魔族、メグミと呼ばれた魔族の言ったことが正しいとは全く思えないフィルモアは、
「そんなの、理由になっても言い訳にはなりません! それに、みなさんに魔王様の部屋に近づかないでとお願いしていたから、魔王様が助かる確率も下げてしまっていて……やっぱり、私には四天王も、魔族すらも名乗る資格がないんです……!」
フィルモアはそう言うと限界が来てとうとう泣き出してしまい、メグミが「よしよし」と言ってたぶん背中をさすり慰め始めた。
メビウスは自殺をしかけてしまったせいで色々とまずいことになってしまったようだと、遅まきながらも気づいて焦ってしまう。
もし、今のこの状況をメビウスが眠ったふりをして聞いていたなんて知られたらどうなることか。
多分、メビウスがそう思ってしまったからだろうか、エカチェリーナあたりの神様がメビウスに天罰を下した。
今までフィルモアを慰めていたメグミは「さて……」と呟くと、明らかに狙っていた風にメビウスに聞こえるように言った。
「本当にフィルモア様が四天王を名乗る資格がないかは、フィルモア様を四天王に選んだ本人に聞くのが一番ワン」
メグミのついさっきまでの話題はどこに行ってしまったのかと思える言葉に、フィルモアは泣くこともやめてメグミを見た、と思う。
そしてメグミはメビウスの方を向き、今までフィルモアと話していた時と同じ口調だが、どこかその裏に深い闇が隠れている声で明らかにメビウスに話し始めた。
「フフン、どうやら寝ているふりをしていたみたいだワンが、残念ながら治癒師のあたしにはバレバレだったワン。ほれ、面倒くさいからさっさと目を開けて起き上がるワン」
と言われたものの、あんな話を聞いてしまった後で流石にこの時に起きるのは少し気が引ける。というわけで寝ているふりを続行していたのだが、
「ほうほう、あくまでも魔王様は寝ていると主張しますワンか。ならあたしも容赦はしないワンよ〜!」
「メ、メグミ様、一体何を……」
「まあまあフィルモア様、別に傷つけたりするわけじゃぁないワンないワン」
焦り始めるフィルモアを宥めて、メグミは明らかに嫌な予感を感じさせながらメビウスの両腹を触り、
「くらえ! 奥義コショコショだワン!」
そしてメグミは「コショコショコショ」と言いながらメビウスの両腹を指を器用に動かした。するとメビウスは、
「…………何やってんだ! あっ……」
最初に耐えようとしてみたものの、感じる奇妙な感覚に我慢ができなくなり思わず叫んで起き上がって、そして、フィルモアの魂が空へ飛んで行ってしまったような顔を見て何も言えなくなってしまう。
耳が痛くなるような静寂が訪れる中、魂が自身の体に戻ってきたフィルモアはこれだけメビウスに質問した。
「その、魔王様……いつから聞いていましたか……?」
「うーん、少なくともフィルモア様が泣きかけながら言ったことは聞いていたと思うワン」
目をつぶっていたメビウスには、フィルモアがどこから泣きかけていたかはわからないが、大体それであっている気がして黙っていると、それがメビウスの肯定だとわかったフィルモアは、すぐに頭を膝につきそうになるまで下げて、
「魔王様申し訳ございません! そもそも私にその人間を殺せる実力があれば全て解決したのに……」
「こらこらフィルモア様、謝るのはフィルモア様じゃないワン。ねぇ、ま、お、う、さ、まぁ?」
今までの流れからして明らかにフィルモアの肩を持つメグミは、フィルモアの頭を上げさせた後に、その犬の顔をメビウスの視界がほとんど埋まるまで近付いて、
「というか、まずそもそもなんで自殺なんてしようと思ったワン? どれだけ魔王様が自殺をしようとしたことでみんなが心配したかわかってるワン? フィルモア様は急いで回復魔法を使える魔族を呼びに行ったワンし、アンカウンタブル様も頑張って不慣れな回復魔法を使ったワン。魔王様のしたことがどれだけ軽率な行動かわかるかワン?」
あまりにもメグミの威圧が強すぎてメビウスはベットの上で後ずさりをしてしまうが、メグミの怒りは収まらないようで動いて再び距離を詰める。
もうこれ以上は、メビウスの背を這う何かのせいでまともに目が見れず、視線を下にして小さく呟いた。
「別に死ぬのも勝手じゃないか……」
「馬鹿言ってんじゃないワン!!」
その一言を呟いた瞬間に、メグミは鬼も黙ってそうな大きさの声でメビウスを怒鳴りつけた。
「魔王様は命をなんだと思っているワン!? この世に命以上に大切なものがあるとでも思ってるかワン? えぇ? ほー、それなら良いワン、その魔王様の大切なもの教えてみろワン、そして納得させてみろワン!」
質問の規模の大きさや、それを突然に聞かれたことやメグミの近すぎる鬼の形相のせいで答えることが出来ずに、メビウスは首を横に振ることしか出来なかった。すると怒りが収まらないメグミが更に声を荒げて、
「ねえ、そうワン、あるはずないから答えられるわけないワン。なのに命を粗末にするなんてどういうわけないだワン! ほら、言ってみろワン! 黙ってないで何か言えワン!!」
「も、申し訳ありませんでした……」
「なんであたしに謝っているワン! 違うワン、謝るのはあたしじゃなくてフィルモア様だワン。謝るならさっさと謝るワン!」
メグミに言われてフィルモアの方を見ると、フィルモアはビクッと震えて姿勢を改める。その態度やフィルモアの性格や今までの態度から、きっとフィルモアはメビウスの謝罪は望んでいないのかもしれない。
でも、今のメビウスにメグミに反抗する権限があるはずがなく、メグミがメビウスの視界から外れるとメビウスはフィルモアがしたように頭を下げて、
「この度はご迷惑をおかけしまい申し訳ございませんでした!」
「はっ……ま、魔王様! そんな、私なんかに頭を下げないで下さい! 魔王様、魔王様!」
予想通りフィルモアはメビウスの謝罪を受け取ろうとしない。が、そんなフィルモアにメグミがこれが当然だと言わんばかりに、
「良いワン良いワンよ、フィルモア様。魔王様だとしても今回はこれくらいお灸を入れないとダメ。悪いのは魔王様なんだから」
「でも……」
それでも悪いのは自身だと納得しないフィルモアに、メグミはため息をこぼした後にメビウスの頭を上げさせて、
「それに魔王様の命は魔王様だけのものではないワン、魔王様は全魔族の未来を背負って生きているワン、だから魔王様が死ぬのは魔族の明るい未来が消えることと同義だワンよ」
メグミは話している相手が魔族で一番の地位を持つ魔王と思えないくらい言いたい放題言っていて、そしてその勢いはとどまることを知らない。
「魔王たるものそこら辺分からず魔王やられてたら困るワン、魔王様、わかってたワン? ……まあ、答えなんてわかっているから答えなくて良いワン」
「ハ、ハイ……申し訳ございません……」
メグミの勢いは止まることなくメビウスが反論をする余地などないどころか、メグミの説教が始まって最初の方に一度しかメビウスは話せていない。
そして一方、魔族の中で一番偉いはずの魔王が、たった一人の治癒師に頭を下げるしかない状況を目の当たりにしたフィルモアは、メグミの恐ろしさに言葉を失っていた。
「はー、もういいワンこんな駄目駄目な魔王様に付き合っている余裕はないワン、もう面倒くさいから魔王様はさっさと魔王様としてしないといけないことをしてきてワン。フィルモアちゃん、ちゃんと四天王に選ばれた理由を聞くんだワン」
「えっメグミ様――」
「ハイ帰ったワン帰ったワン、魔王様、次に変な理由であたしのところに来たらどうなるかわかってるワンねぇ?」
それ以上はメグミはメビウスと話したがらず、さっさとベッドから起きるように指示て出て行かすと大きな音を立てて扉を閉める、直前に、
「魔王様、フィルモア様に何かしたらどうなるかわかっているワン?」
メグミはそれだけメビウスに言うと、かくして、治癒室の扉の前で二人残されたメビウスとフィルモアは、黙って立ち尽くしていた。
「あ、あの……魔王様?」
「どうした……? フィルモア……」
「明日の朝から、私と魔王様の二人で途中の魔族領の都市や町をよりながら、あの人間の村に向かう予定となっております。ですから、その……どこか寄りたい場所があったり食べたい料理がございましたら申し付けてください」
「かなり、唐突な予定だな。なぜだ?」
普段メビウスが仲間に使う口調ではないだけでなく、あれだけメグミに言われた後なのだから本当はこんな口調で話したくないのだが、あの魔王ならあの説教をくらった後でも平然とこんな口調で話しそうという勝手な予想でこの口調を続けている。
メビウスは、魔王の体を使っているのがヴァニタスではなくメビウスだと他の魔族にバレた時に、起こり得ることがとても恐ろしかったのだ。
しかし、フィルモアはヴァニタス本人とメビウスのヴァニタスのフリの区別がついていないようで、まるでいつも通りにヴァニタスに報告する時と同じように、
「あの村は初めて魔族が取り戻した土地です。ですからそのことを魔王様が各都市や町を訪れ、魔族の皆様にお伝えすると魔王城の主要な魔族たちでお話し合いになられたことをお忘れになられたのですか?」
さっきメビウスは唐突とフィルモアに言ったがそれは間違いで、もしあの魔王がよく忘れるとフィルモアが把握していなかったり、そもそも魔王が忘れっぽくなかったらメビウスのことがバレてしまったかもしれない。
だから、メビウスは危なかったと心臓を撫でられたような感覚に襲われながら、出来る限りあの魔王の口調や態度を思い出して、
「あー、そうだな俺が忘れてた。悪かったな」
「別に謝らなくてもかまいません魔王様! 後、えっとその……」
魔王が一人の治癒師であるメグミに、一方的に説教するのを目の当たりにしたフィルモアは、報告以外に魔王と話す理由がなくてこのどこか気まずい雰囲気をどうすれば良いのか分からず、目線をメビウスからズラすと……
「メグミ様……凄かったですね……」
「あー、そうだな。うん。そう、だよな」
メビウスとフィルモアはもう黙ってどこか別の場所に移動し始めた。
もちろん、どこへ行くのかなんて決まってはいない。